江戸時代の殆どの日本人達は西洋近代体育の方式の歩法を体得していませんでしたので、当時の或る絵画にも描かれています通りに、火事場でも、多くの庶民は万歳ポーズで慌てふためいて速やかな逃走を叶えられなかったそうです。
従いまして、其の事情からも類推されます通りに、たとえ人々が火事場に立ち会いましても、火事場の馬鹿力が適切な閃きをインバウンド的に感受させてくれ得るとは限りませんでして、良くも悪しくも普段に習慣付けられた癖が助長されて咄嗟の判断を当事者達に促す様です。
でも、『先の先』で相手からの先手を誘い込める段階の【無心】が体得された著名な或る武道家の方の体験談によりますと、火事場の馬鹿力が適切に働いた場合には、咄嗟の不意打ちを容易にかわさせてくれるらしいのですが、逆に自分から働きかけていくアウトバウンド的な発想(本音)の抑制が犠牲になっていた故に、其の技術が身に付いた途端に、【燃え尽き症候群】の状態に陥ったそうです。
確かに武道と違う様々な芸道(書道・華道・美術・音楽・茶道等)にも共通の身体操作技能が含まれている事情への見直しの御蔭で其の方は当該問題を克服されたそうなのですが、此の内容を私が知りました時に、ふと気になった事が御座いますから、教えて下さい。
閃きは外部からの情報との御縁に依存しているのでしょうか?
No.5ベストアンサー
- 回答日時:
>因みに、全体の能動性は個々へ求心的に作用していくのでしょうか?
個と全体との関係は、一即多、多即一、というべきものです。
即とは同一である事を指し、不可分というような曖昧なものではないと思います。
同一でありながらも
全体の能動性を、個の側から推し量ろうとする時
それらは不可得という形でしか現れてこない、もののようです。
形而上学的に規定する事ができないものと思います。
閃きが生じるという、個における受動態は、不可得なる全体の能動性によるものであり
個における受動態もまた、全体の能動性と同一である、といったものかもしれません。
同一でありながら、不可得なるものに照らされている、働きかけを受けている、という状態のようにも思われます。
その作用は、体験によって、全体の能動性に参入しなければ分からないもののようです。
思量の範囲の及ばないものと思います。
可能性としては、体験を形式化した行法である密教の三密加持といったものにおいて見られるものがあると思います。
ここには、法身という宇宙の働きと、個である人の働きの同一的展開といった世界があります。
宗教色を抜きにしても、精神科学的な見地から参考になるものと思います。
そこに説かれている、作用面については、私が解説すべきものではありませんし、また許される事ではないと思っています。
推測を超えたものである、とだけ言っておくことにします。
以上です。
No.4
- 回答日時:
『「無心」の状態を体得出来た、、、』とお答えですが、その場合には『行き詰まるものが無くなる事を意味します。
』何故なら、人間の可能性とは、或は人間の限界は当の本人が作っているからです。「無心」の状態を体得出来たと言う意味は、その限界が無かった事を意味するからです。自分の殻を自分で破ったと言う意味が『体得する事』だからです。言い替えるなら『有限のこの身を、永遠の中で遊ばせる』と言う意味も含まれているからです。
自分の中の命を働かせる働きが『主導権を握る』と言う意味があります。有限世界で悶え悩む事がなくなって、『春の海のたりのたりかな!』と言う心的状態が体現する事になるからです。
その世界には『生と死』を共にありがたく頂戴出来る、『絶対肯定という足場が完成されているからです』よい事も悪い事も共に同じと言う見方が出来ない以上、人間は苦しむのかも知れません。
