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むかし下二段だった動詞は下一段になったと教科書にはかいてありました(かいてあったような気がします)。
下二段の「得(う)」はたしかに下一段の「得る(える)」になっています。
ところが、「得(う)」をふくむ「ありう」は「ありえる」にならずに「ありうる」になっています。

この現象は、どうかんがえればいいのでしょう。
・下二段「ありう」から下一段「ありえる」になったものが、下二段にもどろうとしている - 《先祖がえり》
・ほかの下二段動詞はすべて下一段への変化を完了しているのに、「ありう」だけが「ありえる」への移行途上の中途半端な段階にある - 《とりのこされ》

☆ 質問: この件について参考になる資料をおしえてください。

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■ つけたし
私がわかいころは「ありうる」より「ありえる」のほうが優勢だったような気がします。
《先祖がえり》ではないかとおもいます。

■ つけたし その2
下二段活用であれば
ありえ(ず) ありえ(たり) ありう(。) ありうる(こと) ありうれ(ども)
のように
-e -e -u -uru -ure
と活用し、
下一段活用であれば
ありえ(ない) ありえ(ます) ありえる(。) ありえる(こと) ありえれ(ば)
-e -e -eru -eru -ere
と活用するはずですが、
現実には
ありえ(ない) ありえ(ます) ありうる(。) ありうる(こと) あり?れ(ば)
-e -e -uru -uru -?re
と活用します。

■ つけたし その3
Google で検索しても「ありえる」より「ありうる」のほうが件数がおおいです。

A 回答 (1件)

終止形と連体形の同形化について



平安時代までは、会話文・和歌で「連体形止め」が行われました。「連体形止め」は、係り結びとは関係なく、文末をあえて連体形で止めることによって、余韻・余情・感動を表す表現法です。

中世になってこの「連体形止め」が会話文・和歌以外の「地の文」でも広く用いられるようになりますと、「連体形止め」が単なる終止法へと変容していき、ついには本来の終止形を駆逐して連体形が終止形の用法を兼ねるようになっていきます。

その結果、本来、
1、え・え・う・うる・うれ・えよ
と活用する下二段動詞の「得(う)」が、
 2、え・え・うる・うる・うれ・(えよ)
と活用するようになったのです。

二段動詞の一段化(上二段→上一段、下二段→下一段)について

二段動詞の一段化は、中世以降その例が目に付くようになりますが、一段化が完了するのは江戸時代後期頃であるようです(地域差が大きく、上方では江戸前期に一段化が進み、九州方言では現在も下二段動詞が使われています)。「得(う)」も、
 3、え・え・える・える・えれ・えよ
と下一段化して「える」になります。

したがって「ありう」も
 4、ありえ・ありえ・ありえる・ありえる・ありえれ・(ありえよ)
と下一段動詞「ありえる」になってよさそうなものですが、実際には上記2の段階にあたる「ありうる」が優勢というか、正統とみなされているというか、まあそんな状態です。(「ありえる」を使っている方もかなりいらっしゃるような気もしますが)

これについては、日本国語大辞典(小学館)「ありうる」の補注をご覧ください。「ありうる」の形が文章語として固定してしまったため「ありえる」にならなかったという趣旨の説明があります。妥当な線ではないかと思います。文章ではいまだに「検討の要あり」などと古いラ変動詞を使うケースもあることですし。

「終止形連体形の同形化」「二段動詞の一段化」といったテーマについては、『国語史概説』『国語史要説』『国語史』『日本語史』といった書名の概説書類、少し専門的になりますが、『講座国語史』(大修館書店)などお読みになってはいかがでしょうか。必ず触れています。巻末の「参考文献一覧」をご覧になれば、資料探しも「芋づる式」です。『国語学大辞典』『国語学研究事典』『国語史辞典』なども慣れると便利です。

たった一本の論文のためにわざわざ国会図書館までお出かけになる熱心さには感じ入りました。
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この回答へのお礼

「人数」の節は大変お世話になりました。
今回も丁寧な回答をいただき、ありがとうございました。

お礼日時:2003/10/18 10:50

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