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天皇が神様になったのはいつからですか?

古事記だと、神様の子孫ってことになるんだろうけど、
古代から、神様だと信じられていたんですか?
蘇我馬子のころは、天皇暗殺とか平気でやってるから、
あんまり権威がなさそう。

でも中世だと、島流ししても殺すことはしてない(多分)から、
ほかの貴族や武士とは別格って感じですよね。

明治以降は、本当に神様だと信じられていたんでしょうか?
例えば、ヒトラーや金正日とかを「英雄」だって思い込んだり
ローマ法王やダライラマとかを「聖人」(厳密な意味じゃ違うけど)って感じることはあっても、
それは、一般人とは次元が違う、「立派な人」っていう意味です。
あと、死んだ人を神とか仏とか敬うのも分かる気がします。

でも生きている人を、「神」(つまり、人じゃない)って考えるのは、
科学的な近代以降では、かなりすごいことだと思うんですが
本当に天皇は神だと信じられていたんですか?

A 回答 (6件)

現代の日本人は「神」というと一神教の神を想定して、そこから連想するので実態とはかなりかけ離れています。



天皇が「神」である、ということは一神教の神とはまったく違う概念なのです。

まず、一神教の神は人間ではありません。人間に「俺のことを崇めたら守ってやるから、俺を崇めてほかの神を崇めるな!!」という超自然的ななにかです。原則的にはモーゼに十戒を授けたエホバが唯一絶対神、ということになります。
これは最初から神であって人間ではありません。

ところが、多神教の国々は日本を含めて無数の神がおり、特に国を支配する王族は「神の末裔」ということになっています。
日本でも天孫が天下ってから人間と交配して、天皇家の一族になっていきますし、古代エジプトは本来はギリシャ系の移民なのに、現地民を支配するために「王はホルス神が人間の姿をしている」としていましたし、王が死ぬと「ホルス神は新しい体を借りてよみがえった」というふうにされていました。

つまり神は「人間ではないなにか」であると同時に「人間の形をしたなにか」でもあったのです。
日本でも太宰天満宮の菅原道真のように神格化された存在があります。彼はすさまじい怨念を残して死んだために、もともと人間でありながら「人間ではない何か」の力をもったとされ、神様として祭られたのです。

ですから、日本の天皇も朝廷成立の頃には「日本の神々を束ね総覧し、日本の民をまとめて神と会話するモノ」という宗教的な意味合いを持っていたようです。現在でも天皇の仕事に新嘗祭や 大嘗祭など天皇しか執り行えない儀式があり、儀式の内容は秘密になっています。
このようなことを行える唯一の存在である天皇は、臣民というただの人から見れば、少なく見積もっても「人ではない何か」であり、そうであれば崇め奉る存在であり、崇め奉るから「神」なのです。
そして人間ではないなにか(本当は人間ですが)をお世話するのも人のままでは問題があります。人が神に触れると神が穢れるからです。
そのため、天皇をお世話する人は宗教的な儀式を通じて神と交流できる能力を授かった、とされたり、後には仏教的な方法論を取り入れて、出家した人は現世から離れたので人ではない(化外の人といいます)として、天皇を治療する医師は頭を丸めて出家したことにしたりしました。
すべてはフィクションなのですが、人を「人」が治めたのでは政が出来ないため、そのようなフィクションがどの国でも必要だったのです。

ですから古事記の時代や卑弥呼のような存在を含めて、彼らは神だったといえますし、民衆はそれを信じていたわけです。
明治期になっても、現代でも天皇が神であることには変わりがありません。しかし、それは一神教的な神(人間ではない何か)ということではなく、政上のフィクションである、ということです。
その意味で戦後行った「人間宣言」は一神教であるアメリカ人からすれば「神である天皇を神の座かひき下ろして武装解除した」という勝利ですが、当時の日本人にとっては単に「政治的な権力から天皇が身を引いた」というメッセージに過ぎなかったのです。
当然明治期でも大戦期でも戦国時代でも、天皇が人間であることは当たり前のことであり、それを「神」としているのは制度上、政治上のフィクションであったからです。