生を良い事として、死を悪い事としてみる見方の変更が『未だ出来ていないのかも知れません』
分別を捨てるだけで、道に至る事が出来ます。それは好きと嫌いを分け隔てしない見方の事を云っています。
道に至ったと言う場合、幼子の心が手に入ります。何事にも計らいがない態度です。燃え尽きたという計らいさえなくなって、燃え尽きたから脱出したいと言う計らいさえなくなるという意味です。
幼子が『何の目的もなくても、或は何の為に生きているのかさえも知らずに、ただ今を生きている様の事を言っています』幸せか?満ち足りているのか?さえ思わない生き方の中にこそ『本当の健康や、幸福が存在しています。』
「無心」の状態を体得出来たと言う意味は『大人の嬰児』になると言う意味になりますので、燃え尽き症候群にはなりえないという意味になります。
この回答への補足
すいません。
残念ながら、「無心」とは単純にアウトバウンド的な情緒思考の停止に過ぎません。
そうだからこそ、たとえ古代人が無心を体得しましても、超弦理論とかフラクタルとかの数式を思い浮かべられないのです。
No.3
- 回答日時:
以下推測です。
閃きとは条件によって生じるものではないようです。
条件とは、意識が設定しうるものであり、同時に思量の範囲を示すものです。
思量の範囲を超えたものが閃きです。
閃きとは条件によって生じるものではなく、個人の存在状況の変化において主観外のものが与えられる事です。
直観を通して瞬間的に与えられるという事は、存在状況の変化の一点において、全体から個へ伝わるべきものがあったという感応の証明です。
直観によって受動的に閃きが得られる、という事には、個を含めた全体における必然性といったものがあるようです。
しかしながら、個人の意識の側からは、その必然性は認識され得ず、偶然という時間的誤認識のみがもたらされているようです。
全体とは事象全体を指し、その実体は社会、環境、自然、宇宙といった、個が置かれている総合的な存在の場の全て、といったものです。
閃きとは受動的なものでありながらも、実は、その事自体も含めて全体においての能動性の顕れであるかもしれません。
閃きとは、個人の主観の領域に落された雷の如きもの、といった感じですが、それを受け入れる事ができる、という事がその証明でもあるかもしれません。
また、閃きでない閃きというものもあります。
それらは、全体と個の感応の働きを前提にしていると思われる、客観的事象の展開です。
そちらについては自内証における事象の解釈という危険性をも含んでいるものです。
一事象に対する解釈が、個人に与えられたものであると知る時、閃きと同様の意味をもつのです。
五感を通して知る事象が、実は、五感を通して必要な情報が与えられたものであるという解釈です。
これらは、体験の世界であり、語るべき価値を見出す必要のないもののようです。
以上が大凡の推測です。
ご参考になさってください。
この回答への補足
有り難う御座います。
資本主義社会の企業の従業員達が異分野の業界の情報との邂逅によって感化されて、何らかの素晴らしい閃きを得た御蔭で、特許対象の発明が叶えられる、という状況は、是迄にも多くの企業の中で繰り返されてきたのではないでしょうか?
従いまして、其の状況を極端な事例にも当て嵌める為に、此処の質問文の通りの事例(無心による馬鹿力を火事場的な緊急事態でも発揮させる為の日常的な準備の価値)を採用させて頂きました。
別のページ(http://okwave.jp/qa/q6881587.html)にも回答を下さいまして、誠に有り難う御座います。
因みに、全体の能動性は個々へ求心的に作用していくのでしょうか?
No.2
- 回答日時:
閃きは外部からの情報との御縁に依存しているのでしょうか?
