戦争責任(辻と昭和天皇の場合)【質問2題】
お暇なときにでも回答願います。
戦争責任は開戦責任と敗戦責任の2つに大きく分けることができると思います。
大東亜戦争ではこのうち、開戦責任については東京裁判で追求され裁かれましたが(公正な判決だったかどうかは別にして)、敗戦責任についてはうやむやになってしまったような気がします。
戦勝国としては開戦責任を追及するのは当然ですが、日本国民としては開戦責任よりも敗戦責任を追及したいのが心情ではないでしょうか。
例えば、常軌を逸した作戦指導で、多くの将兵や民間人を無駄死にさせておきながら戦後ものうのうと行き続けた人たち(ノモンハン・ガダルカナルの辻、服部、インパールの牟田口、沖縄戦の八谷などなど)(中には国会議員になった輩もいる)がいたということに何か釈然としないものを感じます。
そこで質問。
(1)戦後、こういった人たちの責任を追及するための訴訟はできなかったのでしょうか。彼らに強い恨みを持っていた連隊長クラスの現場の指揮官は多かったと聞きますし。。(国が原告になってもよいと思う)。(法的に不可能だった?)
(2)昭和天皇の戦争責任を考えた場合、平時(開戦時)においては明治憲法55条により天皇の大権事項は大臣が「輔弼」する(大臣の責任で実行される)と定められているため天皇には開戦責任はないのでしょうが、敗戦責任についてはどうなんでしょうか。
戦時においては明治憲法11条によれば天皇は陸海軍を統帥する「大元帥」であり、この統帥大権に対し、陸海軍の帷幄機関は「補翼」するだけの助言者にすぎません。つまり戦時中天皇の名において発せられた多くの作戦命令(大陸令、大海令)の最大の責任者は陸海軍の帷幄機関(大本営)ではなく昭和天皇になるのではないでしょうか。
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No.11ベストアンサー10pt
蛇足回答です。
(1)
戦勝国による戦犯追求でけではなく、日本人の手でも戦争責任を裁くことはできなかったか、とお考えのようですが違いましょうか。。。
で、あるならば、日本政府による自主的戦犯追及裁判は行われています。
敗戦直後の9月から翌年(極東裁判以前)にかけて国際法違反BC級に相当する戦犯の裁判(軍法会議)が行われ、8名が処罰されています。
(詳細な資料が手元に無いのでこれ以上のことは言えません。興味があればご自分でお調べください)
まぁBC級といえば現場指揮官クラス以下の犯罪ですので、あなたが挙げておられるような軍中央の指導者達ではないことは確かです。
(2)
特に異論はありません。
これが正解という答えは無いと思いますので結論は御自分でお導きください。
No7です。
少し言葉が悪かったですね。「責任」というのは誰に対してとるものですか?戦勝国ですか?アジアの国々ですか?自国民ですか?
(1)は自国の兵隊…でしょうか。(2)は責任対象によって随分回答がかわるような…
どちらにせよ、『戦争責任は開戦責任と敗戦責任の2つに大きく分けることができる』とは思いません。
No.9ベストアンサー20pt
「敗戦責任」とは、どのような意味かよくわかりませんが、戦術的な失敗、作戦指導の失敗に対する責任のことでしょうか?
(1)
訴訟については、罪状を何にするのか、どの法律で裁くのか、ということが問題になるのではないかと思います。
ただし、例えば「ノモンハン事件」を考えてみると、皇軍を私兵のように動かし無謀な作戦でソ連に大敗北を喫した責任者が、服部、辻の両参謀であるというのは周知の事実であったとしても、実際の作戦命令は関東軍司令官の命令で出されており、敗戦後の責任人事では、関東軍司令官、参謀長とも予備役に編入され、服部、辻も一時的に閑職にまわされています。甘い懲罰ですが、陸軍としての責任追及作業は完了されています。当事者である陸軍が当時形だけでも懲罰処置を行ったことに対して、戦後改めて責任追及訴訟を行うことが可能かどうかよくわかりません。
(注意:当時の処罰人事にて、責任追及が完璧に行われたと考えているわけではありません)
また罪状についてですが、無謀な作戦を計画した人物が上官の承認を得て作戦命令を出している場合、法的な責任者は誰になるのか、ということが問題になると思います。
(例.沖縄戦の八原大佐の場合、牛島軍司令官が承認したとすると、誰の責任になるのか)
罪状については、ちょっと話がそれますが、
複数の書物で読んだ話:上官に報告しておけば、上官の承認をもらったことになり、責任は上官にある。(海軍軍人?)
