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私は、習熟度別クラスを中学から導入すべきだと思います。

高校になれば、習熟度別授業を行っている学校も珍しくないですが、
これを中学から導入すべきではないでしょうか??
これこそまさに平等です。

私の通っていた中学は、本当に教育感度の低い教員・生徒の集まりだったので、
勉強のできない子や、授業をサボっている子のことばかりで
本当に勉強したい私を全くかまってくれませんでした。
これでは、伸びるものも伸びません。

まぁ中学と高校では、目的が違うのも分かりますが・・・

そこで、中学から習熟度別クラスを導入してはどうかと考えました。
1、国立大学付属・難関私立受験コース
2、地元公立高校受験コース
3、音楽コース
4、美術コース
5、スポーツコース
6、一般コース(まだ、自分の目指す方向が定まらない子供向け)
7、低レベルコース(表現の仕方が悪いかもしれませんが、勉強は苦手だけれど、一生懸命
            努力している子供向け)
8、掃きだめコース(授業の邪魔をしたり、勉強だけでなく、何に関してもやる気がない不良、
            腐ったミカン向け)

中学の段階から、ここまで細かくしなくてもいいかもしれませんが、
意見をお願いします。

A 回答 (6件)

 少なくとも教育課程としての公立中学校の位置付け(学校教育法における位置付け)の趣旨としては僕は賛同できかねます。


 因みに中学校の教育課程がどのような趣旨で設けられているかご存知ですか?。文部科学省の法令で規定されている「中学校」は「義務教育課程」を行う施設であり、ここで行われる教育指導は学校教育法第21条に以下の規定があります。
【学校教育法第21条】
 義務教育として行われる普通教育は、教育基本法(平成18年法律第120号)第5条第2項に規定する目的を実現するため、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。

1.学校内外における社会的活動を促進し、自主、自律及び協同の精神、規範意識、公正な判断力並びに公共の精神に基づき主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。
2.学校内外における自然体験活動を促進し、生命及び自然を尊重する精神並びに環境の保全に寄与する態度を養うこと。
3.我が国と郷土の現状と歴史について、正しい理解に導き、伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する態度を養うとともに、進んで外国の文化の理解を通じて、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。
4.家族と家庭の役割、生活に必要な衣、食、住、情報、産業その他の事項について基礎的な理解と技能を養うこと。
5.読書に親しませ、生活に必要な国語を正しく理解し、使用する基礎的な能力を養うこと。
6.生活に必要な数量的な関係を正しく理解し、処理する基礎的な能力を養うこと。
7.生活にかかわる自然現象について、観察及び実験を通じて、科学的に理解し、処理する基礎的な能力を養うこと。
8.健康、安全で幸福な生活のために必要な習慣を養うとともに、運動を通じて体力を養い、心身の調和的発達を図ること。
9.生活を明るく豊かにする音楽、美術、文芸その他の芸術について基礎的な理解と技能を養うこと。
10.職業についての基礎的な知識と技能、勤労を重んずる態度及び個性に応じて将来の進路を選択する能力を養うこと。

更に教育基本法第5条に「義務教育」の意義と目的に関する規定があります。
【教育基本法第5条】
(義務教育)
第五条  国民は、その保護する子に、別に法律で定めるところにより、普通教育を受けさせる義務を負う。
2 義務教育として行われる普通教育は、各個人の有する能力を伸ばしつつ社会において自立的に生きる基礎を培い、また、国家及び社会の形成者として必要とされる基本的な資質を養うことを目的として行われるものとする。
3 国及び地方公共団体は、義務教育の機会を保障し、その水準を確保するため、適切な役割分担及び相互の協力の下、その実施に責任を負う。
4 国又は地方公共団体の設置する学校における義務教育については、授業料を徴収しない。