○ 状況に応じて様々な知識、力が及びます。知識はひらめきと呼ばれますが、力は「火事場の馬鹿力」と呼ばれるだけなのです。
人文・科学系の研究者には情報として、スポーツ系の選手には実質的な力が及ぶのです。それらは全て閃きで処理されるものですが、すべて外部要因です。
知識には知識、力には力ですね。スポーツ選手は鍛錬の限りを尽くして戦いますが、それを見守る外力があるのですね。外力がスポーツ選手に入る時は選手の一瞬の無心状態の時のみですね。そのような状態で勝った選手は勝った時の記憶が無いはずです。何故なら自分ではない状態だからですね。
私も若いころ剣道をやっていて、そのような勝ち方を何度か経験しました。
戦いはより強い外力を引き入れた者が勝つのですね。今度のワールド女子サッカーもサッカーの神が付いたほうが勝ちですね。当然、実力伯仲の場合ですよ。実力差がある場合は神も笑ってみているだけですからね。試合に入り込み無心になったものがいるとそこに外力が及ぶのですね。あっと驚くようなシュートが生まれますよ。それはとてもひ弱な女性ではないようなものですね。
人間は普通は自分の得た知識、肉体強度以上のことは考えも、力も及ばないのです。これは肉体を主体とする考えかたですね。逆に肉体は精神の道具でしかないという考えが本当の人なのですね。そこに、精神を機軸とするものに閃きという概念があるのですね。
「火事場の馬鹿力」も閃きの範疇なのですよ。全てが外部要因ですといってよいものです。
この回答への補足
回答は有り難いのですが、此処の質問の冒頭で私が言及しております通りに、周到な準備が整っていない環境へは閃きが起こり得ない、という有名な事情との関わりに触れて頂いていませんから、再度の説明を賜れませんでしょうか?
因みに、特に上記の質問文の中で紹介させて頂いた武道家の男性は、約40年の昔に遠当てのインバウンド的な誘発の条件を解明なさっていますが、それが出来上がった途端に、「燃え尽き症候群」の状態へ陥ったそうですので、どうして、其の克服の為に、他の分野からの情報との関係を閃けたのかが分からなくて、此の質問を致しました。
No.1
- 回答日時:
閃きは外部からの情報との御縁に依存しているのでしょうか? と言う問い掛けに素人ながら加わらせていただきます。
剣と禅は同じと云う言葉が在ります。或は『道』が付く日本古来のものがありますが、その事にも通じている一本の筋が通じているものが存在すると感じています。
人間の『意識』では掴み難くて、そのくせ、人間の意識とも繋がっているものとの関係です。禅では自分自身を知る事がその極意とされています。つまり『見性成仏』と言う自身の中で働いている者、つまり自分自身の働きの意思(仏性)との出会いを『道に至る』事として最大眼目にしています。
その結果を『生死の問題が解決する』と言う風に書いています。その事を自分なりの解釈の仕方で書いてみます。
人間の心の中には『自分自身では計り知れないもの』が存在しています。その結果を自分は何者か?と言う風にして感じています。つまり自分自身の『心の矛盾』を自分の心が感じていると言う意味です。
その現象がどうして人間にだけ存在するのかを書いて見ます。
その原因は脳の機能からです。人間の脳には『機能が違う意識』が二つ存在しているからです。脳の機能が違うと云う事と、その意識は別な者として働いていると言う文献を先に紹介しておきます。
”ロジャースペリー 分離脳
ノーベル賞受賞者
受賞年:1981年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究
ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球が『それぞれ独立した意識』を持っていることを実証した。”
この『二つの脳半球が『それぞれ独立した意識』を持っていることを実証した。”』と言うところがみそになっています。
左脳に存在する意識が、顕在意識です、言い替えるなら『自我意識』と云う事になります。この意識は言葉を使いこなす能力が在ります。この言葉を使う事によって人類は文明を築き上げて来ましたが、同時に『障害』も背負う運命ともなっています。この障害と云う事は後回しにして、右脳の機能から説明します。
右脳の機能は『人間の命そのものを働かせている意識です』言葉を持っていません、言葉を理解する力はあるけれど、言葉では表現出来ません。そうしてその機能の一端を書いてみます。
