プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

健康食品の通信販売のCMでは、よく体験談が紹介されていますが、「其の内容が個人的な感想に留まっている事情」を画面の端に表示させていますね。

此の遣り方では、「期待通りの効果が出難い展開が(服薬ノンコンプライアンス的な)努力不足に起因している」という事情を訴えているのか否かが明確になっていないでしょう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%8D%E8%96%AC% …

でも、宗教の場合には状況が違う様です。

功徳の提供の継続を偽装し続け難くなった際に、比較的に多くの教祖の方々が信者の方々の精進の度量やら浄財の金額やらの不足を指摘なさり、酷い場合には、逆に自分達の思想の無謬性を偽装する為に、他の団体の教義との『利己的な比較』を行なっている、と思われます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E6%9B%B8% …

そこで伺います。

精進の度量やら浄財の金額やらの追加が因縁の払拭の為に必要になっている、という理不尽な指摘の矛盾に気付いていながらも、どうして信者の方々がサンクコスト(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3% …)等の上乗せを続けたがりやすいのでしょうか?

A 回答 (2件)

服薬遵守の段落は何を言いたいのか、その文章が私には理解できませんでした。

ストレートに書いて頂けないでしょうか。

信者は理不尽な指摘だと思っているでしょうか。それは、霊感商法のケースではないでしょうか。そうなると、もはや信者ではありませんね。

また埋没費用と思っているでしょうか。サンクコストのリンク先にある映画のチケット代金のたとえですが、経済学馬鹿でなければ、これを埋没費用と考える人は少ないと思います。たとえになっていないように思います。映画は経済的利益を求める活動ではないので、いうなれば適応の誤謬です。

宗教の場合はなおさらではありませんか。
まず、信者たちは、これまでにいくら払ったかをなんとなく覚えてはいるのでしょうが、それを回収するために追加投資を行うわけではないと思います。パチンコや競馬のように。
経済的にいえば、現金での消費と同じように、毎回、サービスを得ているのです。薬でいえば、その商品は自分の物になっているのです。残されている権利はせいぜいクーリングオフです。手数料を取らないで、供物を神様に捧げてもらえるのですよね。あるいは宗教者に祈祷やまじないをしてもらえるのですよね。サービス完了ですよね。そしてそもそもサービス業ではないのですよね。


>「比較的に多くの教祖の方々が信者の方々の精進の度量やら浄財の金額やらの不足を指摘なさり、」

そうなのでしょうか。ご経験があるのですか。比較的少ないのではないでしょうか。少なくとも教祖じきじきというのは。不足とは言わず、してみたら、を繰りえしているのではないでしょうか。「また」とか「もう一度」とかそういうサンクコストを意識したような言葉を挟まずに、常に新規のように進めているのではないでしょうか。


年金のサンクコストを考えていない日本国民は疑問に思われないのですか。年金の方こそ、完全に経済的活動ですよ。経済活動のサンクコストを考えな日本人が、宗教ではしっかりと埋没費用の回収を考える、というのは無理がありませんか。多くの精神的弱者は、なんであれ、縁があった、その空想的な集まりに参加したいんですよ。破綻してもいいから。盛り上げた方が楽しいでしょう。合理的な寂しい考えから解放されるわけだし。思考停止するまで奴隷になった方が幸せという人種なのです。自由と財産権を放棄した有権者なのです。

一番大事な点は、本当に一番大事な点ですが、どんなにひどい宗教でも、私やあなたに強制力を持ちません。年金は違いますよ。法律が通れば悪徳商法が合法化され、しかもその内容に強制力を上乗せしたのです。最悪のではありませんか。民族を破滅させるサンクコストですよ。

健康食品メーカーを叩いている批判活動は、自分の宗教(年金)の無謬性を偽装しているのではありませんかね。他の悪徳商法のお客を見下している場合ではないと思います。年金という宗教を信じ、役人にお布施を差し出し続けている国民なのですから。 タイトル「年金と宗教」も考えてみる価値があると思いますよ。なんで埋没費用を増やし続けるのですか。信者とはそういうものなのでしょうかね。

この回答への補足

別の問題に話題を広げて頂きまして、
誠に有り難う御座います。

質問文の作成を工夫したつもりでいたのですが、
余計にややこしくなりましたでしょうか?

尚、仰る通りに、教祖が直接的に浄財の金額やら精進の度量やらの不足を指摘する訳ではないでしょうけれども、入信の際の安堵感が薄れてきた時点で、功徳の継続を求める信者達への雄弁な【言い訳】を指導者達が為さる場合には、悪い因縁と精進・浄財の分量との比較が行なわれやすいのではないでしょうか?

補足日時:2011/07/17 01:21
    • good
    • 0

複雑化させ過ぎますと、的確な読解への期待が難しくなるかも知れません。

この回答への補足

http://okwave.jp/qa/q6883208.html
此方のページで問い直しを試みました。

補足日時:2011/07/18 13:59
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す