 つまり義務教育の意義は「日本国民が須く持つべき最低限の教育レベルを受けることの保証」 ということになります。
 判りやすく言えば、中学校を卒業すれば一端(いっぱし)の社会人として認定されることにもなります。恐らく質問者様は60年余り昔の日本が戦争へと突入していったプロセスと戦後の義務教育課程設立の関係をお判りになっていないことでしょう。満足な教育を受けることが出来なかったために物事の筋道をキチンと判断できない人間を数多く生み出してしまったことが直接的或いは間接的に日本を戦争への道に招いてしまった反省に基づいて義務教育課程のシステムは確立された。
 従って私立学校ならばいざ知らず、公立学校では教育の機会均等を旨とすることから予備校のように「生徒をランクによる選別」を行うことは許されない行為となります。
 あなたは自らが犯している過誤に気が付いていますか?。物事や人を本当の中身をみずに点数でのみ輪切りのようにランク付けして評価することが全面的に正しいと胸を張って主張できる根拠がありますか?。
 あなたの発想に基づくならば、中学校は高校への予備校であり、高校は大学への予備校であり、大学は就職のための予備校となってしまいます。また選別から外れた人物にはその選別以外の分野で途轍もない才能を発揮する人物も数多くいることも事実です。アインシュタインやビル・ゲーツなどの名だたる人物も従来の基準(あなたの好むランク付けの基準)では7や8に分類されかねません。
 僕は二足草鞋の形で大学の教員として学生に接していますが、僕のゼミナールにあなたのような不遜な学生が入ってきた時に最初にすることは「鼻っ柱をへし折る」ことから始めます。データの集積に集中してデータの意味を理解できない人間には大学の場は相応しくありません。「考える」「理解する」「関連づけて総体の中での位置付けを問う」ことが学問には必要です。結果よりもそのプロセスの方が大切です。
 今のあなたの目の前に「自分よりも数段上の実力を持つ」人が多勢いる世界に放り込まれたら、あなたのプライドなどずたずたに引き裂かれてしまうことなど目に見えていますよ。もっと多様な人と接していくことが必要と思われます。段々と腹が立ってきました。
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 スレ主さんの中学は大人数を前提ですね。

近所の中学(都会の真ん中)はほとんど30名以下の3クラスなので、そのように細分化しようとしたら(スポーツ芸術をひとくくりにしても)先生が相当数いらっしゃらないと無理です・・ので、不可能です。日本中だと3クラス以下の中学も相当数あると思われます。中学は義務教育で、日本中が同じ教育を受けなくてはいけませんから、大規模中学でだけ習熟度を採用することはできません。公立は、色々縛りだらけです。

 子供の私学ですが、過去に中学でも習熟度を採用したそうです、しかし、微妙な所で下のクラスに入った子の成績の低下が著しくて中学では取りやめたそうです。今では高校は文理分けたうえで習熟度別授業、中学は英語の英検準1級者以上+帰国子女クラスのみグレードわけしているそうです。中学生という幼いうちの習熟度は、できる人にのみ、有利なだけらしいです。それ以外には弊害の方が多いそうです。

 中学の時の成績で高校入試がある程度左右される現状の高校入試という体制も無理があるでしょう。習熟度別だと、どのようなテストをするのかもよります。子供の私学では、一番上の中の方の子より、2番目のクラスの1番の子のほうが成績の点は上でした。成績表をよくつけてもらうために真ん中のクラスを狙うとか・・おかしなことが起きてしまうのでは?
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 ♯4の方に質問です。

回答者様が「私立の良さを知ってる人は子供を入学させないでしょう。
今後は私のような考えを持つ人は増えますから公立に入学するお子さんの保護者は何にも考えていない人や低所得で仕方がない人の割合が増えます。ますます学校の生徒の質は低くなります。(市議会議員の御子息などは公立に入学するでしょうが、それくらいになります)」と仰る根拠は何処にあるのでしょうか?。
 例えば都立日比谷高校や戸山高校、西高校そして国立高校などは「優秀な学業成績」の公立高校としてつとに有名ですよね?。恐らくは回答者様が無意識のうちにその指標とされている東大進学率や有名難関大学への進学率等の数字を見ても私立の高校に引けを取ると考えることができるでしょうか?。
 また今後私のような考えを持つ人は増えますと断言できるほどの絶対的な根拠は何でしょうか?。更にこれを前提としての「公立に入学するお子さんの保護者は何にも考えていない人や低所得で仕方がない人の割合が増えます。(すると)ますます学校の生徒の質は低くなります」とは如何に何でも公教育と教育を受ける側の学習権と社会的生存権を否定しすぎと思われますが如何でしょう。もし回答者様のご子息が質問者様の設定する2・6・7・8に相当するレベルの学力だったならば回答者様はこのような趣旨の回答を寄せたでしょうか。教育に携わる者として甚だ疑問です。
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私は基本的にあなたの意見に賛成です。


