プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

なんで死んではいけないの?
本当にいきたくないのに

A 回答 (13件中1~10件)

特に死んではいけないということはないでしょう。



「本当に生きたくないのに」というのが本当であればですが。

しかし、これは良く考えてみるとおわかりになりますが、

『「本当に生きたくないのに」とわたしは思っている』ということになります。

この場合、
「本当に生きたくないのかどうか」という問題と、
「本当に生きたくないとわたしは思っているのかどうか」という2つの問題が生じてくるでしょう。
同じように見えますが、
前者の場合、生きたくない理由だけが色々と浮かび上がってくることでしょう。
後者の場合は、「本当に生きたくないと思っている」という自分自身に焦点が当たることになります。

kumudream さんの場合、前者は片付いていて確信を持っているようですが、後者のほうに関してはまだ検討なさっていないような気がします。
問題を積み残したまま死ぬのは何かもったいない気がしませんか。
他者と同じ世界や同じ生を生きる必要は全くないのですが、勘違いしたまま悩み煩悶する場合が人には往々にしてあるようです。
    
    • good
    • 0
この回答へのお礼

むずかしい

お礼日時:2011/07/05 00:41

v(^_^)vこんばんは。



たぶん、生き物は、生きるという使命を全うしなければいけないからです。

人間以外の動物を見てください。
みんな、そんなことも考える暇もなく一生懸命生きているでしょう。
その光景は、私たちの心に感動を与えるでしょう。
それが、本来の姿なんですよ。

人間は、あまりにも楽に生きる社会の仕組みを創った為に、生きる喜び
、楽しみを忘れてしまったんですね。

生きることは、感動的で、楽しいことなんです。
人間は、もうこの社会で楽にしか生きられないので、少し苦しいともう駄目だ
なんか考えるんです。
本当は、そんなこと考えてたら、他の動物に襲われて餌ですよ。

でも何と、その社会のおかげで、別の楽しみがあります。
自分以外の生命を、助けることができるんです。
そこの、植物も猫ちゃん、犬ちゃん、小鳥ちゃん、もちろん人間ちゃんも
自分が楽しみながら、他の生命も助けて楽しみましょう。

だから、人間は自分を神様と勘違いするのかもしれません。(笑い)
    • good
    • 0
この回答へのお礼

えさになりたい

お礼日時:2011/07/04 23:43

人間が、死んではいけない絶対的な理由はないと思う。



ただ、人が自殺を忌み嫌うのは、生理的な拒絶反応の様な部分が強いと思う。
親しい人に自殺されると、回りの人は精神的にダメージを受ける。これは、人間が生理的に持っている本来的な反応だと思う。
質問者さんは、自分の母に死なれたらつらいでしょ。

それと、通常自然の状態では生きていこうとする指向が強いのではないか?
ただ、生きている環境があまりにもつらいとか、育った環境からその辺に影響が出てくるとは思うけれど。


>本当にいきたくないのに

本当にそうだろうか?
人間、無意識の世界は闇だから自分の本心は分からないよ。
質問者さんが苦しいのは、生きようとする心と、生きている環境のつらさから逃れようとする戦いがあるからじゃないのか?
生きたくないだけなら、生きていないと思うよ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

べつに親が死んでも関係ないです。むしろいなくなってほしいです。一時期は親を殺したくて仕方ないときありましたし。
生きてもしょうがないんですよ

お礼日時:2011/07/04 20:10

我々を形づくる物質には=原理的には、生きる必然はありません。


しかし、その「必然のなさ=カオス」は淘汰として、進化を導き、
二次的に生きる意志に収束します。
あなたがどんなに生きる事を否定し、自殺しても、その事自体が
1つの淘汰として、人類の生きる意志を強化するだけです。

ひるがえって、あなたはなぜ「死にたい」のですか?
「死にたい」のではなく、「苦痛から逃げたい」のではないでしょうか。
であるならば、それは本質的には「より喜びたい=生きたい」
という事なのです。
たまたま環境が不正で、その喜びが得られない=(死にたい
のではなく)殺されようとしているのです。

あなたは「死にたい」と言いますが、あなたを構成する細胞は
必死に生きています。心臓も鼓動をうち、脳幹も全身を生かす
べくコントロールしています。
ただ、大脳皮質だけが、ストレスにくじけて、それら全てを
否定しようとしているのです。
ま、本当の自分や、本当の世界が見えなくなっている時点で、
もはや自律的な生の意志を持たない歯車だから、脆弱な存在
なのも仕方ないですが。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

