プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

逆転する「炉心作業員・被曝限界」と「小学校・安全線量値」
正しく怖がる放射能【8】
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「潜入ルポ」がさり気なく教えるもの

 鈴木さんの記事はのっけからタブーの(少)ない調子で書かれています。

 「早急な結論かもしれないが、これまで取材した実感で言えば、原発はヤクザのシノギのひとつといっていい」といった表現を紙に印刷された活字で目にしたのは、少なくとも福島の事故以降の大手マスメディアでは初めてだったように思います。

 日常的に暴力団と接している筆者が、そうした情報源も利用しながら、人手不足にあえぎながら懸命の復旧作業に取り組んでいる福島第一原発に、作業員として潜入して現在進行形のルポルタージュを書いている。以前から原稿を通じて知っている筆者の方が、決意をもって現地の業者に「就職」、掛け値なしに本物の作業員として体験する現実を(いろいろ制約もあると想像しますが)大手メディアに出稿しているわけで、その迫力は凡俗の記事とちょっと違うレベルにあると思います。

 この記事の詳細にご興味がある方は、どうぞ週刊ポストをご覧いただきたいと思いますが、衝撃的なこの記事の中で、私が最も注目したのは、あまり目立たないかもしれない以下のような記述でした。

 「進まぬ作業に業を煮やした政府は、1F(福島第一原発)に限り、年間被曝線量の上限を250ミリシーベルトに引き上げた。が、これは素人丸出しの危険な数値として、現場では嘲笑され、完全無視である。
 東電から実務を丸投げされている二次受けメーカーはそれぞれ、100ミリ、30ミリ、18ミリなどと異なる上限を再設定した。炉心周りに強いメーカーの上限が18ミリと圧倒的に低いのも、プロならではの正当なリスク回避が理由だろう。」
(鈴木智彦「僕は原発作業員」週刊ポスト 5月31日号から)

 もっと人目を引くような内容が満載されているこのルポルタージュの中で、上記の数字の記載は極めて地味で、注意を留めない読者が多いかもしれません。

 しかし、ちょっと待って欲しいのです。「年間線量」といえば、現地の学校や幼稚園などで設定された「20ミリシーベルト」という数値を思い出されないでしょうか。


「深刻な作業員不足」の2局面

 文部科学省は、義務教育学校や幼稚園、保育所などの空間放射線量の参考値として「20ミリシーベルト/年間」という値を提出、4月末に高木文科相が行った記者会見や一連の発言は、歴史に残る国恥的な記録として長く留め置かれるべきものと思っています。それ以上に各種訴訟の責任対象として、この人の名を覚えておいたほうが良いかもしれません。従来の放射線管理区域の規制値や労災の適用、過去の判例などと見比べても、明らかに破綻した数値で、内閣参与を勤めていた小佐古敏荘教授が明確にこれを指摘して辞任したのも記憶に新しいところでしょう。

 しかし、こうした数値はもともと一般になじみの少ないものですから、どうも軽視されたり、記憶にとどめられ難かったりする傾向が見られます。後続する文科省の発表でも「実際に線量はどんどん下がっている」式のものが多いわけですが、測定値がどう変化するか、という現象と、国が何を「基準値」あるいは「参考値」と見なすかは、天と地の違いがあります。端的にいえば前者は観測結果でしかなく、後者は決定者に各種の責任が伴う数字だということです。

 全国の原子力発電所では、現場作業員の不足が深刻な問題になっている、と伝えられます。とくに炉心に近いエリアでの作業は、熟練したスキルを要求されることも少なくないということで、2重の人手不足が懸念されています。

 第1は、言うまでもないことですが、危険な作業ということで新たな志願者が大変少ない、ということです。だが、いろいろ経緯があるようで、職安などでの求人は手控えているといいます。

 しかしそれ以上に重要なのは第2の点、つまり「限度いっぱいまで線量を食って(浴びて)しまった作業員は、再びその業務に就労することができない」という現実です。もちろん被曝による健康リスクも影響は甚大です。2次下請けとしては、いくら業務が降ってきても、きちんと仕事ができる作業員がいなければビジネスが成立しません。国のように野放図なことは言えない、長年の経験に基づいて自主的に年間線量の限度を設け、作業員の確保に努めているわけです。

 ここまで確認したうえで、もう一度よく見てみましょう。

原発炉心近くで就労する作業員に対する年間被曝限度線量
 ――18ミリシーベルト/年
国が義務教育学校校庭や幼稚園で「安全」と強弁した線量
 ――20ミリシーベルト/年

