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「なぜ人間は死ぬことをわかっていながら,生まれてくるのでしょうか。」
」ことの答えられる方教えてください。死ぬことがわかっているならば,最初から生まれてこなくてもいいのではないですか。こんな無駄なこと不合理ではありませんか。別に人間がこの世に存在しなくてもいいではありませんか。生まれてこなければ,生きていることに苦労して,死ぬことをおそれるともないでしょう。

A 回答 (31件中1~10件)

はじめまして。


実際、自分の意志でこの世に生まれてくるものは生物の中ではいないと思います。生まれたことにより 生きていることに苦労して,死ぬことをおそれるんじゃないんでしょうか?生まれなければ死なないし、それが選択できるのであればこの世にいる人は生まれることを選択したことになります。私は生と死は一対で1=1で考えてます。
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この回答へのお礼

なにが正しくて,が正しくないか、を判断するつもりはありません,みなさんが私の「質問」でご意見を伺いました。私の「質問」たくさんの方にお答えを頂き,ありがとうございます。ここでお答えを頂きました皆様方に感謝いたします。 さまざまなお答えで、いろんな解釈があることを教えていただきました。まだまだ回答がございますでしょうが、ここでおわらせていただきます。 

お礼日時:2001/04/21 15:57

またまたnobor3です。


ぼくは、あなたの「生まれる前 0 こ世にいるのが1 死ねば0 」という仮定自体にあまり根拠が無いと思います。
ちょっと仮定を変えてみれば「生まれる前=0、生まれる=5、死ぬ=-1」とすれば、0+5-1=4になるわけだし、もしかしたら「生まれる前=0、生まれる=5、死ぬ=1」で0+5+1=6かも知れないじゃないですか?
こういう計算って、ばかばかしいと思いませんか?
生死ってこんなふうに、単純に数値化できるような問題じゃないですよ。
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>そんな気持ちはさらさらないです・・・・・・


>そのとおりです。私はそのように生きています。

失礼しました。

>0-1-0 とすると結局は 0=0ですね。この1に不合理だと思っているのです。

この1を不合理であるとして、退ける事に成功した状態が「涅槃」です。
と、言うわけですので、これ以上の議論は特定の宗教である「仏教」
の話になりますので、残念ですが、これでおしまいです。
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0-1-0-1-0-1-と際限なく、ではないでしょうか。


今チューリップが咲いていますがこれは真夏には姿を消して冬の内にまた芽を出します。そして春に咲いて夏に消える。なんでずっと夏のまま地中で過ごさないのでしょうか。あるいは春のままで咲きつづけないのでしょうか。
水は空から降ってきますが川になったり蒸発して空にもどったり。なんで液体のままでいないのですか。あるいは気体のままでいないのですか。
>生まれてこなければ,生きていることに苦労して,死ぬことをおそれるともないでしょう。
死ぬことをおそれるsearchingboyさんは健康で幸せな方と想像します。死んで地上からは「0」に見えても「死こそが自然の本来の力」ともいえるのです。姿のある時にはあるなりの無い時には無いなりの使命があると思っていてよいのではないでしょうか。もし死ななかったとしたら迷惑でしょうね。自分もつらいし。また、死ぬからこそ今を大切に生きるのではないでしょうか。生と死と両方を味わえることが喜びです。
どうせ入り口に戻ってくるメリーゴーランドに乗りますか?やめときますか?自分でそれが選べなかったとおっしゃっているのですね。宿命!メリーゴーランドに乗って何らかの成長・変身を!
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DNAをリレーする形で後世に伝承する事が、人間に限らず、生命に与えられている使命なのだと思います。


生きてる間の喜怒哀楽は、その使命を果たしたご褒美。
そう考えれば、死ぬ事すら恐怖ではありません。
DNAの連鎖が途絶える事をむしろ警戒すべきでしょう。
すなわち、同性愛を認めたり、自殺を容認したり、クローンを作ったりという事については
誰かが警鐘を鳴らさなければならないと思うのですが。
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ぼくは生まれてくることは無意味だと結論しています。

これを回避するには宗教的な発想を持ち出すか、生きていく上で有意義な思考以外は無意味だとするしかないと思います。肝心なところをすっとばしてこういった論理の飛躍をするのは科学的ではないとおもいます。それでも生まれてしまった以上、生きなければならない気がするので、科学を疑い、独自の宗教観を作ろうとしています。以外と楽しんでいます。
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補足に 0と1 が出ていましたね。

