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ニコニコ動画には、「天皇陛下の御先祖様を16代前まで遡ってみた」
というのがあって、それによると現在の皇室は、織田信長・徳川家康・
豊臣秀吉(の母)の子孫であるとの事だそうです。
だとすれば、現代の皇室は日本史オールスターですね。

残念ながら、どういうわけか私はこの動画を見る事が出来ないんですが
皇室が上記の人物の子孫だというのは、どういう流れになるんでしょうか?

http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4182383.html
ちなみに天皇が徳川家康の子孫という部分はちょっと違うという
指摘があるようです。(他のルートで繋がっている可能性は大ですが)

A 回答 (3件)

血は流れていますね。


大名と公家は色々と婚姻関係を結びますので、その関係で色々と有名な人の血が流れたりします。
だから色々なルートで繋がったりします。
そのニコニコ動画とやらは見ていないので知りませんが、以下のようなルートで繋がってたりもしてます。

まず織田信長ですが・・・
信長の次男「信雄」という人がいまして戦国時代を生き延び5万石の大名となります。
その「信雄」には子供がたくさんいまして、その四男「信良」は小幡藩藩主となります。
その「信良」の娘が、臼杵藩第四代藩主の「稲葉信通」に嫁ぎます。
そして次の第五代臼井藩藩主になる「稲葉知通」を産みます。
その「稲葉知通」の子「稲葉恒通」が臼杵藩第六代藩主になります。
その「稲葉恒通」の正室(お嫁さん)になったのが徳川家康の血筋の女性です。

ここで、ちょっと話を置いて、徳川家康に行きますが・・・
徳川家康の次男に「結城秀康」という人がいまして福井藩藩主となります。
この人も子供がたくさんいまして、その六男「松平直良」が大本藩藩主となります。
その「松平直良」の三男「松平直明」の娘が、臼杵藩第六代藩主「稲葉恒通」の正室(お嫁さん)になりました。

そして臼杵藩第六代藩主「稲葉恒通」と、その正室(お嫁さん)の間に娘が産まれます。
つまり、ここで「信長」と「家康」の両方の血をひく子供ができたわけです。
この娘さんが、公家の勧修寺家の当主「勧修寺顕道」に嫁ぎます。
そして跡継ぎの「勧修寺経逸」を産みます。
その「勧修寺経逸」の娘「勧修寺ただ子」が、第119代天皇である光格天皇に女官として仕え、後に光格天皇の子供を産みます。
その子供が第120代天皇になった仁考天皇です。
ここで「徳川」「織田」の血が天皇家に入りました。
そして第121代の考明天皇、第122代の明治天皇、第123代の大正天皇、第124代の昭和天皇、そして現在の天皇陛下へと血は繋がっていきます。メデタシ、メデタシ。


豊臣家の場合は・・・
秀吉には、「日秀」という実姉がいました。
この「日秀」が結婚し「秀勝」という子供が産まれます。
この「秀勝」を秀吉が養子にしたりしますが、それは置いておいて・・・
その「秀勝」が結婚し娘が産まれます。
この娘「完子」が公家の名門「九条家」に嫁ぎ、その跡継ぎを産みます。
そして時は流れて・・・
第123代天皇の大正天皇に九条家の娘さんが嫁ぎます。
そして第124代の天皇となる昭和天皇が産まれました。
つまり、ここで「秀吉」の姉の血が天皇家に入りました。
そして現在の天皇陛下へと血は繋がっていきます。メデタシ、メデタシ。

「織田」と「徳川」なら探せば他にも繋がってるルートが複数あると思います。はい。
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2009年にヤッホー知恵袋で似たようなご質問があがっております。



http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question …

およそ2年ほど前の質問ですが、なぜだか、どういうわけか、「だとすれば、現代の皇室は日本史オールスターですね」「残念ながら、どういうわけか私はこの動画を見る事が出来ないんですが」まで同じ文章です。
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正しい解釈ではありませんね



織田信長の子孫 と言いたいならば織田信長の子の末裔でなければなりません
これは、否定されます、徳川家康等も同様

拡大解釈して 織田信長、徳川家康・・・と同じ先祖を持つ ならば可能性はありえます

ですが 天皇陛下が織田信長、徳川家康の子孫と主張するのはまやかしです

言葉を換えて言えば 日本人のほとんどが天皇陛下と同じ先祖を持つ可能性はかなりあります
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