 この逆転は、いったいどういうことなのでしょう。すぐさま思い出されるのは

「(政府の数値は)素人丸出しの危険な数値として、現場では嘲笑され、完全無視である。」

というルポルタージュの記載です。あるいは、現場で作業員が払底してしまったら、せっかく仕事をもらっても完遂できないし、仮にミスなどあった日には責任を問われる2次下請け以下の現場企業と、問われる責任など最初から考慮しているように見えない政府発表の「250ミリシーベルト/毎年」の違いということもできるでしょう。

 さらに言ってしまえば「年間20ミリシーベルト」「毎時3.8マイクロシーベルト」を越える場所でも「短時間遊ぶのであれば問題なく」「冷静に対処してほしい」といった高木さんという方が、何の責任も取る用意がない、何よりの証左だと思います。

 この高木さんにはぜひ、最低1度は、45分程度でいいですから、福島の学校で子供たちとドロだらけになって一緒に遊んでいただきたい。どうせもう60も過ぎてるんですから新陳代謝も落ちているわけだし、仮にたくさん被曝しても余命に大した変化はないでしょう。それと、5歳、10歳、15歳という細胞分裂の盛んな子供たちとでは、そもそも体からして根本的に違います。

 みんなと同じものを食べ、同じ水をのみ、同じ空気を吸った上で、内部被曝を一切考慮しない「安全性」を自ら喧伝した事実の重さを、この方には自分の体で責任取ってもらう必要があると思います。


「正しく怖がる」って何だろう・・・?

 このシリーズのタイトルとして記している「正しく怖がる」という表現は、『これからの「放射能」の話をしよう』(4月5日)で引用した寺田寅彦のエッセーから借用したものです。夏目漱石の門人で東京帝国大学理学部物理学科教授でもあった寺田は、1936(昭和11)年の浅間山の噴火に際して、むやみに恐れるのでもなく、また過大に楽観するのでもなく、「正しく怖がる」大切さを述べたのでした。

 しかし2カ月ほど記す中で、途中から読まれたのだろう読者の方から「(伊東は)何を根拠に自分が正しく怖がっていると思い上がっているのだろう」式の、すっとんきょうなコメントをいただくケースも出てきました。そこで改めて「正しく怖がる」ということを、確認しておきたいと思うのです。

 一番のポイントは「自分が今、下している判断が本当に正しいのか」と常に不断に問い続ける姿勢と思います。あるいは、古代ギリシャ・アテネでソクラテスが問うた「己の無知の知」への問いが最も大切、と言ってもいいでしょう。

 事故後の状況だって随時変化している。昨日は妥当だったことが、今日も通用するという保証はありません。面倒かもしれませんが、安全のためには、逐一確かめてみなければ。そんな中で、もう1つ「正しく怖がる」上で最も重要と思うのは

「明らかな誤りを、決して見逃さない」

という姿勢だと思うのです。仮に王様が裸だったら「はだかだ」と言うべきだし、文科大臣ということになってる人がおかしければ、「たわけもの」と指摘しなければなりません。世慣れた大人のすることではないかもしれません。しかし、科学に裏づけられた放射線安全基準を守るには、「王様は裸じゃないか!」と断言できる子供の直裁さ、あるがままの現実を見抜く目が必要不可欠と思います。

 諸々の経済効果まで勘定に入れながら、防護服など防備を固めた作業員が、原発炉心近くで作業する際の、下請け企業が己の責任のもと、独自に設ける「年間線量限界」が18ミリシーベルト/年とある横で、

「学校校庭が年間換算20ミリシーベルト強の環境でも、子供はお外で元気に遊んだ方がいい」

と、一切の責任を明示しないまま、素人(が国のけっこうな判断職にいることが大間違いであり亡国状況と思いますが)が何やら発言するのと、どちらをどう参考にするか。もちろん乱暴に一緒に議論することはできませんが、何かが明確に示されているのも事実です。それを直視する必要があると思います。

 是は是、非は非、と逐一判断してゆく以外に「正しく怖がる」方法などない、というのが、私自身これを書きながら、強く感じるところです。

(つづく)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20 …

日経ビジネスが↑の記事を書いています。

福島原発で下請け企業が労働者(大人)に設定した18mSv/年より高い20mSv/年を子供に浴びせても大丈夫って言う文科省。この現実をどう思う?

