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司馬遼太郎先生の意見によると、民族には3人の革命的な指導者がいるとのことです。この革命的とは、政治的ではなく戦略的な意味合いがあるようです。

そこで、皆さんにお伺いしたい(田原総一郎調で・・・)。日本の革命的な戦争指導者は?

●国内紛争の解決者でもよいです
●国際紛争の解決者でもよいです
●解決とは、必ずしも 勝利した でなくてもOKです

(例えば、平将門さんでも閉塞した日本を変えようしとた意味で革命的と考えます。)

個人的には、源義経さん(大将の一騎打ちの勝敗から、団体戦の勝敗に観点を変えた)、織田信長さん(最新兵器の鉄砲を戦略的に運用した)、東郷平八郎さん(戦力的には不利だった海軍でロシア艦隊を撃破した。その意味では児玉源太郎さんも準じることになりますが・・・)のお三方です。

A 回答 (5件)

私も信長は同感です。



あとは、坂本龍馬(脱藩して暗殺されるまでわずか5年の歳月であれほどのことをやったのですから。)
と、実在すれば、神武天皇でしょうか。やはり、2600年以上続く家系の祖というのは、世界的に凄いことですからね~
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

坂本竜馬は、軍事力より政治力を評価されるべきでしょうね。しかし、政治力というよりフィクサーとして政治をコントロールする力量を評価するべきでしょうか。どちらにせよ、従来の枠を超えた政治力は「革命的」であることは間違いありません。
(爆弾は火薬が爆発することで破壊力を生じますが、信管がなければ爆発できません。その意味で、幕末~明治初期には「信管」たるキーパーソンが多くいたことは、日本にとってラッキーだったかも知れません。)

神武天皇は、初代天皇ですね。この方がいないと、日本は始まらない・・・ですよね。でも、皇紀2670年の日本は迷走を続けています。革命的な指導者がでないと収束しないのか、それとも革命嫌いの日本人はこの迷走を受け入れるのか・・・困ったもんです。

お礼日時:2011/03/07 03:11

三人に絞るのはちとむずい^^;



「天武天皇」
おそらく、この人万世一系の人でない。壬申の乱は革命だと思います。

「藤原仲麻呂(恵美押勝)」
この人、失敗したけど明らかに天皇に取って変わろうとした。恵美押勝の乱は易姓革命思想が根底にある。

「源頼朝」
ブレーンは下級公家の三善ではあるが、担がれた方なので。東国(武士階級)の独立を勝ち取った。彼以降、徳川家康が「公家諸法度」により貴族階級を完全掌握するまで、この国は貴族階級VS武家の長い長い権力闘争が続き、二重支配体制であった。

「西郷隆盛」
この人だけは、三人選ぶとき必ず入る人だと思う。西南戦争ではなく、幕末の倒幕活動家として。あまり話題にならないが、彼の幕末期の陰謀の凄みはこの国で最高の革命家だと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

壬申の乱は、太子VS皇弟の骨肉の争いで、しかも反乱者側の勝利・・・で、かなり後味の悪い革命でもあります。

(後味が悪い・・・天智天皇の太子・大友皇子(おおとものみこ、明治3年(1870年)、弘文天皇の称号を追号)が負けて、1100年も経てから天皇の称号をもらうことになり、それまでは皇太子でありながら、逆賊にされていたことがあげられます。)

源頼朝さんは、政治的には老獪な面が際立ち、しかも兄弟を抹殺するなどの方法は戦略・戦術以前に ややっこしい人 の感があります。

お礼日時:2011/03/07 14:19

 


 四大革命 ~ 壬申・関が原・維新・玉音 ~
 
── 中学三年になってようやく、日本史の授業を受けることになった。
 先生は、黒板に「日本三大革命」と大書して、大化改新・明治維新・
昭和終戦、を列挙された。(わたしの自伝より)
 
 いまでは、大化改新(0645)の史実が怪しまれ、やや下って壬申の乱
(0672)によって、天皇制が確立したと解釈されます。
 このとき天武天皇は、神武天皇の再来として君臨したのです。
 
