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国歌「君が代」の中で「さざれ石の巌となりて苔のむすまで」とあります。
実際に、さざれ石が巌になって苔が生えるようになるまでには、どれくらいの年月がかかるのですか?

A 回答 (6件)

Cyototu先生よ、わしは昔の人と現代人を比較して優越感に浸ってるわけじゃあないよ。



「白髪三千丈ってメートル法で言ったら何メーターなの?」とか、「千客万来ってことは一人が平均十回訪問したの?」とか質問する小学生に対して「物の譬えを計算するんじゃないよ」と言ってるつもりで言ったんだ。


「巨人軍は永遠に不滅です!」って言った人がいたが、その人に対して「この宇宙の未来は有限です」って言っても不毛でしょう。
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木造でえくさんよ。

今生きているわしらは世界を合理的に見ているが、昔の人は合理的ではなかったなんて、そんな合理的でないことをいっちゃあ駄目だよ。どんな時代でも、皆さん合理であることを大事にしたんだ。

前にも書いたが、鶴岡八幡と吉田神社の巌となったさざれ石の現物を見てみな。さざれ石が巌となると言う場合に、それらの例を見ると、決して一つのさざれ石が一つの巌になってはいない。沢山のさざれ石が集まって一つの巌になっている。それにどう考えたって、ありゃ、巌がさざれ石になってバラバラになったんじゃなくって、さざれ石が集まって一つの巌に成長しているよ。今の地学の専門家が見ても必ず同意するよ。今の人ならそれは多分地中の大きな圧力で、段々とくっついて来たのだろうなんて説明するかもしれない。そして、昔の人はそのさざれ石が巌になるのに大変に長い時間がかかっていることを認識出来たんだね。だから、あの歌は、今の地学の知識を使ってみても合理的な歌だ。


他にもこんな例がある。あたしが今まで日本び古文の文章の中で最も綺麗だと思えた文章は、鈴木牧之の書いた『北越雪譜』だ。天保年間に刊されている。その本の中で、越後の山奥にある不思議な沢について書いてある。その沢の水に漬かる物は何でも石に変わってしまう。そうして、木の葉の化石と、亀と蟹の化石の絵がその本に載せてあった。そこの村人曰く、「しかし、石に変わるには大変な時間がかかる」と。だから、水に漬けておいた物を眺めていたって目の前で石に変わるのが見える訳ではないそうだ。実際村人に言わせると、木の葉で最低三日はかかるそうだ。そして、亀や蟹などの生き物が石に変わるまでには、少なくとも半年や一年ぐらいはかかる、と言っていた。

どうだ。その村人がそんな結論を出すためには、ちゃんと実験をしていたことがこの言葉から解るだろう。実際、木の葉の化石や蟹の化石を見付けたときに、彼等もびっくりして、実験をやったんだね。そして、木の葉を水に漬けて眺めてたって、石に何かなりゃしないと確認したんだ。そこで、その木の葉を水に漬けておいて、三、四日後にその場所に戻って来たら、木の葉の化石がその近所にあった。まあ、その場所が少々ずれていたとしても、何かの調子で水に流されたと思ったんだろう。

ところが、亀や蟹の化石なんて木の葉の化石のようにはざらにあるもんじゃない。例えば死んだ蟹などを何処かの水に漬けておいて、三、四日後に戻って来たって、まだその蟹は石になっていない。そしてまた数日後に戻って来たときには、もうその蟹は流されちまっている。そして、数ヶ月後、あるいは一年後にその辺りの戻って来たときに、多分、その辺りで蟹の化石でも見付けたんだろう。そして、そう言えば、一年前にこの辺りで蟹を漬けておいたっけなあ、だから、見ろ、これがその蟹だ、ってな具合に解釈でもしたんだろう。

どうだ、大変に合理的に世界を見ているだろう。そうやって、彼等はこの沢の水によって木の葉や亀や蟹が石なることも在ると言うことを確認していたんだ。それも、現に実証的に実験までしているんだから、あんたが信じなくても、それを疑う方がおかしいって、村の人は思っていたと思うよ。

君が代の歌だって、それをちゃんと定量的に正当化することも出来ると思うよ。だから、白髪三千丈と一緒くたにして物が解った気になるちゅうのは、「今の人間は合理的だが、ご先祖様達は今ほど合理的ではなかった」なんて何の根拠も無いことを妄想して、傲慢になって不合理なことを言っている態度じゃないかな。
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物の譬えなんじゃから、数値化しようとしちゃあいけないよ。

千客万来や白髪三千丈と同じだな。
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さざれ石と言う小石が巌になり得るかと言う問題のようですね。

私は、鎌倉鶴岡八幡宮のさざれ石と京都吉田神社のさざれ石を見たことがあります、これらは小石が集まって一つの大きな石を形作って居ました。昔の人も今の人と同じで大変合理的に世界を見ています。だから、現物の巌となったさざれ石の集まりを知っていたので、こんな歌を創ったのでしょう。

とは言え、こんな話しもあります。私が古本屋で見付けた昭和初期の山梨と信州の伝説を集めた本です。その本は今手元にありませんので記憶は定かではありませんが、確か山梨県に蛇沢と呼ばれた沢があり、そこの沢のある石が年々大きく成長することに近隣の村人が気付きました。そこで、その石を囲うお宮を作ってお祭りすることにしました。ところが、数年後には遂にそのお宮の屋根を壊してもっと大きく成長してしまいました。

そこで、その近隣の村人達は宇佐八幡宮にお願いを立てて、その石を八幡様に御献上することにしました。宇佐八幡の神官による厳かな儀式を執り行いましたところ、「何と不思議なことに」その石は、その後ぴたっと、成長することが無くなりました。そこで、村人達はなるほど八幡様の御霊験はすばらしいと、感心したそうです。

凄いですね、石が成長しなくなったことを「何と不思議なこと」って言っているのですからね。
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条件にも寄りますね。

苔は1年でも生えますけどね。
細石をそのままバケツに入れておいても、おそらく巌にはならないでしょうね。やはり、そこには風雨に晒され、細石が更に砂になって、それが様々な要因で変化、硬化して岩になるわけですからね、何万年のスパンだと思います。但し火山活動などが加われば話は違いますが。
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川の上流に岩が、下流に行くに従って小石や砂が多いように、実際には巌から徐々にさざれ石になるのであって、さざれ石が自然に巌になるのは熱力学の第二法則もエントロピは増大すると言っているように、無理というものです。

しかしこれは千年も前の先祖が詠んだ歌で当時は理科というものが無かったのですから、おおめに見てやる必要があります。でも、永久にそうならないものを指して「その時間の長さだ」と主張することは究極の無限の表現かもしれませんね。xitianがキムタクになるその日まで増えよ栄えよわが民族。
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