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かなりきわどい質問ですが、南京大虐殺について質問します。長い間賛否両論が論じられてきた問題ですが、みなさんのなかで南京大虐殺についての確実な情報がありませんか?意見や知識よりも、自分が見た(これはいないかも…??)、あるいは直接こう聞いた、などの生の声をお待ちしてます。

A 回答 (23件中1~10件)

 かなりきわどい質問ですね。

この問題で一番問題なのは、異論とか歴史学的な検証をする事自体を批判されることです。検証=疑義と見られ、その事だけで虐殺を正当化したような扱いをされてしまいます。南京大虐殺が歴史的には疑義があることは、学問的には常識であると言われていますが、表立ってそれを学者が表明することは、日本の学会では困難のようです。

 虐殺された人の数、証拠とされる写真の信憑性などかなり危うい事実に立脚された一つの“真実”で、あると私個人は思っています。

 虐殺された人の数で、その残虐さが減衰するものでもないし、正当化される訳でもないと思えるのですが、その検証自体が反動扱いされてしまいます。数の多い方がより真実との風潮があります。

 私の母親は終戦を満州で迎えました。夫は拘束され、小さい子供2人を抱え、敗戦後侵攻してきたソ連軍の蛮行をかいくぐり、日本へ引き揚げてきました。女とみると連れられていってしまうので顔を汚して隠したりしたそうですがそれでも見破られ、犠牲になった女性は多かったそうです。それが原因で妊娠し、帰国の船から海に身を投げた人や、帰国後に掻爬したり、出産した嬰児を闇に葬った事例は数え切れなかったそうです。そんな時、「自分達はもう穢れているし、国へ帰っても頼る親戚もないから」と言って、身を張った売春婦もいたそうで、母は敗戦記念日が来る度に手を合わせると言ってました。侵攻してきたソ連軍の兵士は、多くが刑務所に入っていた犯罪者が多かったそうで、逆に中国人達は、色んな形で日本人達を庇ってくれたそうです。

 こう言った議論が歪んでくるのは、国と国の憎しみに変わって行くためで、この意識を抜けていかなければ真実とは懸離れていくと思います。

 回答にならなくて申し訳ありません。
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検証・疑義が反動扱いされることからもお分かりのように、学問ではなく政治上の問題なのですよ。

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南京大虐殺をお調べなるならば。

古い新聞--その当時の日本や外国の新聞の両方をお調べなったほうがいいと思います。そのためにこの質問でしょうね。しかし、その当時の人々は70才以上ですよ。もし、いろいろな軍人会に参加されてもいいてしょうが、その関係者の紹介か、文集などあれば、読まれてもいいですね。ただし、日本側から見た,したことをお忘れにならないようにしてくださいね。 
南京とは関係ないのですが,昔,中国に兵士にいった人の話をよく聞いていましたね。私の場合は上海です。
 やはり,日本が勝つという話を聞くとうれしくなりましたが,そのころは子供ですから,軍が何をしているのかはわかりません。しかし,捕虜の首を跳ねてりした話はありましたよ。その当時兵士の方であれば,写真も持っておられると思います。アジアでなぜ短期間なのに旧日本軍は評判は悪く,長く植民地していた欧米は憎まれにくいのでしょうか。私はこれがいつも疑問です。そう考えると,あまり歓迎されていないことをしていたと思います。
 
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#3


>アジアでなぜ短期間なのに旧日本軍は評判は悪く,長く植民地していた欧米は
>憎まれにくいのでしょうか。私はこれがいつも疑問です。

「中華思想」「東夷秩序」がヒントになると思います。

支那・朝鮮において日本を含めた三国は「支那>朝鮮>日本」の序列で考えられており、当時の日本の行動はこの序列に逆らうものだったと捉えられているのでしょう。
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happy people さんのご回答をいただきまして,ありがとうございます。

このヒント の「中華思想」「東夷秩序」が、インドネシア、マ-レシア,シンガポ-ル、フィリッピンの人々も、そのような考えでしょうか。私の知人のインドネシアの方も私と同じことをいっていましたので。本題の質問とはずれてすみません。 
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#5


>インドネシア、マ-レシア,シンガポ-ル、フィリッピンの人々も、
>そのような考えでしょうか。
存じ上げませぬ。
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この回答へのお礼

回答をしてくださいました皆さん、ありがとうございました。最近読んだ本のなかに、当時南京の安全地帯で一部始終を目にしたという、ドイツの民間人(だったと思いますが、なんせ立ち読みなので詳しくは忘れてしまいました)の証言によると、確かに日本兵による虐殺があったそうです。ただ、その数は中国側が主張する30万にはほど遠い、自分が見た限りではせいぜい多くて5万であろう、ということでした。
南京大虐殺について論議されるべき本当の理由として、虐殺の人数ではなく民間人が殺されたと言うことであり、これは戦争の国際ルールを外れたものであるということでしょう。そう言う意味で、日本におとされた原子爆弾や沖縄の問題がうやむやにされていることはどういうことか、と思ってしまいます。
これは政治的な問題であると言う通り、歴史の真実を付きとめることもさることながら、外交的なカードでもあるのでしょう。

お礼日時:2001/04/26 01:21

>当時南京の安全地帯で一部始終を目にしたという、ドイツの民間人


>(だったと思いますが

ジョン・ラーベかな?その人は南京安全区国際委員会委員長だった人です。

本国に送った状況報告や日記に色々な数字が飛び交っていますが、小林よしのり氏の著書で、5万という数字の信憑性の「低さ」について説明しています。

また、殺されたのが民間人と言われているけど、便衣兵だったとか(ゲリラを殺すことは国際法上合法)、中国兵が衣服を奪うために中国人民間人を襲った分まで日本軍が殺した数字にカウントしていたりとか。。。

