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黒人開放運動とか、奴隷解放とか、・・・・虐げられた人間たちの開放への悲痛な叫びが暴動になり、政局を覆し、民主的な国家に生まれ変わる。一方、民主国家においても、幼稚園から老人ホーム迄、虐めの頻出はおさまらない。一見、全く別の次元の話のように見えるが、双方共に根底にある差別意識、つまり自分が他者より優れており、他者を支配しようという意識、から起こるのではないだろうか。人間は人間を裁く事はできず、全ての人間が人間らしい誇りを持って、夢と理想を抱いて生きる権利がある事を、初等教育からしっかりと教えなければならないのではないだろうか。キホンテキジンケンノソンチョウと難しい言葉で教えるだけでなく、全ての人間が平等で対等であり、全ての人がみなすばらしい人生を与えられているのであり、他者の誇りを奪い取ろうとしたり、キヅ付けることはとても悪いことである、という基本中の基本を、優しい言葉で何度も繰り返して教え続ける、ということが、教育において最も大切なことなのではないでしょうか。
頻繁におこる虐めと虐げられた人間たちの暴動は、根っこは同じ所にアル、と思うのです。子供の時から、自分の夢を追い求めることの大切さをとき、同時に他者の誇りをキヅ付けてはいけないこと、を毎日繰り返して全ての親が我が子に教え続ければ、すばらしい社会が生まれるのではないか、と思うのは甘いでしょうか。人が人を支配する事はできない、という基本中の基本を忘れていないでしょうか。

A 回答 (4件)

そういうのを救うのが政治である。



今すぐに全国民を平等に扱う社会システムを構築するような政治に変えることはできなくても現状打破することはできるはず。
それは封建社会(江戸時代)、明治、大正、昭和の民主主義の歴史を見ればわかるはず。
そしてそれは現状が最高地点なのではなく、今後も進歩進化していくはず。(国民が聡明ならばね)

にもかかわらず、選挙の時になると、みな知った顔をして
「誰が政治家になっても今の世の中変わるわけじゃないしねー」
と言い出す。この意見がもっとも”オトナの意見”としてまかり通ってしまうのが今の世の中。

それで”うれしい思い”をしているのは、既得権益をがっちりつかんで放さない、この世を握っている連中、支配層の連中なわけだ。(官僚、議員、高額所得者連中・・・etc)
この国、日本にくらいつき、日夜チュウチュウと国民の生き血をすすっておいしい思いをしている。
こういう連中がずっと選挙で通ってしまう。なぜなら国民がバカなので選挙に通してしまうから。
で、官僚、高額所得者がこいつらとつるんでいるわけ。


そういう連中を追放し、貧乏人に光明を当てるのが政治の役目なのだが・・・・
つまり貧乏人は自ら解放の道を閉ざしているってわけ。

いつになったら気がつくのかなあ?
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アメリカだって北朝鮮だって今では日本でも底辺の人間のほうが圧倒的に多いことは事実です。


しかし虐げられた人間が立ち上がろうとしてもそれ以上に権力に押しつぶされていて
立ち上がれないのが現状だと思います。    
日本は比較的自由だと思いますが弱者の意見を代表する選挙制度では有りません。

アメリカの選挙制度は金が有るもの、あるいは金を集められるものが有利な制度になっています。
革命は基本的に弱者の数と権力の力関係が弱者の数が上回ったときに起こるものと思います。
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人間ではありませんが生物の世界には、平等で争いも優劣もない世界がありますよ^^


アメーバーは自己分裂して増殖します。アメーバーAもBもCもみな同じです。何故なら完全なコピーシステムだからです。そこには争いも優劣もない。みな同じだから。
進化論を信じるなら、生物はその理想郷から進化の過程で有性生殖による種の保存を生み出した。メスをめぐる争いも生まれる。優劣も生まれる。何故そんな選択をしたのでしょう。
あくまで個人的な考えですが、一匹のアメーバーが何らかのウイルスに感染して死ぬ事は、すべてのアメーバーの死の可能性を意味する。何故ならすべて同じだから。All or Nothing
有性生殖の生み出した個体のばらつきは、ウイルスに感染して死ぬ個体、生き残る個体を
生み出す。柔軟性です。
アメーバー型の種の保存方式を仮に「永遠の連鎖型」と呼ぶなら、有性生殖型の種の保存方式は「無限の連鎖型」とでも呼べばいいのでしょうか...
今後の環境変化次第では、永遠の連鎖型か無限の連鎖型か、どちらが未来に生命を繋ぐのか誰にもわからないと思います。どちらが優れているという別はなく、コインの裏表のようなもののように私は思います。