じゃあ生きても仕方がないですよね…

お礼日時:2011/07/04 00:32

貴方の人格は、あなた自身のものですが、そうでもない公共的な面もあります。

どのくらいあなた自身かといわれても、ひとそれぞれですが、愛を一倍受けているひと、責任が大きいいひとはそれなりに公共的な面が大きいといえます。菅さんとか天皇陛下はその割合が日本人のなかでは大きいほうです。そして
どんな無名の人でも、そういった公共的な人格はあります。それを否定することは自分では出来ませんね。つまり自殺は悪いことなのです。ですから辛くてもそういった公共的な人格を全うして生きるという義務は果たすべきなのです。

ですから、あなた自身で勝手にその人格を抹消することは出来ません。医者やら警察官などはその保持に一定の役割を果たしています。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

わたしはゴミ

お礼日時:2011/07/04 02:04

死んだ方が良いのか、生きた方が良いのかは、なかなか判定が難しいのです。


生きていた方が良いのに死を選ぶ判断ミスが多いので、とりあえず「死んではいけない」ということにして、判断ミスの悲劇を減らすことにしたのです。

実際のところ、「死んだ方が良い」と判定される人もいて、日本でも、毎年何人かが死刑になります。
中国では「死んだ方がい良い」と判定される人(死刑判決)が毎年1000人以上もいるそうですから、判定そのものがお国の価値観を反映しているわけで「万人が認める」とまでは言い切れませんね。

人間は、「生きたい」とか「死にたい」とかの自己チューな希望が必ずしも叶うとは限らないですね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2011/07/04 20:26

死ぬと家族が嘆くからです。


家族が嘆くの見るの嫌だkら、私死にません。
私自分勝手な人でない。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

家族は嘆きませんよ

お礼日時:2011/07/04 20:26

死んではいけませんよ!なぜとかじゃなくて、そうゆうものです。

生きていれば必ず希望が見えてきますよ!
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ないですね

お礼日時:2011/07/04 20:27

本来、人間は霊的存在です。

「この世」は多くの人々にとっては、勉強のため、修行のためとか、前世でしでかした失敗というかカルマ解消のために生まれてきています。
つまりは、この世は学校みたいなもんですね。死んじゃうってことは、その目的を達成しないで、退学するってことになります。

たぶん生まれる前に、「競争率が高い中、なんとか生まれるチャンスが手に入りました。絶対にがんばってきます!」とこの世に誕生しながらも、自分勝手に退学したことになると思えるので、その約束を破った罰則が死後にやってくるはずです。

一般的に死後の霊になったあとの苦しみは生きているときの10倍から100倍といわれています。(逆に喜びも10倍から100倍といわれている)
肉体があれば、強度の苦痛は、神経が麻痺するとか、逆にマゾッけのある人なら、快感に変わったりすることもあるようです。

でも、霊になった場合、肉体的な神経組織は関係なくなるため、「純粋な苦痛」「純粋な苦しみ」を途切れることなく与え続けることが可能となります。さらに、霊になれば、「眠り」も必要ないため、24時間休み無く罰則としての苦痛を与え続けられるのですね。


地球に生まれたくて、遠い銀河の彼方からやってきた宇宙人は、人間の女性を誘拐して、人工授精させ、生まれた赤ちゃんの体に入り込むとか、クローン人間を作ってその中に、映画アバターのようにウォークインして、地球人に慣れようと努力しています。(宇宙連邦的には、これらは違法行為なんですが)

そういう中で、地球人としてまともに生まれてきている人生ですので、なんとか友人知人とか公的機関、あるいは病院に相談するなどすればいいと思います。
(一番のお勧めは「幸福の科学」の支部などに行くことですけどね。まあ、敷居が高いかもしれません。)
    • good
    • 0
この回答へのお礼

罰か…

お礼日時:2011/07/04 20:28

なんで死んではいけないの? 本当にいきたくないのに



○オギャと生まれると必ず死ぬことになっています。これは誰しも逃れられないのですね。
生まれてて死ぬまでがあなたの人生ですから、それが苦しくとも楽しくとも関係なく全うすることが試験なのですね。試験の期間は短い人も長い人もいますが、それは本人にはわかりませんね。短い人はもっと行きたいと悪戦苦闘して、他人の臓器にまで手を出す人たくさんいますね。でも、ほっといても時が来れば必ず死ぬことになっていますからね。苦しい事も楽しいことも試験ですから耐えないとね。途中で放棄すると何度でも同じ試験を受けないといけませんから、よりつらくなるだけなのです。
それが、人生というものですね。そのように決まっているのです。だから、試験だと思って耐えることですね。私などは試験を楽しむようにしていますがね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

そうなんだ

お礼日時:2011/07/04 20:31

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す