0→1→0 の 0は、無 なのでしょうか。私は0の世界があると信じています。つまり、私たちの肉体がない、魂だけが存在する別の次元の世界です。
結論から申し上げますと、魂は「経験したがっている」というのが私の回答です。肉体という制限が世界では、魂は何でもすることはできますが、肉体をともなった「経験をする」ことができませんから。
もちろん、この世界では、気持ちのいい、楽しい経験ばかりではありません。飢餓や病気、挫折、理不尽な死に方……でも私たちが肉体的には望まないようなことでも、魂のレベルで経験したがっていると思うのです。
だからといって、運命を、現状をそのまま受け入れるしかない、とは考えていません。私は特定の宗教には属していませんが、神(創造主)の存在は信じています。
私たちは、創造主の一部である魂と肉体とで一人の人間ですから、運命というか未来は自分の意思で創造できます。その過程が「経験する」ことではないでしょうか。(もっともどこの地域のどんな時代に、どんな環境で生まれてくるか、といった変更不可能な天命はあるでしょうが、それさえも 0から 1の世界に生まれ来るときに選択していると思います)
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 わ! いけない!


 お詫びと訂正です。No.23冒頭の「No.10」とありますのは「No.7」の誤りです。ごめんなさい。
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 んと…No.10ですが、最後の一行に問題アリでしたね。

特にsearchingboyさんが何かに悲観していると思って書いたわけではなかったのですが。
 哲学的というよりも、自然科学的な考え方のつもりで書きました。「死んでいるのがあたりまえ」が土台で、「生きている」状態の方が例外的で異常な事態である…みたいな。

 もし仮に30億年ほど前に「生命」が発生して、それが次世代の個体を残すことなく、「形あるものは必ず滅びる」の伝にしたがって自然崩壊していたたならば、それはただそれだけのことで終わります。事実、そういうことはあったのかもしれません。
 でも実際には今日に至るまで「つながって」います。近年の科学は生命の発生を「自己組織化」で説明しようとしていますが、そういう偶然で発生した生命が、次世代に自分の複製を作ることで連続しています。逆に言えば、こうしてつながっているからこそ「生命がある」と言える。
 要するに「生命」を土台に考えるとワケわかんなくなるのではないかと。生命といえども、いずれ壊れるのは必定。いずれ壊れるからこそ、次の世代を作る。その連続こそが生命である。…と考えると、ひとつの個体に視点を限定すれば「生きているけどいずれ死ぬ」と言えますが、その個体がなぜ発生したかを考えに入れると、前の世代が「死の必然」ゆえにそれを生み出したからとも言えます。「生まれたから死ぬ」のではなくて、「死ぬから生む」ということ。生命とはその繰り返しだった。…ということではなかろうかと思います。
 うーん、すると…世代間倫理ってのも「自分が死ぬ」という事実に由来するのかも…って、すいません。他の質問室のことでした。
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人間にとって生ると言う意味と、生命を維持するという意味を混同しないように。


生命の維持をもって生るとするならば、動物や植物の生命を考えて下さい。
彼らは、人間のように、もとより死ぬことは考えないのです。考えることは
出来無いのでしょうけれども、しかし、考える必要もないのです。

人間にとって生るというのは、その人間の「人間たる現れ」を見い出すことです。
「現れを見出すこと」というのは、言い替えれば、「存在する」ことを意味します。
エーリッヒ・フロムの哲学を引合いに出すまでもありませんが、人間にとっての
生ることが、物や時間、空間、自然、森羅万象の事を「所有」すること同じだと、
仮定すれば、既に人間の破壊的なエゴの発揮によって、それは死に至ります。

これに対して、人間の真の生きる在る方は、正に「所有」することではなくて、
生かすことなのです。生きることは、相手を生かすこと。
ですから、自分が死ぬ事が分っていても、相手を生かすために生きるのです。

こういった事は、人生を送っていくと次第に、「科学的な証明のようなもので解答を
得るものではない」ことが分ってくると思います。自分が自分の生れた環境のもとで、
どのような在り方をするかは、人間一人一人違うものです。
そして、自分が自分で在りえるためには、自己啓発的な、人の真似ではない新しい
「何か」を見付けていかなくてはならないこと。だから、人に質問をしても、それは、
助けには成るけれども、本当の答にはならない。
生きることは、そういった、「何か」を自分で探すことなのです。
そして、その「何か」は、自分ではなく、相手の為に役立つ、相手もまたそれに
よって「何か」を見出せるものでなくてはならないのです。

さぁ、あなたも、あなたの「何か」とは、何なのか探しましょう。
探し出せれば、自分が、何者なのかが分ります。
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