 ただし《日本書紀》の神話に登場する神武天皇は、天武天皇を神格化
するための、架空の人物にすぎません。建国記念日(前0660)を、古代
中国の春秋時代(前0770~0403)に置くのは、まさに荒唐無稽です。
 
 徳川幕府の治世265年(1603~1868)は、世界史上に冠たる長期政権
の記録であり、以後の官軍司令官となった大村益次郎が、帝国陸軍の祖
と呼ばれます(西郷隆盛は、なぜかもっとも人気のある敗軍の将です)。
 
 かくて大東亜戦争の開戦と終戦の統帥権が、昭和天皇のものとなり、
日本初の敗者として、連合軍司令官マッカーサーに呼びつけられます。
 勝者による戦争裁判は「天皇を裁かず」という大原則で開廷します。
 
── 敗者の責任を問う極東軍事国際裁判は、天皇誕生日の起訴にはじ
まり、皇太子誕生日の絞首刑で完結した。
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19921223 極月〆日の極東極刑
 
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

ご高説を昇華すると、国体を廃し民主主義に転換させた功労者のマッカーサー最高司令官が革命的な戦争指導者と言えなくもないですね。なぜなら、時の総理大臣吉田茂さんから「名誉国民」の称号授与の打診があったからです。しかし、マッカーサー最高司令官の誤算は「極東の平和と自由主義の確立が、米国に多大なる貢献をした」ことが、米国民に評価されると思ったことでした。その結果が、トルーマン大統領からの解任です。

(その意味では、マッカーサー最高司令官も政治的にはNGです。)

お礼日時:2011/03/07 14:09

対外的な戦争で日本が勝ったことはあるのだろうか?


日露戦争を挙げる者が多いが、あれは戦略面で見れば勝利とは絶対に言えない。

世界の果ての島国で派閥構想をやってきた国に、軍事的指導者はいないと思いますよ。

個人的な所感ですが、義経は戦術面では優れているでしょうが戦略面はダメです。
指導者と言うぐらいであれば、謀殺されているようでは話にならない。せめて頼朝を
殺すべきでした。信長は最新兵器の重要性を認識して、補給を確保したことは大きい。
しかし、これは戦術レベルではないだろうか。他の点ではマシだと思いますが・・・。
東郷平八郎に至っては、どう足掻いても勝てないと認識できたはずなのに、負け戦を
引き延ばして、味方を大量に殺した。まあ、旧日本軍に戦略があるとは思えませんから。

以上の点から、質問者の挙げた3人のうちの2人は、戦略面が壊滅的だと思われます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

ご意見のごとく、源義経さんは政治的な工作はほとんどダメで、お兄さんから「朝廷の官位はもらっちゃダメだよ」って言われたのに判官の位をもらって、敵方の娘さんまでもらっちゃったので、ほぼ「俗人」でしょう。しかし、騎馬戦による機動力戦法は従来の戦争方式を変える画期的な方法だと考えます。

(従来の矢合わせ、有名武将の名乗り、一騎打ちなどの合戦手順を踏まず、組織的な騎馬による白兵戦は、敵方の平家軍はビックリしたでしょう。ただし、義経さんは少数精鋭のゲリラ戦では成果がでていないようです。)

お礼日時:2011/03/07 14:00

北条時宗


非御家人まで動員した。とりあえずモンゴル侵攻を防いだ。

鎌倉幕府の軍事的な指導下には御家人だけが含まれるのですが、彼は御家人以外も動員した。
そこが革命的
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

圧倒的な軍事力と国力を持つ元を2度も防衛戦で勝利できたことは、まさに神がかりです。台風により海上戦力を失ったことは「神風」で表現されていますが、元の前衛部隊は「疲弊しすぎて戦意喪失」だったことも防衛戦でなんとか互角に戦えた要因の一つです。
鎌倉幕府の危機意識の高さを現在の内閣に学ばせたいものです。

お礼日時:2011/03/07 02:54

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