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私は、知性は、身勝手な感情をコントロールし、人や人の活動を助ける大切なものだと思ってきました。そのため、私も知性を磨くために知的好奇心を大切にしてきました。

しかし、最近は、そのイメージが変わってしまい、少々混乱しています。アカデミックな考え方の大切さがわからなくなってきたので、どなたかご教授お願いします。

私は最近大学と行政に関係する職場で働いています。普通の企業で働いていた時と違い、大学の先生は、意見がコロコロ変わり、話しと資料が無駄に多く、実現性と実践性が乏しい案を思いついては、指示を出すことが非常に目立つと感じています。マネジメントとオペレーションが混乱し、職場全体の仕事の質が下がっています。政治の諮問機関に高名な学者さんたちが、いらっしゃいますが、どのように役立っているのか、全くイメージできなくなりました。

一般の企業で指示を出す人がそのようでは、忽ち問題になって、マネージャーや社長は、交代させられる可能性が高まります。しかし、大学は、旧態依然とした縦社会でそのようなことは、ほとんど起こらないと感じます。

「大学の先生っちゅうのは、難しいこと言ってるけど、中身はあんまりたいしたことねーなー。」という似たような意見をお持ちの企業で働いている方にお会いします。

アカデミックな考えや取り組みって何の役に立つのでしょうか。ある大学の先生が、アメリカのコミュニティカレッジは、アカデミックさがないということで批判されているのを聞いたことがあります。理解に苦しんでおります。

A 回答 (4件)

 科学と工学がきちんと区別されていない。


 これまでの科学は、小さな「?」がそもそもの始まりだった。まあ、口は悪いが、趣味の延長のような所があった。だからゼニカネ抜きで没頭する連中が食っていくために、大学が存在していたような所がある。
 ただ現代はそれら科学的成果に対して「役に立つのか」という、厳しい視線が注がれるようになった。この利益を目標として、科学的知見を活用する学問を工学という。さまざまなリーダーの肩書きを見ても、工学畑の出身者(衣料のしまむらの社長、宋文洲さんなど)は確実に増えている。
 現在の日本ではまだその区別がついていないため、有識者と称して役に立つ意見を言えないどころか、変化へ全く対応できない輩も多い。今回の地震でも、適切な救援活動ができなかったのは、いわば理屈ばかりこね回していた専門家と称する連中の存在が大きい。つまり、現実を理解しようとせず、現場を的確に認識できなかったから。
 だから、これからを考えるのであれば、「使えるかどうか、活用できるかどうか」という視点から自分で峻別していけばいい。意見がコロコロ変わるのは、本人も悩んでいるから。そんな奴を心配していても仕方ない。たんに肩書きだけの連中の末路だから。

 もし興味があるなら「社会システム論」の本に、理論を説明したものがある。とにかく社会と呼吸しているような理論を学ぶべき。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。大変参考になりました。一見価値のないような研究でも、状況とタイミングによっては、必要とされることがあるということは、理解しております。ただ、それを言い訳にして工学的な視点を無視する状況が放置されてしまうと社会に大きな歪を生みそうですね。社会システム論の本を購入して読んでみようと思います。ありがとうございました。

お礼日時:2011/04/13 23:29

 大学に勤務しています。

ある意味、耳の痛い質問ですが、誤解されている部分もあると判断しています。アカデミックが何を意味しているのか分かりませんが、長所・意義を書きます。
 教員でも、文系と理系の者で、考え方が全く違います。
 
 文系の教員は、理想の事象を提案します。「環境」というが概念は、文系の発想だと思います。私が小さい頃は、通学路の近くに、工場廃液でヒドイ匂いの川がありました。ですが、マスコミを含めて、誰も何とかしよう、などはありませんでした。理系は、なんとかと考えても、改善する方法・具体策がなければ、提案しても、理系の学会では笑われるだけです。すなわち、概念的(悪く言えば空想的)な問題点を指摘し、「正すべき」と提案する力をもっています。最近の、セクハラ、個人情報なんぞは、理系では問題視されていませんが、今では社会認識されています。
 理系は、科学的であることを要求します。科学的というのは、再現性=実現性が大前提です。実現するには、予算とか効率とかが重要ですから、空想した「良くしよう」という提案ではなく、「こうすれば実現できる」という案を考えます。現在の東北関東大震災なら、「復興しよう」という反対することが出来ない案ではなく、「どこから手をつけるのか」、予算、人員、物資に立脚した現実的な案を立てます。

>「大学の先生っちゅうのは、難しいこと言ってるけど、中身はあんまりたいしたことねーなー。」という似たような意見をお持ちの企業で働いている方にお会いします。
 ですから、文系の者には、現場では振り回されると想います。提案は立派なので、反対できないのですが、現場では具体的な策が無い、ということが多いでしょう。「なんとかしないと」は全員賛成ですが、「ボランティア」なんぞのプランを作り出せても、被災地には未だに入れない、のが想い浮かびます。
ボランティアの概念を誰が考えたのかは知りませんが、理系の発想ではないと思います。もうすこし時間がたてば、有効に機能するでしょう。
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この回答へのお礼

理系と文系の大学の先生の社会的役割について理解できました。ありがとうございました。

理系、文系を問わず、経験を通して学ぶこの多い現場感覚や社会常識を専門知識を学んだプロセスで学べると考えている人が大学には多いと感じています。先に大学での地位の足場を固めてしまうとプライドに邪魔されているようにも見えます。悲しい限りです。専門知識を学ぶプロセスでは、学べないことがあるという経験を積む機会を作ることができれば、大学はもっと機能すると感じます。

お礼日時:2011/04/13 23:45

>大学の先生は、意見がコロコロ変わり、話しと資料が無駄に多く、実現性と実践性が乏しい案を思いついては、指示を出すことが非常に目立つと感じています。

マネジメントとオペレーションが混乱し、職場全体の仕事の質が下がっています。

具体的な内容が分かりませんが、これは単に「実務がだめな理想派大学教授」のはなしでしょう。

事実だとは思いますが。

>アカデミックな考え

は大学の存在理由というか基本で、重要だと思いますが、

それと「(実践的な)取り組み」を結びつけるのはたいそう難しいことだと思います。

別の才能が必要だと思います。
2つの才能を持つひとは余りいないと思います。
大学も経営にはそれに適した人が必要なのではないでしょうか。
相撲協会などもそうするべきです。
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この回答へのお礼

おっしゃるように、理想派タイプの大学教授だと思います。実務経験もしっかり積んだ方であれば、理想とのバランスが取れるのだと感じます。ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/04/13 23:19

http://jp.wsj.com/japanrealtime/2011/03/18/%E3%8 …

こういうスタンスがアカデミックでは?

原理に基づき、視点がぶれない。
原理がわからないと、遠いところから吠えているようにしか聞こえない。
具体的な対処はどうするんだよ!という疑問です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。そうですね、感情的になって混乱する状況に客観的なデータで秩序をもたらすことが、アカデミックな部門の役割だと思います。参考になりました。

お礼日時:2011/04/13 23:10

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