長い前置きで済みません^^。民主主義の基本理念を少し掘り下げて書きます。
民主主義は西洋型社会(ソサエティ)で生まれました。もともとキリスト教文化圏であり、「神の下の平等」が「法の下の平等」に変化したと考えます。「聖書の教義」にあたるものが「民主主義の理念」に変化したと考えればわかりやすい。
2000年以上続く大宗教を土台に作られたのですから、民主主義の理念は平和のための深い洞察を持った指針である事は間違いありません。
ではもう一段掘り下げて、土台にあるキリスト教って何かを考えます。
hyouronnka さんは名前も顔も知らない誰かの死と、身近な誰かの死を同じ痛みを持って受け止められますか? 身近な誰かの死なら何年も昼も夜も思い出す人もいるでしょう。
知識や情報としての死と実感としての死は別のものです。
キリスト教というのは「見知らぬ誰かの死と、身近な誰かの死を同じ痛みとして受け止めようとする日々の修行のようなものではないか?」と私は思っています。神の教えとの対話です。
ではイスラム教はどうでしょうか?教義が違うだけで基本構図としての神の教えとの日々の対話という部分は同じではないでしょうか? 民主主義の理念を知る我々から見ると、
イスラム社会は差別的に見えます。でも一神教を信じるという事はそういった外側から見れば差別的な要素も含め修行の内です*笑い*イスラム原理主義イコール過激派と思ってる人が日本には多いですが、「イスラム原理主義」として評価されることの多いワッハーブ主義を国是とするサウジアラビアは、穏健派の親米アラブ国家の代表格ですよ。一概には言えないのです。時には民主主義原理主義(民主主義の理念を強制すること)がアラブの人々の心に憎しみをためることもあるとおもいます。一神教から始まった社会の弱点はアメーバと同じAll or Nothingです。他の価値を受け入れにくい。
では日本社会って何でしょう?私は有性生殖型の社会だと思います。柔軟性があるので、西洋型社会(ソサエティー)を簡単に吸収しました。良い部分もいっぱいあります。しかし弱点もあります。日本の社会制度はソサエティーであっても、そこにある精神は「世間」の精神です。たとえば悪人がソサエティーの法や慣習にのっとり社会的制裁を受けたとします。西洋ならそこで終わりです。日本の場合そこから世間の制裁が始まります。エスカレートして一人の人間に対して人を殺したわけでもないのに全国中の人間がネット上などで正義の名の下の私刑(リンチ)をはじめることもあります。世間の目というのは元々顔の見える小さな共同体の中でうまく機能するものです。それがネット社会のような大きな匿名の共同体全体が世間となって一人に襲いかかる。ソサエティーにも世間にもなれない宙ぶらりんが日本の弱点だと思います。
つまり永遠型のイスラム社会や西洋型社会にも弱点があるし日本社会にも弱点がある。
私は民主主義の理念だけでは世の中ましにならないと思いますよ。

もし宇宙に生命を未来につなぐ意思のようなものがあるなら(それを神と呼ぼうがベクトルと呼ぼうがご自由に^^)私は永遠の連鎖型も無限の連鎖型も両方内包したものだと思います。一神教的世界観の持ち主も、「神は聖書をコインの表として裏側にもう一つの無限型の世界観を用意されていた。」ぐらいの柔軟な発想は持てないのかな?
たかが理念、されど理念、世界はいまもう一度理念の再構築の時期じゃないかと私は思います。
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観念としての考え方は甘くはありません。


しかしここは質問と回答のサイトです。
意見投稿や募集は他でされてほうが良いかと。
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