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ヒットラーの台頭は平和主義者のせい?

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  • 質問者:ideaism
  • 投稿日時:2003/10/23 12:45
  • 困り度:暇なときに回答をください

以前に、「ヒットラーの台頭を許し、第2次世界大戦を引き起こしたのは、英仏の宥和政策を主張していた反戦派のせいだ」と聞いたことがあります。

その理由がよくわからないのですが、詳しい方教えてください。
お願いします。

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No.3ベストアンサー10pt

  • 回答者:cse_ri2
  • 回答日時:2003/10/23 13:31

以前に類似の質問で回答していますので、ご参照を願います。

『小泉さん、世論は断固として戦争反対なんですよ!!』
 http://www.okweb.ne.jp/kotaeru.php3?q=502402

『ヒットラーを称えていました。』
 http://www.okweb.ne.jp/kotaeru.php3?q=310655


書籍としては『痛快! 憲法学』(小室直樹/集英社インターナショナル)が、
わかりやすくてオススメです。

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この回答へのお礼

参考URL読みました。

んー。
「戦争と平和」は難しいですねー。
イギリス・フランスの平和主義者による宥和政策が、かえって、ヒットラーの覇権を許し、第二次世界大戦を大規模なものにしてしまったのですか。。。

こういった、歴史の教訓は大事だと思います。
ありがとうございました。

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No.2ベストアンサー20pt

  • 回答者:otasukey
  • 回答日時:2003/10/23 13:25

ポーランド侵攻ではなく、第一次大戦後、非武装地帯と指定されたラインラントへの進駐にはじまり、オーストリア併合、そしてミュンヘン協定でチェコからの領土割譲を許したからでしょう。

1938年ドイツはオーストリアを併合した後、当時の重要な工業地帯だったチェコのズデーテンラントの領土割譲を要求します。(チェコの中でもドイツ人居住者が多い地域)
ミュンヘン協定によって、ズデーテンラントはドイツに割譲され、対ドイツ戦を意識して構築されてきたチェコ側の要塞線はほとんどがドイツ領になってしまい、チェコはもドイツに対抗する防衛線がなくなりました。チェコのベネシュ大統領は英国に亡命します。
その後、1939年9月1日、ドイツはポーランド・ドイツ不可侵条約を破ってポーランドに侵入し第二次世界大戦が始まったと記憶しています。

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この回答へのお礼

ラインラント進駐、オーストリア併合、ミュンヘン協定ですか。

確かに、英仏の宥和政策は失敗でしたね。

この暦史の教訓は、現在ではイラクや北朝鮮への対応でも考慮すべき教訓ですね。
これを知らずに、対イラク、対北朝鮮を考えていた私は、ちょと恥ずかしいです。

こういった、歴史こそ、学校でしっかり教えるべきだと思います。

回答ありがとうございました。

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  • 回答者:greensnake
  • 回答日時:2003/10/23 13:07

ヒットラーがポーランドへ侵攻した際に、英仏で議論が二手に割れました。主戦論者は、即座に武力行使を伴ってもヒットラーの覇権主義を止めるべしと主張したのに対し、反戦主義者からは、英仏が戦争に参加すべきではない、ヒットラーに対しては、政治的外交的に圧力を加える対応をすべきだという主張がなされました。
結果的に、反戦派の主張が主流となりましたが、結局外交的な手段では、ナチスの覇権主義を食い止めることが出来ず、ヒットラーの勢力が増した結果、第二次世界大戦に至ったということです。

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