島流しの話が出ていますが、日本は制度上、古事記の時代からずっと朝廷が「人」に権力を付与する形で今まで来ています。征夷大将軍は天皇が与えるものですし、内閣総理大臣だって天皇が任命するのです。
マッカーサー率いるGHQは実に日本の実情を理解していたと見え、アメリカやその他世界に向けては「天皇が人間宣言した」として日本が敗戦した事実を納得させ、日本国民には「権力は手放すようにしたけど、天皇は日本の権威のままだからね」と日本の国体そのものが変更になったわけではないことを印象付けたわけです。
実にうまい方法で、その代り日本人が「神」という言葉の意味が分からなくなってしまったのです。
それでもこれだけ日本が長い間平和を教授できているのですから、たいした副作用ではないのかもしれません。

ということでエジプトの例を含めても「神」の正体は、支配される側の民衆が納得するだけの「権威」というべきものなのかもしれません。
現在でも天皇が御璽(天皇のはんこ)を押さなければ、法律も条約も成立しませんから、今でも天皇は日本の政治上の権威であり、だからいまでも神であるといえるのです。
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この回答へのお礼

難しかったけど、超勉強になりました!

その意味で戦後行った「人間宣言」は一神教であるアメリカ人からすれば「神である天皇を神の座かひき下ろして武装解除した」という勝利ですが、当時の日本人にとっては単に「政治的な権力から天皇が身を引いた」というメッセージに過ぎなかったのです。
当然明治期でも大戦期でも戦国時代でも、天皇が人間であることは当たり前のことであり、それを「神」としているのは制度上、政治上のフィクションであったからです。

↑これで、超納得です!!
ありがとうございました!!

マッカーサーって、日本人じゃないのに、すごいんですね。

お礼日時:2011/01/19 00:03

No.2です。



>権威があるのに、殺しちゃうんですか?
>あと、大化の改新は、天皇暗殺じゃなくて、その逆だと思います。

失礼しました、あれはそうですね。皇子の側が蘇我氏を殺害したのですから・・・・

島流しとかであって、殺害はしないか。
平家物語の安徳天皇は殺されたわけでなく、何というか、無理心中的。

No.4さんの回答を拝読して、シャーマンという言葉を思い出しました。シャーマニズムとか。
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この回答へのお礼

シャーマンは、巫女だから、神じゃないけど、
神の言葉をしゃべるから、ちょっと近い存在かもしれないですね。

関係ないけど、「みこ」って変換しようとしたら、巫女以外にも
神子
皇子
皇女
とか、ありました。

お礼日時:2011/01/19 00:59

実情を知ってしまうと、現天皇家は直系ではありませんね。

養子の家系みたいなものです。
とは言っても、偉い人とか立派な人というのも違います。あくまでも日本を代表する人です。
英国風に言えば「天皇は君臨すれども統治せず」です。

で、天皇は神じゃないという人の大きな勘違いは他の方も指摘しているように、「神」という概念の違いです。
元々「神」とは中国の理解で「人智の及ばぬ存在」を意味しました。だから本来の「神」の概念から言えば、キリスト教の天使も悪魔も「神」に違いないのです。つまり「一神教」だの「多神教」という言葉そのものが間違った概念なんです。キリスト教の「神」は「主」とか「創造主」と呼ぶべきものです。
さらに日本の「神」には先祖つまり祖神・祖霊が含まれます。例えば藤原氏の祖神は天児屋根命という風にです。
従って、天皇家の祖霊が天照皇大神という事になるのです。そして日本の国は天照大神が治めた国だから天皇を頂点とする国だという事になります。
世界中でこれほど長い間、同じ体制を維持してきた国は存在しません。日本はその意味で世界最古の国なのです。これが世界が認めて羨ましがっている事なのです。(案外認めていないのは日本人くらいなものです)

明治時代、国は天皇を中心とした国造りを始めます。国造りの基本は戸籍の確保です。当時氏子登録をしていた神社を一区画に一つと決めて、氏子名簿を戸籍にしようとしました。
しかし明治政府自体は、神社による思想教育に失敗、神道を神職の祭事作法のみを定めた神社神道に限定し、信教の自由を発布しています。つまり「国教は神道だが国民の信教の自由は確保」したのです。

その後、(一応)天皇の名で招魂社が靖国神社に変りました。これを軍部が国の為に死ねば靖国に祀られるといって勧誘した。この事から“国家神道”へ傾いていき、第二次世界大戦へと進むのです。
つまり“国家神道”は軍部主導の思想教育ですから、信じるも信じないも、否といえば国賊として罰せられてしまったのです。