A 回答 (3件)

被ばく量と被害の関係は、あくまでもこれまでの経験的統計と若干の動物実験で得られた統計によるものです。


つまり直接的因果関係はなく「これだけ浴びたらこういう結果が多かったから、多分こうなんだろう」という程度のものです。
統計には必ずバラツキがあり、表面に出ている数字だけでは判断できません。例えば煙草一本数と発ガン率が30%と言った場合、吸わない人の発ガン率が0-10%で喫煙者が20-40%であればこの統計は有効だといえます。しかし非喫煙者が0-30%で喫煙者が10-40%であった場合、この発表は必ずしも正確ではない事になります。(実際の数値ではないですよ)

被ばくによる障害の発生も同じで、その数字がどれくらい信頼性を持っているかはこのバラツキによって違ってきます。しかし、世界では子供は感受性が高いと考えています。だから大人より低いのです。
癌は未熟な細胞ほど影響を受けやすく、子供は成長と共に成熟する器官(生殖器など)も多く、総じて未熟だと考えられているからです。

1)既に政府系放射線研究者がカメラの前で質問に答えていますが、子供の許容量を引き上げたのは身体的影響は全く関係ありません「避難させる場所がない」からです。
まして素人学者の中には公然と「子供は新陳代謝が早いから、影響が出てもすぐに細胞が入れ替わるから大丈夫」と語る者まで居ます。
これは原発推進学者が述べていた「プルトニウムは飲んでも安全。吸収されずにすぐに排泄されますから」と同じ原理です。

2)もう一つの要因が被ばく時間です。
子供が学校に行くのは授業だけ、しかも校庭に出るのは休み時間だけ、休み時間の遊びを禁止すれば、校庭に居るのは登下校だけ。つまり一年に換算しても僅かです。
ところが先の見えない原発作業では少なくとも毎日高放射線の中に居ます。それが一年以上になるでしょう。
つまり、実際の年間被ばく量は子供では数値より低く、作業者は数値ギリギリになる可能性が高い。

以上の事から、子供の数値が高くても実際の影響は逆だというのが、政府や政府系研究者の考えだと、私は確信しています。

3)第3の要因は発ガン確率。
子供が癌年齢になるのは遥か先ですが、作業員は既に達している、或いは10年ほどで癌年齢になる。
すると、例え放射能の所為でなくても作業員が癌になれば放射能が原因だと騒がれる。
しかし、子供であれば癌になった頃にはそれが放射能の所為かどうか判らない。“運良く”タバコでも吸うようになってくれればタバコの所為だと言える。
それに中年以降では住所を変える事は少ないが、子供であればどこに引っ越すかも判らない。そうなれば放射能が原因かどうか判りにくいし、報道なども差別に繋がる「東北出身だから放射能が原因で癌になった」なんていえない。
医者がおかしいと思い、全国の病院に依頼して調査し、どうもそうらしいという結論がでるまでには今から数十年掛かります。つまり殆ど証明されないし、その頃には国民の誰も関心がなくなる。

「直ちに影響がない」という表現の真意はココにあります。
政府は「一年浴び続ければという事だから」と釈明していますが、これは検査の条件なので、その条件でmSv/年の数値に対し「直ちに」という表現をするのは不合理です。前提条件を意味のないものにしているからです。
もし政府の弁が正しければ制限に対する表現は「mSv/年もしくはmSv/時」(時は分や回でも同じ)となるはずです。
こらは明らかに後から自分達の主張を正当化させる為に考えた事です。

つまりこれらの論理で行けば、被ばく直後あるいは一年以内に障害がでる数値未満まで、幾らでもあげる事が出来るわけです。
そして逆転の一番の原因は(2)によるものです。

以上が私の確信するところです。
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週刊現代では


去年 国で許容線量を調査しています。国は隠しているそうです。
年間20mSvではなくて累積被曝量が10mSvを超えるとガンになる人が増えるとか
子供は大人の何倍にも相当する旨の内容です。
週刊誌なのでそれを出すのはどうかと思いますが
前から読み続けていると 実際は記事の内容以上にひどくなってきています。
第二の水俣病となりそうです。
先日 福島に放射線汚染物の最終処分場にしたいという国の提案がありました。

自民党が作った体制で民主党がケツを拭いているから同情はしていたのだが
この3ヶ月お粗末だ。官僚が決めた策には勝てないようです。
民主党に投票した意味がない。このままでは民主党を降ろさないといけない。

さて議事堂あたりでデモでもするしかないか
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>福島原発で下請け企業が労働者(大人)に設定した18mSv/年より高い20mSv/年を子供に浴びせても大丈夫って言う文科省。

この現実をどう思う?

既に母親の母乳から、放射性母乳が出てるんですよ?内部被曝してるって事だ。
原乳も出回ってるから、粉ミルクも怖いもんだな。

そう言う数ヶ月で母乳の中に放射能が含まれるのに、学校給食では、福島産の物を強制で食べさす事が全く理解出来ないね。
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