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1970年代に盛んだった学生運動で、日米安保条約に反対していた理由は何だったのでしょうか?

A 回答 (6件)

当時の左翼陣営の本音は、米軍撤退・自衛隊解体で無防備状態を作って、中ソの侵略を呼び込んで、その傀儡マルクス主義政権で美味しい地位を獲得することにありました。

そのための安保反対でした。
学生は、新左翼として暴力革命を遂行するにあたって、その阻害要素としての米軍が邪魔で安保反対だったということです。
ブルジョア的な平和願望に基づくものではありません。
かつての左翼は新旧とわずもっと現実的でしたが、冷戦終了後は現実性の乏しいヤケクソ的な理想論に終始していますね。
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安保闘争は、1959-60年(60年安保)と1970年の(70年安保)の二つがあります。


そのうち前者は、岸信介が経済復興が著しいのを背景に米国側に「日米安保改訂」を提案したことから始まります。
この時、反対派の理由として日本が戦争に巻き込まれる危険性が高いからというのがあります。
つまり、当時は日米冷戦のまっただ中であり、日本はその最前線だったわけです。
そんな中、日米安保を認めて米軍が駐留するということは、日本は米国側に立ったという明確な意思表示となります。
そうなれば、ソ連が黙っておらず侵攻してくる危険性は十分ありました。
なので、「憲法第9条」の精神からも「中立」であることが望ましく、その為日米安保は認められないという論旨です。
これは、右翼左翼関係なく主張されたことでした。

で、学生運動に注目すると、元々学生運動の切っ掛けは、占領下においてGHQの打ち出した国立大学の地方自治体委譲案や、国立大学の授業料値上げ間に対する抵抗運動でした。
1948年6月1日、こうした案に反対する5000人が日比谷音楽堂に集まり、「教育復興学生決起大会」を開きました。
そして、全国官公立大学高等自治会連盟が結成され、一斉ストライキを決議、私学系もこれを支援し、全国で114校でストが慣行されます。
そんな抗議活動の中、同年9月に全学連(全日本学生自治会総連合)が東大に本部を置き結成されました。
最初は日本共産党の強い指揮下にありましたが、1951年頃からスターリン批判等を巡って日本共産党本部と激しく対立していくようになります。
そして、1958年に全学連に参加した人たちが主導して共産主義者同盟(ブント)が結成され日本共産党とは袂を分かつこととなります。

1957年に岸信介が「日米新時代」を表明し日米安保改正へと乗り出すと、世論は二つの割れることとなりました。(また、同年には米軍が演習中に主婦を射殺するというジラード事件が起こり反米感情も高まっていた)
理由は上記の通りですが、この時学生運動を主導し、何度も警官隊と衝突しながら反対運動を主導したのがブントと全学連でした。
ただ、その内容をしっかりと理解していた人は少なかったようで、新聞の世論調査ではわずか10%程度しか居ないなんて結果も載ったと聞いています、
ともあれ、60年安保は多数の知識人も加わり派手に行われました。

一方70年安保は、日米安保条約に下記のようにに定められていたことに端を発します。

====以下引用===
第十条:
 この条約は、日本区域における国際の平和及び安全の維持のため十分な定めをする国際連合の措置が効力を生じたと日本国政府及びアメリカ合衆国政府が認める時まで効力を有する。
 もっとも、この条約が十年間効力を存続した後は、いずれの締約国も、他方の締約国に対しこの条約を終了させる意思を通告することができ、その場合には、この条約は、そのような通告が行なわれた後一年で終了する。
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents …
===以上===

つまり、一年の通告期間を経れば一方的に条約を撤廃することが出来るわけです。
逆を言えば、通告して意思表示しなければずっと自動延長されるという事です。
そこで、このまま安保を続けていては米軍支配から逃れられなくなるとして、自動延長を阻止しようとしたのが70年代安保でした。
しかし、60年代安保にて、大規模にデモやストを慣行したにも関わらず何も変えられなかったという失望感から、規模としてはずっと小さい物となりました。
この時代(以降?)の学生は総じて政治に無頓着となり、所謂ノンポリ世代と言われるようにもなります。
また、ブント・全学連・日本赤軍等の非共産党・日本社会党系の左翼がよく事件を起こしていたので、民心が彼らから離れていったのも70年安保が盛り上がらなかった理由の一つですね。
目を見張る騒動としては、「東大紛争」と三島由紀夫の自殺くらいでしょうか。

どっちも共通している理由としては「憲法第9条解釈上認められない」というのと、「米ソ冷戦に巻き込まれ再び戦地となる事を避けるため、中立であるべき」というのが主な理由でしょうか。
そこに、ブント・全学連を中心とした左翼運動も動機として加わり、彼らが主に主導したといったところでしょう。

ではでは、参考になれば幸いです。
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当時は、米ソの冷戦状態でした。



それで、この条約を締結することは、米国に
組みすることになる、つまりソ連に敵対する
ことになる、から反対運動が起きたのでした。

1,これでは、米ソ戦争の巻き添えを食う。
  日本は中立を保つべきだ。

2,米国帝国主義よりも、社会主義国ソ連に
  つくべきだ。
  これからは社会主義の時代だ。

「2」の理由を正面から言うひとは少なかったの
ですが、心根では、「1」の人も実は「2」の
人が多かったのです。
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自民党に反対するのではありません。



60年代にベトナム戦争があり、米軍参戦後に、韓国が参戦しています。
悲惨な戦争となり、ソンミ村の虐殺事件などが発生。
また、避妊をしない韓国兵とベトナム人女性との混血児(タイライハン)も大勢生まれ社会問題になりました。
ベトナムでは韓国は嫌われていると思われます。
(ひどい話で、後に韓国では、虐殺記念館が建てられたり物議を生みました。)

そのような状況の中、世界的に反戦運動が盛り上がり、反米的な思想が日本学生の間で生まれたのが始まりだと思います。

なお、日米安保が無い状況で、日本単独で、防衛力を維持するとなると、憲法9条の改正が必要となります。
また、現在の状況では、日本・台湾はアメリカの支援なくして、防衛を十分行うだけの戦力がありません。
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「政府自民党が日米安保条約に賛成だから」というのが反対の理由です。

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「政府自民党が日米安保条約に賛成だから」というのが反対の理由です。

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