【回答】
従って、明治時代には信教の自由はあったものの、天皇中心の社会で尊敬もした。しかし、軍部が力を増して強制的に“国家神道”を押し付けられたというのが正しい。
一般人にとっては難しい事は判らないから、天皇は天照大神の直系の子孫だと信じたでしょうね。

科学的にというけど、科学ほどいい加減な定説を断言しているものも少ない。これまでに幾つの定説がひっくり返っているでしょう。
それにアメリカ人の半数以上が進化論を信じていないという説もありますし、その進化論ですら学者の多くが疑問を呈しています。アインシュタインは自らの発見した公式を訂正してもいます。
子供の頃100点満点を取っていた現30歳の人が、同じ設問に同じ回答を書いても100点にはならないどころか、下手をすると落第もしかねません。それほど科学の定説は移り変わります。

ちなみに“国家神道”という呼称はマッカーサーが、この軍部の推し進めた神道教育をさした言葉で、明治以降の神道を意味するものではありません。その証拠に神祗庁解体後にGHQは神社神道である神社本庁設立を認可しています。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!

天皇以外も、氏神様がいるから、
天皇は、そのいろんな氏神様のなかで一番偉い神様の子孫って感じだったんですね。

なんとなく分かってきました。

お礼日時:2011/01/19 00:57

No.2です。



あ、それで、
神を先祖に持つというのはずっとそうでした。
日本書紀とか古事記とか(朝廷というか、政府の側が編纂したものですからそういう意図も含めて)。

古代は直接天皇が統治していましたが、後になると武士が政治に関しては直接力を持ちますね。明治からまた国家の形態が大きく変わったので、そこで変化がありました。「国家神道」とか。
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この回答へのお礼

天皇は神様の子孫だと、ずっと信じられていたのでしょうか。
あと、神様の子孫でも、人間(普通の人とは身分が違うけど)だと考えられていたんでしょうか?
それとも、やっぱり神か、神と人間の中間とかだと思われていたんでしょうか?

お礼日時:2011/01/18 23:57

>古代から、神様だと信じられていたんですか?


>蘇我馬子のころは、天皇暗殺とか平気でやってるから、
>あんまり権威がなさそう。

古代のほうが神様に近かったんじゃないでしょうか。
蘇我氏の頃は、権威があったからこそ、未だに事件として「大化の改新」と残っているのでは?

>ローマ法王やダライラマとかを「聖人」(厳密な意味じゃ違うけど)って感じることはあっても、
>それは、一般人とは次元が違う、「立派な人」っていう意味です。

質問者さん個人はそう考えているということですよね。これは我々は信徒ではないから、カトリック教徒やチベット人が見たらまた違うのだろうと思いますよ。
欧州など今日のカトリック教徒は宗教離れが進んでいる場合も多々あるようですから、「立派な人」と見ている人もいるだろうとは思います。

>でも生きている人を、「神」(つまり、人じゃない)って考えるのは、
>科学的な近代以降では、かなりすごいことだと思うんですが

今も生き神信仰が残っている国はあります。アジアに多いのかも。

天皇=神というよりは、神の子孫とか尊い家系という感じなのではないかと思います。そばに仕えていた人々はとにかく敬ってはいました。「お上」と。当時の記述を読んでいると王様のような感じはします。

死んだ人を神とか仏とか敬うのは、国や文化が違えばありえないことです。一神教の文化だったら神様は1つだけですから、死んでも人間は人間として扱われます。神にはならない。なっても聖人止まり。
自分にとって当然でも、他の文化に行ったら当然ではなくなることが多々あります。比較する場合は前提条件の違いを考慮にいれないといけません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!

>蘇我氏の頃は、権威があったからこそ、未だに事件として「大化の改新」と残っているのでは?

ちょっとよくわからなかったです。
権威があるのに、殺しちゃうんですか?
あと、大化の改新は、天皇暗殺じゃなくて、その逆だと思います。


アジアの生き神信仰のこと、もっと知りたいです!