米軍の原子爆弾や焼夷弾は、明らかに民間人殺害を目的とした作戦行動であり、国際法の上では南京事件より罪は明らかですが、当時においてはGHQの言論統制により表立って問題にならず、現在においてはサヨク活動の成果により表立って問題になっていないのでしょう。
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そうですねぇ。

私としては南京大虐殺は大と呼ぶには程遠く、実際にはそれほどのものではなかったように思います。
当時南京の人口は100万人と言われているようですが、日本軍が南京に上陸したさいに蒋介石の国民軍(八路軍でしたらすみません)と市民80万人は南京を脱出してしまったそうです。残った20万の人々は貧困により脱出が不可能であった人たちのようです。
その残った市民は安全区という一区域にいたそうですが、その周りにはすでに逃げた金持ちの家がたくさんあるので、なぜわざわざ市民の中に入って略奪する必要があったのでしょう。こういっては失礼ですが、貧乏な人より金持ちから奪ったほうがよかったのでは?
当時の支那兵は便意兵とよばれるゲリラ的なものでした。兵隊が守るべき自分たちの国民から衣服を略奪し、一般人の格好をしていきなりおそってくるのです。一般人がげりらか、すくなくとも私には性格に見分けて攻撃するようなことはできません。
旧日本軍の兵隊のかたも相当苦労されたはずです。国際法でゲリラは殺してもよかったのです。
中国人への虐殺行為が批判されるなら、当時満州にいた日本人の邦人300人が虐殺された事件はどうなるのでしょう。そのほかにも残虐行為をうけた日本人は多くいたのです。数の問題ではない!という方もいらっしゃるようですが、そのとおりです。数ではありません。一般市民が犠牲になったことがいけないのです。日本も中共も被害者を抱えていたのです。
当時の自分たちの蛮行を日本軍が行ったものだと押し付けて批判している中共には嫌気がさします。
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確実な情報源としては以下の二つがあげられます



(1)南京事件資料集I
   南京事件資料集II
   南京戦史
    発行元:偕行社
    
(2)南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち
    発行元:大月書店

 特に(1)は旧日本陸軍士官学校のOB会が、南京事件を否定するために
当時の資料(陣中日誌、戦闘詳報、仕官と兵士の日記その他)を集めたもの
です。ところが当初の意図と反して出てくる資料が全て南京大虐殺を裏付け
るものばかりだったため、南京大虐殺を認めざるを得なくなったというもの
です。
 
 編集部が資料の裏を取るために資料提供者や部隊の生き残りに確認に
言ったりしていますので、資料としては最も確実です。
 編集委員に本職の南京攻略部隊の各部隊の代表と歴史学者二人、秦氏と
並んで資料重視派だった故板倉重明氏が加わっています。
 いまのところ、これが最も確実で基礎的な日本側の資料です。
 
 一部を抜粋したものはここで見る事ができます。
http://www5.tok2.com/home/JOHNVOID/index.htm

○南京市の人口について
 南京大虐殺の大部分は、戦闘終了後に捕虜となった中国の南京防衛軍の兵士が
殺害されたものですから、南京の一般市民の人口をいくらいじったところで、
殺害された人数は出てきません。

○略奪について
 略奪は無人となった民家や、外国公館、あるいは商店を狙って行われたので
あって、避難民を狙ったのではありません。
 略奪については上記の「南京戦史資料集I、II」に収録されている第16師団
中島師団長の日記や、飯沼上海派遣軍参謀長の日記に出てきます。
 中島師団長に至っては自ら略奪を行い、蒋介石の執務や住居を荒らして略奪品を
集めています。それを上司の松井司令官にたしなめられると、「略奪の何が悪い、
うるさいジジイ」と開き直って得意げに日記に記しています。
 これは松井司令官と中島中将の日記双方から確認できます。


○便衣兵について
 南京では便衣兵はいません。
 殺害された兵士は皆、国民党政府の南京防衛軍の兵士たちです。
 日本軍は投降してきた捕虜を片っ端から殺害したので(これは
飯沼参謀長の日記から確認できます)、生き残るために軍服を脱
ぎ捨てたのです。
 南京国際安全区委員会に日本軍との間を取り持ってもらい、生
命の保証を得ようした投降兵もいましたが、全員殺害されました。
 

参考URL:http://www5.tok2.com/home/JOHNVOID/index.htm
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>本国に送った状況報告や日記に色々な数字が飛び交っていますが、


>小林よしのり氏の著書で、5万という数字の信憑性の「低さ」
>について説明しています。

ラーベの推定した約5万人は、秦郁彦氏が日本側資料の戦闘詳報に
記載された「処分された捕虜」の総計から推計した数字とほぼ一致
しており、信頼が置けます。

 小林よしのりの「戦争論」や「ゴーマニズム」は、元資料には
載っていない事やあからさまに嘘をついていたりするので、全く
信頼できません。
 
 資料を重視している故板倉氏などから突っ込まれてあわてて
単行本化したときに言い訳を書いたりしていますが、作中で
豪語しているように本当に資料を読んでいれば犯すはずのない
間違いです。
 読んでいないか、読んでいたのなら読者を騙すためにわざと
偽りを書いたかのどちらかしかあり得ません。
 
 
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