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現役引退からすぐに監督就任した選手って他にいるの?
西武の伊東捕手が今シーズンかぎりで引退し、来年は監督となるみたいです。
そのニュースを知ったとき、僕は「そういえば、あの長嶋さんもそうだったなあ…」と思ったんですが、この「現役引退の翌年には監督」のケースは他にあったんでしょうか。もしあれば他に誰がいるのか教えて下さい。
回答(6件)
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ちょっと遅いですがまとめました。
[引退後即監督]
・坪内道典(中日・1952/38歳)
1951年/454打数126安打.278(打撃21位)で引退
・藤田宗一(国鉄・1954/40歳)
現役生活は僅か4年、規定打席到達は1年目だけ
・杉下茂(中日・1959/34歳)
1958年/11勝9敗1.78(防御率5位)で引退
1961年監督辞任後大毎に選手で復帰、32試合85回投げ る
・稲尾和久(西鉄・1970/33歳)
1969年/1勝7敗2.78で引退
・長嶋茂雄(巨人・1975/39歳)
1974年/442打数108安打.244(打撃24位)で引退
・広瀬叔功(南海・1978/42歳)
1977年/119打数29安打.244で引退
・有藤道世(ロッテ・1987/41歳)
1986年/88打数16安打.182で引退
[プレイング・マネージャー(選手兼監督)]
・水原茂(巨人・1950/41歳)
・浜崎真二(阪急・1950/49歳_翌1951年から監督専任)
・小島利男(西日本・1950/37歳_同年引退)
・宮崎要(西鉄・1950/34歳_監督兼任で新入団、翌1951年 から選手専任)
・湯浅禎夫(毎日・1950/48歳_1試合だけ登板)
・松木謙治郎(阪神・1950-1951/41-42歳)
・山本[鶴岡]一人(南海・1950-1952/34-36歳_翌1953年か ら監督専任)
・中島治康(大洋・1951/42歳_同年途中から選手に戻る)
・別当薫(毎日・1952途中,1954-1957/32,34-37歳_1953 年は選手選任、1958年から監督専任)
・若林忠志(毎日・1953/45歳_奪三振記録の為2試合登板)
・白石勝巳(広島・1953途中-1956/35-38歳_1957年から監督 専任)
・藤村富美男(阪神・1955-1956/39-40歳_翌1957年選手専 任)
・野口明(中日・1955/38歳_翌1956年は監督専任)
・藤井勇(大洋・1955/39歳_翌年選手に戻る)
・笠原和夫(高橋・1956/36歳_主に代打出場)
・岩本義行(東映・1956-1957/44-45歳_翌1958年から監督 専任)
・中西太(西鉄・1962-1969/29-36歳_1969年途中から選手 専任、同年引退)
・小玉昭利(近鉄・1967/32歳_翌1968年阪神に選手として 移籍、監督引き受けなければ2000本打ってた筈!通算 1963安打)
・村山実(阪神・1970-1972/34-36歳)
・野村克也(南海・1970-1977/35-43歳_1977年途中から選 手専任)
・江藤愼一(太平洋・1975/38歳_翌1976年ロッテに選手と して移籍)
そういえば、西武の石毛宏典選手がプレイング・マネージャー要請を断ってダイエーに移籍しましたっけ・・・
この回答へのお礼
ありがとうございました
王さんは「助監督」でしたね。
さすがにN嶋さんの失敗に懲りたんでしょうね。
選手兼任監督といえば、江藤さんがいました。
大洋(現横浜)から太平洋クラブライオンズにトレード(?)でやってきて監督。
「黒い霧」事件以後低迷していたライオンズをAクラス入りさせたんだけど、1年限りで、選手も監督も解任されたな。
外野から審判に抗議しにいったのは彼だけだな。
この回答へのお礼
ありがとうございました
No.3ベストアンサー10pt
プレイングマネージャでやっていたというのは村山、野村などありますが、引退即監督となると意外にいないものですね。記憶にあるのは、ロッテの有藤さんぐらいかな。
この回答へのお礼
ありがとうございました
No.2ベストアンサー20pt
現役引退の翌年ではありませんが、阪神の故・村山実氏は、現役選手を務めながら監督を兼任してたはずです。記憶がちょっと曖昧…間違っていたらごめんなさい。当時はこういった例が外にもあったと思うんですが…?
この回答へのお礼
ありがとうございました
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