お礼日時:2011/01/18 23:54

他人に読ませる文章を口語体で書くのはやめたほうがよいと思います。


ここは好意を前提に成立している場ですが、それでも礼儀は必要だと思います。
大学一年 日本語必修化
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20110115-O …

>古代から、神様だと信じられていたんですか?

初期の大和政権は、有力氏族の連合政権で、その中から選ばれた長を大王(おおきみ)と呼んでいました。
それが後の天皇になります。
なので、当時の大王や天皇を神と信じていたのではないと思います。


>ほかの貴族や武士とは別格って感じですよね。

それについては、その時代では権威としての天皇の地位が確立していたからだと思います。
天皇以外(=以下)の人たちは、天皇を権威と認めることで、同時に天皇から自分の地位や身分に応じた権力を認めてもらいます。それは同時に、他者に自分の地位の正当性を認めさせる事にもなります。
一方で皇室は権威の最上位であるので、血統がまず最重要になります。
権力は武力・財力さえあれば維持できますが、権威は畏怖・崇敬からくるもので、結果として、超自然的なものに頼らざるを得ません。(「運がよかっただけの成り上がり」と思っている者に、権威を感じる者はいません。)
私は、権威による権力の正当化自体を悪いとは思いません。近代のフランスは革命ですら、国王を否定しておきながら、ご立派な市民による政治を維持できず、皇帝と言う新たな権威に頼るという失敗をしていますし、共産主義も、何故か最期は、指導者を対象とする個人崇拝に陥っています。

古代の中国では、その権威を「天の意志」としたことで、易姓思想による王朝の断絶や交代が認められました。(反逆者も同じ理屈を使えるからで、結局「勝てば官軍」と変わりません)
日本は、それを神との関係による血統に求めた為、中国のような王朝自体の滅亡・断絶はなくなりました。
ただ、これらの思想は、平安以降のことだと思います。
つまり、実質的に権威が確立した後で、根拠を後付けで作ったわけですが、これはどこの国でもやっています。


>明治以降は、本当に神様だと信じられていたんでしょうか?

天皇が現人神として教えられたのは終戦直前の一時期だけです。
戦前の日本が自由のないファシズムの国であったとか、現人神と教えられたとか言う人達は、そんな時期の教育を受けてしまったり、調べもしないで上記の極僅かな期間を過剰に言っているだけです。
戦争とは、国の全てをその為に動員しなければ行えないものです。
その為に、どこの国でも愛国心を盛り上げる為に、自国の正義や民族の優秀性をアピールするなど、使えるものは何でも使います。歴史が浅くそれが出来ない国は、他のものを使います。(宗教心・正義・自由等)

明治維新当時の世界は、法に拠る統治が出来ない国は未開の野蛮人とされ、国家とは認められませんでした。
そして、そんな国は文明国(欧米)の支配による指導(植民地=搾取)を受けた方が、その国にとっても良い事だという理屈が通っていた時代です。
日本はそれを避ける為に、立憲君主制である大日本帝国憲法を制定し、国家元首(天皇)の権力を制限(実質無力)しました。
この目的は、日本は、個人の感情で法が無視されたり、政治が変わるような専制君主国家ではなく文明国であるということを示すためです。
国民に現人神という認識を植え付けるような教育は、その目的と矛盾します。
そのような教育をしなくても、国民からは非常に敬愛はされていましたし、敗戦後もそれは続き、今に到っています。


>でも生きている人を、「神」(つまり、人じゃない)って考えるのは、科学的な近代以降では、かなりすごいことだと思うんですが

その凄い事を、お隣では未だにやっています。
そこの学校の授業では、将軍様は超能力を使えると教えているそうです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!

●古代
>それが後の天皇になります。
>なので、当時の大王や天皇を神と信じていたのではないと思います。

大王と神は違います。
神だと信じられていた根拠(記録とか)を教えてください!

●中世
う~んと、神だと信仰されていたかどうかを教えてください!

●近代
終戦直前の一時期だけだとすると、いきなり「神」とか言われても、
国民は信じられないんじゃないでしょうか?
それこそファシズムだと思います。
もっと、長い歴史的な背景があるのかと思いました。

文明国だとアピールしたいのに、現人神とかいうのはたしかに矛盾しますね!

超能力もすごいけど、超能力者は人間だから、神とは違うと思います!

お礼日時:2011/01/18 23:50

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