奈良県外に住む者です。

たまたま、春日大社のサイトを読み、その歴史の深さに驚きました。

ところで、「春日若宮おん祭」は、12月15日から12月18日、

特に、遷幸(せんこう)の儀の行われる12月17日がメインのようです。

ウィキペディアでは、
1003年3月3日、1135年2月27日、1135年11月11日、1136年3月4日、1136年9月17日などの日付がありますが、
「12月17日」の起源がわかりません。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%A5%E6%97%A5% …

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例えば、京都の祇園祭などは、かなり詳細に歴史的な説明があり、それなりに納得がいきます。

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それで質問です。

質問1. 「春日若宮おん祭」の祭りの中心が12月17日になっている起源は何ですか。

質問2. 祭りの日付が変わることはよく見られます。旧暦・西暦の問題とか、曜日の関係とか・・・・・。もし、「春日若宮おん祭」でも、歴史的に変更があったのでしたら、その経緯を教えてください。

質問3. その他、何でも結構です。教えてください。

回答は、一部でもかまいません。また、個人的意見でも結構です。よろしくお願いします。

A 回答 (1件)

春日若宮おん祭は、


平安時代の保延2(1136)年9月17日にはじまったとされています。
その後祭日は、室町時代から11月27日、
明治11(1878)年からは現行の12月17日と変わりましたが、
その間絶えることなく続いたとされ、今年(2010)で875回を数えます。

(奈良国立博物館>お知らせ>プレスリリース>◇おん祭と春日信仰の美術)<2/5>
http://dns02.narahaku.go.jp/news/download/2010on …
「保延2(1136)年9月17日」&「室町時代から11月27日」の日付は何れも和暦ですね。

この祭礼は、関白藤原忠通が天下太平のために創始したという通説があり、
その一方、興福寺大衆が始め、そのもとで執行されてきたとも説明される。
両説とも若宮祭礼の出発点としてよく知られてきている。

しかし、この説は、江戸時代の17世紀後半ぐらいから春日社の神職の間で主張され始め、
18世紀前半に出版された藤村惇叙著「春日大宮若宮御祭礼図」に載せられて流布したものである。
祭礼は、興福寺大衆が大和支配(荘園支配)を目指して創出した政治的・宗教的儀礼空間であり、
興福寺に対して冷淡だった忠通がその中に巻き込まれていったという見方のほうが、
より正確であろう。
「天理大学> 生涯学習 >公開講座記録 >春日若宮祭礼と近世の大和」
http://www.tenri-u.ac.jp/lifelng/dv457k000000eoi …

上記の講師(天理大学附属おやさと研究所准教授幡鎌一弘氏)のHP
「大和文化研究>おん祭小論」も興味深いです。
http://www3.kcn.ne.jp/~hata6144/submaturi.htm

さて、保延2年9月17日創始(保延3年説も有り)は良しとしても、
「9月17日から11月27日」に変更された時期と理由については、
上記(奈良国立博物館>◇おん祭と春日信仰の美術)では
「室町時代から」とサラッと流していますが、

『仮屋からみた春日若宮祭/森隆男/
関西大学博物館紀要第4号/1998.03.31(pp.82-89)』
http://kuir.jm.kansai-u.ac.jp/dspace/handle/1011 …
<6/8上段15行目>では「応永末年(1428)に祭礼が11月27日に変更となった。」
と記述されています。

その一方、前掲の幡鎌一弘氏『近世春日社における歴史のナラティブ
―春日若宮祭礼創始説の再検討― 幡鎌一弘』
http://www.pref.nara.jp/secure/14191/r101.pdf
<3~4/19 表 若宮祭礼創始などの由緒>では、
「9月17日から11月27日」に変更された時期と理由など24の史料を掲げ
「寛正年中」など諸説あって定まらない様子を示しています。

また、『古事類苑[第61冊]神祇部25 神祇部七十二 春日祭(春日若宮祭併入)/
神宮司庁古事類苑出版事務所編/神宮司庁/明29-大3』
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/897624/93
(93~97/163)の〔春日大宮若宮御祭禮圖〕などによれば
「一 保延三丁巳年九月十七日子刻に、御旅所に出御なし奉る、
元文五庚申年まで、凡六百年餘、是より毎年九月十七日に行はるといへども、
故障ありて月日の替りあり、又去年今年を合て、
一年に五月十一月兩度有し事もあり、略レ之慶長三年より以來、
十一月二十七日に定られし事、奥に記す
又元祿十一年大雪、如レ常行はる、正德二年十二月廿七日に行はれ、
廿八日、後日能御赦免、又後日能雨天にて、廿九日又十二月朔日に有し事、
又天和元年廿八日子刻に初りし事委略レ之」などのほかが記述されています。

◇参考:愛媛大学鈴鹿文庫『春日大宮若宮御祭禮図>春日若宮御祭禮略記』
http://www.lib.ehime-u.ac.jp/SUZUKA/251/index.html
(047.jpg~048.jpg)
http://www.lib.ehime-u.ac.jp/SUZUKA/251/047.html

あと、上記(奈良国立博物館>◇おん祭と春日信仰の美術)から
現行の「12月17日」に変更された時期は、明治11(1878)年なのでしょうが、
残念ながらその理由の手懸かりは見出せませんでしたm(_"_)m
改暦から6年の隔たりがあるとはいえ、改暦が一因と考えられます(私見)。

以上、全くまとまりのないままですが、
少しでもヒントになれば幸いです^^
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