 自分としてはそこまでクラスは多い必要は感じてませんが。また学力クラスを複数・芸術その他コースを1つでいいと感じています。スポーツなどのクラスがあると学校本来の目的を果たせないクラスにになってしまうからです・

他の方がおっしゃるとおり中学校は高校受験の予備校ではありません。ただ、社会に出る前の養成機関であることは事実です。義務教育の本来の目的は

(1)その子が社会に出ても生き延びていくための学力をつけること
(2)他の人に迷惑をかけたりしないように教育するため
(3)識字など個人国家にとって利益になることをい教えるため

です。しかし実際多くの人が高校に進学している点・費用対効果の観点から習熟度別を設けた方が効率的であることも現在では見過ごせない重要な課題であります。
学校の先生が習熟度別を設けない最大の理由は
「一番下のクラスをもって苦労したくないから」です。
一般企業や私立であれば断ることができますが、公立ではそれができません。先生としてはそれが一番いやですから。今でも問題児や勉強が極端にできない人は別々のクラスになってるはずです。
また単一レベルとしている今と違って習熟度別を導入すると教える内容が違いができ、授業内容が違ったものが必要になり先生の負担になります。それも嫌なのでしょう。

親御さんからのクレームも嫌いますが、そんなのはいい訳です。
私も中学まで公立でしたが自分に子供ができても絶対に公立には入学させません。
私立の良さを知ってる人は子供を入学させないでしょう。
今後は私のような考えを持つ人は増えますから公立に入学するお子さんの保護者は何にも考えていない人や低所得で仕方がない人の割合が増えます。ますます学校の生徒の質は低くなります。
(市議会議員の御子息などは公立に入学するでしょうが、それくらいになります)

教職員を再教育するのはとても大変なことです。
自己防衛のために上にあげた方法ぐらいしかないと考えてます。
スポーツクラスに反対ですが、それは「スポーツばっかりやれば世間を生きていける」と勘違いする人間が多くては国家の損失になるからです。(一生スポーツで食えるならそれはいいですが、そうならない人は反社会的になったり、就職の際に不利になってしまうからです。また国家レベルでそうした教育をするなら、リハビリやトレーニングによって日本人が健康になる手助けをする人間の養成ならありです)
ご参考までに。
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成績なんてそれこそ週単位で変わります。


週単位でクラス替えなんて馬鹿馬鹿しいですな。不毛です。

また、細分化しすぎると、対処できない事柄が増えすぎて、人として失敗作じみた
状態になりかねません。一般社会を見てみましょう。さまざまな人が存在するから
社会が成立するのです。それに対応できないのは、人格が薄っぺらいからとか、
経験値が絶対的に不足している(いわゆる未成熟)とかでしかありません。現代日本の
外交戦略の乏しさを思い出してみましょう。国際社会のヒキコモリだから、こんなザマです。

さまざまな人と接する機会がないと、人としての経験値が足りなくなります。


>>伸びる者も伸びません。
それはただの言い訳です。
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私立ならともかく公立であれば、それは賛成できません。


公立中学は様々な能力、性格、家庭環境の子供が共に学ぶ事に意義があると思います。
なぜならそれが社会の縮図だからです。
受験重視に徹するなら私立の中高一貫へ行けば良いと思います。
たとえば優秀だけれど家庭に経済力がなく公立しか行けない生徒はどうか。
裕福なエリート家庭に生まれたのでなければやっぱり社会の不合理、理不尽と闘って行かなければならないのは宿命です。
また、掃きだめコースの子がずっと腐ったミカンのままかと言えばそうではない可能性もあるわけで、なのに掃きだめコースに入れられたらそこから抜け出せないでしょう。
中学生というまだ不安定な年齢でそこまでの選択をせまるのはむしろ合理性に欠けると思います。
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