高木俊朗氏の著作に書かれていた話:ある陸軍将官曰く、「命令を出せば(それが無茶な命令でも)部下の責任になる」
という話が思い出されますが、辻参謀なども天才的な人物ですから、自らの独断専行に関しても、公式には上官の命令であるとして、自らの尻尾をつかませるようなヘマはしなかったと思います。
戦後訴訟をおこそうという動きがあっても、罪状を何にするか、作戦責任者は誰になるのか、という点で訴訟までまとめあげるのは困難であったと考えます。
(2)
確かに明治憲法11条については、おっしゃる通りです。
大元帥の資格にて天皇は戦争を戦ったわけで、作戦の実行には天皇の裁可が必要でした。
ここで疑問なのは、陸海軍最高の統帥者としての天皇の資格です。兵学校出身でもなく軍事の専門家ではない天皇が、大元帥というのは不合理です。
また天皇の信頼すべき幕僚長という立場の陸軍参謀総長と海軍軍令部総長が、天皇に正確な状勢を知らせない(例.海軍の燃料備蓄量)状況で、天皇にどれだけ正確な判断ができたのか疑問です。(基本的には裁可する、しないという判断だけだとしても)
ですので、これらの点を考慮して、歴史家と法律家の調査と判断が必要になり、この問題は簡単に白黒決めることはできないと考えます。
余談ですが、この質問を法律カテゴリーで質問したとして、質問の背景としての仮定条件が、多数必要になると思います。この質問の文章だけで白黒回答することは出来ないのでは?と考えます。
(私は訴訟については素人です。ですので、この回答は素人によるアドバイス?です)
参考文献:「指揮官と参謀」半藤一利 文春文庫
敗戦責任を問われなかった理由ですが、私の考えでは敗戦直後に
『一億総懺悔』
をやってしまったことにあると思います。
戦後直後の内閣である東久邇宮内閣が
「日本再建の第一歩は全国民による一億総懺悔だ」
という声明を発表し、当時の日本国民が“何の疑問もなく”
受け入れてしまったんですね。
このことによって、日本を敗戦へと追いやった政治家・軍人・
官僚・マスコミ・その他指導層への追及がピタリと止んで
しまいました。
まだ調べている最中ですが、どうもこの「一億総懺悔」を
最初に打ち出したのは、朝日新聞らしいです。
戦争遂行に大協力した朝日が、自らの責任を認めず国民全体
に責任転嫁したことは、いかにも朝日らしい無責任体質が
よく現れていると思います。(参考URLを参照)
この回答への補足
cse_ri2さんへのお礼の続きです。(中途半端なお礼だったため)
何が言いたかったかというと、東久邇宮や朝日新聞をはじめ石原までもが「一億総懺悔」「再軍備反対」を唱えたということは、これは当時の日本人の総意だったのではないか、ということです。
つまり、誰が最初に言い出したかなどはあまり問題ではないと考えます。
この回答へのお礼
「一億総懺悔」については私も以前興味を持ちまして調べたことがあるのですが、
最初に言い出したのは、大宅壮一あたりだと思っていたのですが、どうやら「石原莞爾」らしいです。
戦時中は世界征服を唱えていた石原が、敗戦になったとたん「一億総懺悔」「再軍備反対」などと手のひらを返してしまうなんて、かなり意外でしょ。
ご回答ありがとうございます
「戦争責任」とは何の責任なのでしょうか?「開戦」も「敗戦」も罪ではありません。そもそも勝者が敗者を裁くのは報復ではないでしょうか?
「敗戦」の罪を一部の上層部だけになすりつけるのは横暴な気がします。私の認識では昭和天皇も日本政府も極力開戦を避けていました。歴史の流れにおいて開戦は避けられなかったのではないでしょうか。
では回答します
(1)訴訟は知る限りはないと思います。遺族が無謀な作戦をたてた指揮官に損害賠償を求めることは可能かもしれませんが、国が原告というのはナンセンスですね。
(2)詳しくはここでは書ききれませんが戦前、戦中、戦後に昭和天皇がされたことを見る限り、責任はないでしょう。少なくとも、敗戦直後の功績は大きいと思います。
この回答へのお礼
>「戦争責任」とは何の責任なのでしょうか?「開戦」も「敗戦」も罪ではありません。
うーぬ。意味不明です。。。
噛み合っていないようですね。
ご回答ありがとうございます。
敗戦責任について
私は,18歳で敗戦を迎えましたが,敗戦責任について
戦前は世界列強に数えられていたのに,敗戦によって
一挙にアメリカの植民地に近い,属国に近いみじめな
国に落ちぶれた責任を追及すべきと感じました.
