平家物語の小原御幸の章で、建礼門院徳子が阿波の内侍らとともに過ごした庵は、現在の寂光院から少し離れた、登ったところに在ったとされています。
私が昭和33年に訪れたこの地には当時、粗末な朽ちた小さな稲荷(祠)があっただけでしたが、平家物語に描かれた、
「古りにける岩の絶間より落ちくる水の音さえ故び‐‐」そのままに、岩を伝って水がしたたり落ち、また「いざさ小笹に風さわぎ、まさきの蔓青つずら」や、「後は山、前は野辺」の記述と寸分違わない佇まいに深く感動したものでした。
この庵跡の祠を訪れた方はいらっしゃいますか?
また現在、この祠はどうなっているのでしょう?
お教え頂ければ幸いです。(一応、文学のジャンルで質問しましたが、歴史や旅行に造詣の深いかたも宜しくお願いいたします)
No.2ベストアンサー
- 回答日時:
至らない回答に、過分のお礼、恐縮しています。
やはりここは寂光院に直接お聞きになるのが一番よいのではないかと思い、検索してみたところ、寂光院のホームページがありました。
ぜひ、お問い合わせになってください。
http://www.jakkoin.or.jp/index-j.html
インターネットというのは便利なもので、いながらにして世界中にアクセスできますが、反面、実際にその場所を訪れてみて、初めて得られる理解というのも、間違いなくあると思います。
そのうえで、時を経て酒が熟成されていくように、質問者さんの中で生き続けたご経験は、すばらしいものだと思いました。
私はまだ勉強中の身で、このサイトでの回答も、文章を書く勉強をさせてもらっているようなものです。それが多少なりとも質問者さんのお役に立てれば、これほどうれしいことはありません。
参考URL:http://www.jakkoin.or.jp/index-j.html
再度のご回答、有難う御座いました。
長年、気にかけていた事項でしたが、お蔭様でこれで解決できました!
「寂光院への交通」に示された地図(拡大できます)にある、御庵室跡の位置が、私の訪れた場所とまさに符合しています。そして「寂光院の由来について(第5回)」の中で示された、御庵室跡(ごあんじつあと)の写真が示す情景と佇まいが、古い記憶とほぼ一致します。あのとき在った、朽ち果てた祠はおそらく撤去され、替わってこの石碑が立てられたのでしょう。
これほどまでに拘ったのは、数十年前に訪れた際、この地で遭遇した本当に不思議な体験と、そのとき祈念した、「必ずもう一度、参ります」を今日まで果たせず過ごしてきたからでした。
また、お教え頂いたHPに基づき、寂光院へ問い合わせる積りです。その際には院が今求めている浄財志納に(ささやかながら)応じたいと考えています。
今回は貴重なお時間を割いてお手助け戴きまして本当に有難う御座いました。またそのお手間に深謝いたしますと共に、今後とも是非宜しくご指導いただきたいと願って止みません。国文学/歴史/思想史/哲学/論理学など、広範な分野で貴方様は必ずや注目されるお仕事をされると信じます。
では、ごきげんよう。
No.1
- 回答日時:
平家物語でちょっと調べたい事柄があって、ネットサーフィンしていたところ、こんなサイトにたどりつきました。
http://wadaphoto.com/japan/index5_2.htm
質問者さんがおっしゃっておられる祠とは、この写真にあるものでしょうか。
本堂は放火により消失したようですが、ここは現存している様子です。
学生時代、合宿で何度か三千院に泊まったこともあるのですが、その先の寂光院に足を伸ばすことなど思いつきもしなかったものです。
名所・旧跡も、そこで生活していると、あまりに身近になりすぎて、かえってどこにも行かない、ということになってしまっています。
参考URL:http://wadaphoto.com/japan/index5_2.htm
待望の回答を下さいまして有難うございました。
フォトサイト、早速アクセスしました。秋色に染まる大原の里の風景を見て巣十年前に一度だけ訪れた寂光院と周囲の佇まいを、遠く離れた関東の武蔵野の入間から懐かしく偲ぶことができました。
昔、尼僧に教わって私が一人で訪れた庵跡は寂光院の境内ではなく、寺を出でて十分程、なだらかな山を登った、開けた場所にあった小さな祠でした。当然、民家も何も全く無い、人一人通らない荒涼とした地で、残念ながらこのフォトサイトで見つけることは叶いませんでした。
この祠のあたりの情景は、小原御幸にある「ふりにける岩の絶え間より、落ちくる水の音さへも、ゆゑび由ある所なり。緑蘿(りょくら)の垣、翠黛(すいたい)の山、画(ゑ)に書くとも筆も及びがたし。」まさにそのままで、断崖から流れ落ちる水を発見し、また「後は山、前は野辺」「いざさ小笹に風さわぎ」の野辺と笹の群生を見たとき、私は直感で「そうだ、きっと作者は(おそらく江戸の頃、平家物語の八坂本または一方本のアンカーか)この地に来て、これらを見たに違いない」と一人合点しておりました。
この祠の朽ち果てた入口の踏み板に腰掛けて、暫し、まどろんだ時に体験した2度の不思議な出来事は(私はコチコチの技術屋ですが)生涯忘れ得ないことです。
ところで興味を感じて貴方様のQ&A、プロファイルのコメント等を拝読いたし驚嘆しました。新進気鋭の教授か助教授といった気配で、広範囲に亘る知識と精緻な論理の展開は私の脳裏にシュトルム・ウント・ドゥランク(疾風怒濤)のパニックを起させました。
かっての読者好きの少年は長じて今、どのご専門で貢献されているのでしょう(もしお差支えなければ)
他の方の別のQ&A中にありました永井荷風の件、そのうち別質問でお教え頂きたく、その節は何卒宜しくお願いいたします。
重ねて、ご回答有難う御座いました。
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