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以前本で、やが禄として、死者の衣類や牛馬の死体などを得ていたということを読んだのですが、他にはどんな禄があったでしょうか。
また、その禄は「暗黙の了解」として認知され、その禄を得ることもまた、蔑みの対象となったでしょうか。

昨年大阪で、河川の拾得物を着服していた不祥事がありましたが、
もしかして、背景にこのような「禄」という感覚があったのを、現代にまで引きずっていたのではないかと思いました。
私の歴史的な関心からの勝手な推測なので、何かご意見いただけたらうれしいです。

当方は同和問題にはあまり詳しくなく、この質問も同和問題や同和政策の是非を問うものではありません。
不快な質問となっておりましたら申し訳ありませんが、よろしくお願いします。

A 回答 (4件)

こんにちは。


bungetsuです。

まず最初に断っておきますが、序列としては、「」の次に「」となります。

は、心中のしそこない等で、人間としての権利を剥奪された者を指します。
また、溜りと呼ばれる所に集められ集団生活をさせられていました。
江戸で有名なのは、荒川土手の溜りで車善七が率いる集団がもっとも活躍し、死罪になった者の首を洗ったり、寺へ運んだりして駄賃を得たり、土手の痩せた土地を開墾して食料を得たりしていました。
また、は「銭」さえ出せば「庶民」になることもできました。従って、親兄弟や親戚が裕福であれば、から庶民に戻れたのです。ただし、一生涯庶民に戻れない人も多かったのです。

は、手っ取り早く言ってしまえば、「狩猟民族」を指します。
江戸時代では、仏教や儒教の精神で、「動物の肉を食べる者」が一番「汚らわしい」とされていたためです。
従って、は「マタギ」などを生業とする人たちでした。狩猟をし、動物の肉を食い、皮は革製品などにして販売をしていましたので、よりも裕福な家もありました。


>>「穢れた糧を得る」「汚い(または卑劣な)仕事をして収入を得ている」といった見下しはあったのでしょうか。

当然、であれば「人間に非ず」。また、も「肉を食する穢れ者」として軽蔑されました。

>>清掃作業で拾ったものは、そのままもらえるといったことはあったのでしょうか。
(仮にそうであっても、あまり価値のあるものは、頭なり、武士?なりに取られてしまいそうですが。)

これは、見つけた者の「役得」でした。
ただ、溜りでの序列もあり、子どもなどが見つけて拾ってきた物などは、頭に取りあられたりしました。
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この回答へのお礼

再度の回答ありがとうございました。
昔のことが生き生きと感じられて、楽しいです。

お礼日時:2011/02/15 22:12

えた、の業務としては、


1.土木工事関係、2.清目(きよめ)という死者の埋葬関係と
動物死体の処理関係、ごみなどの清掃関係、3.という
遊芸、遊女関係の三種に大別される。

村では、村役人が土木工事、墓掘りと埋葬などに雇い、給金を
出す。  寺では寺男として埋葬のほか雑用や警備に雇う。  
橋番(橋守)をさせ通行料を取らせて収入にしたという。

江戸では町屋では自警組織があり、番屋が多く作られたが、
町民は番をするのを嫌い、を雇った(番太という)。
また幕府がを集め、前記などの仕事を与えた。

町や村を離れたところでは、ざるのような、竹や藁の細工品を
作って売ったともいう。

仕事柄役得があり、結構収入はあったようです。

室町時代以前では、ほかに罪人の処刑なども行い、警備関係
が多く僧兵などもがいたという。
僧でないので法師武者といわれた。

もちろん前記1、2、3、の業務をふくめ一般の人も行っていました。
同様評価が低いこともありました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

島崎藤村の「破戒」を今最初のほうだけ読んでいるところなのですが、
主人公の知っている有力者が、金持ちのエタの娘を秘密裏に嫁にもらう場面がありました。

差別の対象なのに金持ちというのが解せなかったのですが、役得から収入があった人もあるのですね。

ご回答の最後の部分に「同様評価が低いことがありました」とありますが、
これは、エタと同じ仕事に従事した者も、差別の対象となったという意味でよろしいでしょうか。

お礼日時:2011/02/13 16:46

こんにちは。


私は、自称「歴史作家」です。

>>もしかして、背景にこのような「禄」という感覚があったのを、現代にまで引きずっていたのではないかと思いました。

やは、牛や馬の死骸を貰い受けて、革製品を作ることを許されていました。
そして、革製品を売買して「かて」を得ていました。

NO1の方に対抗するわけではありませんが、
建設費80万両・・・は、やに与えられた金額ではなく、要は、工事費の諸々が80万両かかった・・・と言うだけです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
「カムイ伝」に死んだ牛馬を運ぶところを軽蔑されるシーンがあったように思うのですが、
「穢れた糧を得る」「汚い(または卑劣な)仕事をして収入を得ている」といった見下しはあったのでしょうか。
小説や漫画で読んだイメージに引きずられてしまうので、よろしくお願いします。

清掃作業で拾ったものは、そのままもらえるといったことはあったのでしょうか。
(仮にそうであっても、あまり価値のあるものは、頭なり、武士?なりに取られてしまいそうですが。)

島崎藤村の「破戒」は少しずつ最初のほうだけ読んでいます。

お礼日時:2011/02/13 16:35

品川台場の建設は彼らが請け負っていて、その建設費は80万両です。


横浜港も神奈川の者が建設しました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
土木工事等もしていたんですね。
港湾建設に従事させられたのは、キツくて危険な作業だったからでしょうか?

お礼日時:2011/02/13 16:19

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