でも,当時はそういう思いの人が少なからずいたにも
かかわらず,声にはなりませんでした.
1940年ごろからの政権にいた人々の政策ミス,判断
ミスによるものと当時考えていました.
戦後の一時期,妙な明るさとともに,なんともいえない
みじめな思いをもったものでした.
今では,なつかしい思い出です.
この回答へのお礼
当時、生で感じたことをご回答いただけるとは非常に感激です。
>・・・声にはなりませんでした
ということは、やはり、敗戦責任を追及していくと昭和天皇の責任追及に発展しかねない、ということでタブー視されていたのではないか、と思いました。
ご回答ありがとうございました。
2について
日本人にとって天皇に責任がないというのは
なんとなく分かっても侵略されたアジアの人々
にとっては分かりずらいと思う。
例えば北朝鮮がどこかと戦争して負けたとして
金正日が戦争責任を問われないことが
あるだろうか。
日本人の中でも完全に納得はしていないと思います。
うちの父親も
「天皇は神だと言っていたのに戦争に負けた
次の日には普通の人ですとか言っていた」と
怒っていました。
普通の人が神を語り 人々を殺し合いの戦争の場に
引きずり出せばその罪は重い と議論を深めると
天皇の責任を問わざるえないのですが
天皇の批判はマスコミでタブーになってしまい
天皇は現代の不可侵圏になりました。
結局この責任が曖昧にになっているところが
アジア諸国の謝罪要求にたいしても曖昧に
するしかないことに つながっていると思います。
この回答へのお礼
>普通の人が神を語り 人々を殺し合いの戦争の場に
>引きずり出せばその罪は重い と議論を深めると
>天皇の責任を問わざるえないのですが
>天皇の批判はマスコミでタブーになってしまい
>天皇は現代の不可侵圏になりました。
>結局この責任が曖昧にになっているところが
>アジア諸国の謝罪要求にたいしても曖昧に
>するしかないことに つながっていると思います。
とても重くて深いご回答だと思いました。
納得です。
ご回答ありがとうございました。
この問題に関しては、法解釈や論理ではなく、政治的な問題なのだと思います.
純粋に考えれば、統帥権を持つ昭和天皇に責任があるのは明らかですが、天皇と当時の政治家たちが、なんとか天皇の権威と安全(国体護持などと表現するようですが)を確保するために、動いたようです.
今ちょうど、そのへんの事を説明した、「天皇の玉音放送」という本が売れているようです.終戦の詔勅がCDになって付いてます。
この回答へのお礼
>政治的な問題なのだと思います.
そういうこと、なのですね・・・
国体護持を考えれば、やむ終えなかったということですね。
先日本屋で「天皇の玉音放送」見ました。買おうかどうしようか迷いましたが、名を知らない著者だったのでやめときました・・・CDだけなら買ったかも。
ご回答ありがとうございます。
大日本帝国憲法の観点からは.
1.天皇の命にそむいたとして.即銃殺。係争になる前に処刑されます(負けたと報告に来た兵士に対して.部隊全体で自決せよと上官が命ずる)。
2.ご指摘の通りでしょう。法律上すべて天皇の命令で動く「私兵」が.日本群ですから。
この回答へのお礼
>1
実際には、責任を取らされて自決を迫られたのは連隊長クラスの現場指揮官で、作戦指導を行った現地軍参謀・司令官などは軽い左遷で済まされていたようです。
>2
やはり・・・
ご回答ありがとうございました。
(1)に関しては、本来軍法会議で裁かれるものでしょうが、軍法会議自体がなくなったので、裁くに裁けないというところではないでしょうか?
罪定法定主義なわけですが、終戦時に相当資料関係を消却したので、どうなったやら。
(2)に関しては、基本的には「元首の退位」であると考えます。第一次大戦では、負けたドイツ皇帝・オーストリア皇帝も、トルコ皇帝も、途中でオオマケしていたロシア皇帝も退位となりました。第二次大戦でも、ドイツはヒトラーの自殺・イタリアのムッソリーニは殺されました。他の東欧枢軸国政権も崩壊しました。
終戦後、昭和天皇が退位を考えたというのは、20世紀の敗戦の取り方としては通常の発想であったかと考えます。
法的どーのこーのというより、占領軍あるいは国民の超法規的な行動として責任を取らせるということになるのではないでしょうか。
そして、歴史的として、その責任を取らせなかったという事実が残っています。
この回答へのお礼
>裁くに裁けないというところではないでしょうか
恐らくそんな感じだと思ってました。
>(2)
日本の場合は、超法規的な措置として、元首の責任を追及しなかった、ということですかね。
ご回答ありがとうございました。
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