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大日本帝国は、ポツダム宣言を受諾しなかったのではなく、連合国側の意図的判断により、詰まるところ、どうしても、原爆による、人体実験をしたかった経緯から、ポツダム宣言を受諾させなかった、という歴史解釈でよろしいのでしょうか?

A 回答 (5件)

無条件降伏、というのは国家にとってあまりに重い決断です。

通常は、条件付きの降伏です。賠償金を支払うとか、領土を割譲するとか、そういう条件を受け入れる代わりに降伏するというものです。
無条件降伏とはそれを一切受け入れないことです。極端な話、日本人は全員日本から出ていけといわれたらそれも従う、日本人の男は全員奴隷、女は売春婦にするといわれてもそれにも従う、それが無条件降伏です。いわれてそんなに簡単に受け入れられるものではありません。
もし質問者さんが国家から、財産も家族も全部差し出せ、さもなくば国家権力を使って恐ろしい目に遭わせるぞといわれてはいわかりましたと簡単に従うでしょうか。財産だけならまだしも家族も何もかも差し出せというのは応じられない、というか応じたら結局ぜんぶ取られて殺されるのではないか、それならどうせ殺されるなら精一杯抵抗したほうがマシだ、と考えるのではないでしょうか。

こうなった状態にあった当時の日本で、ポツダム宣言を受け入れたのは昭和天皇の「逆クーデター」に他なりませんでした。当時の昭和天皇は皇帝ですから、天皇が「受け入れる」と宣言すればそれには誰も反抗できなくなります。反抗すればそれはすなわち「逆賊」となります。
しかしそれまで天皇というのは政府から上奏されたものを認可するだけという慣例がありました。日米開戦のときは、その決定をする御前会議で昭和天皇は「本当にそんな戦争をしても大丈夫なのか」と異例の発言をしています。そもそも御前会議で天皇が「文句をつける」というのが極めて異例なので、御前会議で昭和天皇が「発言したい」といったときは侍従長を始め周囲の者が「それは前例がございません」と慌てて止め、しかし昭和天皇は「発言する」と言い出したなんて記録が残っています。
そもそも親英派で、日米開戦に大反対だった昭和天皇はこの状態に「だからいったこっちゃない」と怒り心頭だったと思います。だからこそ、逆クーデターに踏み切ったのだと思いますよ。


さて、原爆についてですが、ポツダム宣言の作成なんてのは政治家と政治屋の仕事です。彼らは原爆のことなんて知ったこっちゃないし、原爆を開発した人たちは政治家の考えていることなんて知ったことではないでしょう。
ただ、それがどんな人たちか分かりませんが、「本当に原爆が使えるかどうか、使ってみなけりゃわからない」と考える人たちがいたのは間違いないと思います。それがトルーマン大統領だったか、あるいは別の人なのか、それは分かりません。しかし、原爆であれどんなものであれ、実験と実践の間には越えられない壁があります。いくら女を口説く実験をしてみても、実際に実践して口説かないと落ちるかどうかなんてわからないでしょ。
そして実際に使ってみて、たった一発で都市が吹き飛んで、さらに放射能の影響で被災した人たちに長きに渡って塗炭の苦しみを与えることがよーく分かったわけです。

ポツダム宣言がどこまで原爆の使用を前提にしていたかは分かりませんが、あまりそれは前提にしていなかったと思います。ただ、本来は小倉に落とすはずだった原爆が天候不良で長崎に変更されたという事実を考えれば、やっぱり「使ってみたかった」というのはあったかと思います。
ただ、もし8/9に原爆を使わずに持ち帰ったとしたら、B-29がテニアンに着陸したときにその衝撃でテニアンで爆発しちゃう可能性もあるので、何が何でも使わないと、と思った側面はあったかもしれないですね(通常、爆撃機に爆弾が残っている場合は機体を軽くさせるためと暴発事故を防ぐために爆弾を捨てます)。
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この回答へのお礼

早速のレスポンス、ありがとうございます。

詳細なご説明をしていただきありがとうございます。

原爆投下も事後承諾で、後から理由付けはできますから。

司法も原爆症、認定は、戦後、ずっと、渋っていましたし・・・・。

お礼日時:2011/07/13 14:03

そうですね、連合国側で「戦後のイニシアチブ」が論点になり、


その調整が済むまでは終戦を先延ばしにしておこうと
無理難題(無条件降伏)を提示していたと見るのが事実に近いと思います。

ソ連を仲介役として、終戦に向けた外交交渉をしたところ、
アッサリ手玉に取られて宣戦布告されて領土を侵略されてしまいましたし、
それを見た米国は、鳶に油揚げをさらわれては大変! と
原爆・水爆を連続投下し「他にも保有している」ことをアピールしたのが本音でしょう。

人体実験というよりは、ソ連への威嚇ツールとしての資料作りの側面が強かっただと見るのが自然に思います。
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この回答へのお礼

ポツダム宣言を切るにしても、切り口はたくさんあるんですね。

勉強になりました。(^^;

お礼日時:2011/07/13 12:45

「ポツダム宣言」の主旨は、米英中ソによる日本政府への無条件降伏文書を承諾させて戦争を早く終わらせるところにあった・・・・と歴史の表面上ではそうなっていますが、このポツダム宣言は13ヵ条からなり、問題は13項目目のこの文言にあります。



13.全日本軍の無条件降伏。以上の行動に於ける日本国政府の誠意について、同政府による保障が提供されること。これ以外の選択肢は、迅速且つ完全なる壊滅のみ。

つまり受諾しないと日本には壊滅しか選択肢は無いぞという半ば脅しに近い内容です。裏を返すと4国を代表してアメリカが「新型爆弾を投下して日本を壊滅させるからね」という最後通告みたいなもんです。

時の総理、近衛文麿はこれを「黙殺」し、続く鈴木貫太郎もこれを「黙殺」しました。英中ソはともかくアメリカには日本がこの状況下でも、この宣言は飲まないであろうという確信に近い物があった筈です。日本は明治維新以降、戦争で敗北をした経験はありません。常に敵にあらゆる条件を飲ませ占領や戦争勝利に至っているのですから、まだまだ日本は負けん、という日本の「プライド」に敢えて挑戦状を叩きつけたわけです。それが「ポツダム宣言」です。「これまで戦争に負けた事の無いお前達がこの屈辱的な条件を飲めるか」という挑戦ですね。

13項目目の意図をようも知らんと黙殺した結果が「広島・長崎への原子爆弾投下」です。ugg06006さんの言う様に「人体実験」だけだったとしたら1ヵ所で充分にデータは採れる筈です。ですからこれは人体実験でも何でもないと思います。アメリカに言わせれば、ポツダム宣言の13項目目を忠実に履行したんだよ、という事になると思います。

確かにアメリカの意図は最後の手段として原爆投下をする事にあったと思います。13項目目の文言からもそれが読み取れます。しかしアメリカは他国、特にソ連には原爆の用意があるという事を隠しておきたくて、わざとに文言を濁したと思われます。事実、終戦後731部隊の人体実験データがソ連に流れない様にあらゆる工作をしています。データと引き換えに731部隊を戦争裁判にかけないという条件をつけてまでもアメリカはそのデータを手に入れています。

真実は当事者しか判らない事ですが、事実は上記の様な事だったんじゃないかという「推測」はつきますね。
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この回答へのお礼

>時の総理、近衛文麿はこれを「黙殺」し、続く鈴木貫太郎もこれを「黙殺」しました。

小磯國昭 のミスでしょうか?ごめんなさい。知ったかぶりかも・・・・。

お礼日時:2011/07/13 12:39

あまりよろしくないです。


アメリカは、日本が直ぐにはポツダム宣言を受諾しないと確信していたのです。もし受諾されたら、アメリカは原爆実験の機会を失ってしまいます。アメリカは日本がポツダム宣言を受諾しないことを原爆実験の正当化の理由にする為にポツダム宣言を発したのです。
アメリカはソ連の対日参戦の期日を知っていました。それはヤルタ協定で取り決めたことですから当たり前です。しかしヤルタ協定は秘密協定でしたから、日本は全く知りませんでした。
アメリカはソ連の対日参戦で日本がポツダム宣言を受諾することも分かっていました。
日本がどうしてポツダム宣言を受諾しなかったかというと、ポツダム宣言に加わっていなかったソ連が講和を仲介してくれることを期待したからです。
アメリカはポツダム宣言についてソ連とも打ち合わせて了解を得ていた。しかし、日本に対してはソ連は加わっていませんと騙していたのです。
こういう卑怯なトリックがあったのです。
日本はソ連に仲介を依頼していたが、ソ連は脈のある振りをして、何もしなかった。もしあっさり断ったら、日本はポツダム宣言を受諾してしまう。そうなれば、ソ連は対日参戦のチャンスを失ってしまう。
だからソ連も脈のある振りをしてずるずると日本をひきつけていたのです。
こうしてアメリカはソ連の対日参戦前の絶妙な機会に原爆実験を成し遂げた。
日本がポツダム宣言を受諾しないからだと極悪非道な人体実験を正当化する為です。

日本はアメリカとソ連の巧妙な罠を見抜けずに、アメリカの原爆実験もソ連の対日参戦も受けてしまった。
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この回答へのお礼

早速のレスポンス、ありがとうございます。

小生も全く、貴公の見解と同意見です。旧ソビエトの対日参戦は、姑息だとは思っていました。

ご名文、拝見させていただき、誠にありがとうございます。

お礼日時:2011/07/13 11:48

・大日本帝国は、ポツダム宣言を受諾しなかったのではなく








受諾して降伏したので、間違いです

・、原爆による、人体実験をしたかった経緯から



原爆を開発、使用したのは 大日本帝国でなくアメリカです、間違いです
ちなみに、トリニティ実験場での一度の爆破試験だけで人体実験行わずに
広島・長崎で実戦使用されました

ポツダム宣言を受諾させなかった



連合国(少なくとも米英は)、本土決戦で百万単位の戦死者出すより
ポツダム宣言受諾で日本の早期降伏を望んでいたので
間違いです
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この回答へのお礼

ポツダム宣言は、1945年7月26日だったかと記憶しています。

済みません。小生の読解力の無さから、貴公にご迷惑をおかけしました。

ポツダム宣言は、1945年7月26日です。繰り返すようですが。ですが、その前日に、原爆投下を既に、連合国は決断していたとも、聞いた記憶があるのですが、間違いなのでしょうか?

お礼日時:2011/07/13 11:25

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