人間の生命活動を一手に引き受けている者です、(1)身体的な生命活動と、(2)行動面における生命活動と、(3)人間の心に関する生命活動という風に分けて書くと分かり易いかも知れません。
(1)身体的な生命活動とは、生命として生じた瞬間から働き出す働きです。人間以前生命体としての記憶から始まっているものです。細胞分裂する事を知っている働きです。そうして誕生するや否や、息をする事や心臓が働く働きです。暑い時には汗を流す仕組みです。寒い時には血管を収縮させる働きです。ホルモンの調節も全て一手に握っていて、死ぬまで働き続ける働きです。この働きを働き続ける意思=人格です。
(2)行動面における生命活動とは、人間の行動は全て、『意識する自分=自我意識』と『無意識の時の自分』との交替制から成り立っています。健常者と言う人達はその交替制が、『余りにも順調に上手く行っている為に、交替制になっている事が』全く気が付かないでいる人の事です。
(3)人間の心に関する生命活動という事は、『自分の心を誘導していると言う意味です。』例えば寒い時には、暖かい所を探させると言う意味です。逆に暑い時には涼しい所を探すように指示を出したり、水を欲しくなるように促す働き掛けです。
その右脳の意識は、学ぶ事をしないでも全て知っている者です、その証拠は『人間は生まれて直ぐに学ぶ事無く、不安や恐怖や安心する事』を知っています。大人になった場合は、笑う場面では笑わせると言う働き掛けを『自我意識にしています』、泣きたくなる場面では、泣かせる働きをしています。感動する場面では全ての人に等しくその感動する事を伝えています。
劇場などの総立ちになってアンコールを求める場面などの『陰になって働いている働き』です。各人の心にそのように働きかけている働きです。
その働きは学ぶ事無く働いています。高い所に上がった時の恐怖感や、納期が迫った場合の切迫感などです。左脳に存在する自我意識に脳梁を介して情報を流している者です。
そうして咄嗟の危険に対しては、『自我意識をそっちのけにして働く働き』の事です。この場合『火事場のばか力』と言う場合もあります。自我意識が体に命令を出す前に働く働きです。その事を『思わずに行動していた』と言います。自我意識は憶えていないかも知れません。何故なら自我意識は交替していたからです。
先ほど『言葉を使う事から障害が生じる』場合が在ると書きましたが、その事に触れてみます。人間が障害と感じる事は『意識する事』によって生じています。
人間が感じる『違和感』が在りますが、その違和感を何処にどのように感じているのかでその障害の根本が分ります。
心に違和感を感じている場合その原因は、『自我意識』が『自分の命の働きの意志』と仲違いしていると言う意味になります。自分の心は『無意識の状態の時に休まっています』意識地獄の状態の時『無意識の自分を』封じ込めています。その封じ込んだ筈の『意識』からの、抗議の声を『生き難い想い』として受取っています。是は、『(3)人間の心に関する生命活動』という分野で交替制が崩れた事を意味します。『心を病む原因』と言う意味です。
人間が自分の行動面に『違和感を抱く場合』『(2)行動面における生命活動』においての交替制が崩れた事を意味します。交替でき難くなる場合を言っています。この場合にも自分の『無意識』からの抗議を受けています。その抗議が同じく『生き難い想い』となって、自我意識に圧迫を加えています。無意識からの交替要請ですが、わかり難いです。この現象を『神経症』と言う風に今の医学では解釈しています。
人間が身体に付いて違和感を抱いて、検査したり、精密検査をした場合に何処にも異常が見つからない場合が在ります。この場合自分自身の『(1)身体的な生命活動』に違和感を抱いています。この場合にも『生き難い想い』を感じます。この場合を『自律神経失調症』と言っています。
自分自身の心や体のシステムに違和感を抱く場合、自分自身に敏感な性格と思いますが、その場合を『神経質な性格』と表現しています。それは自分自身の体や心のシステムに疑いを抱いている事を意味します。
その解消方法が『悟り』です。人間の心のシステムを知る事で全ての障害が消滅すると言う意味になります。今書いた三つの事柄或は、病名と言う言い方も症状と言う言い方も、障害という言い方も出来ますが、全て『心の矛盾』を何処かに感じている事を意味します。
深い自分自身への洞察力、或は自分自身の人間性への目覚めから解消する事が出来ます。これ等の障害を持ったと言う意味は『深い人間性、或は自分自身への信頼性を』求めている事を意味します。
言い替えるなら、自分自身の働きの意志が、『自分の声を聞くように促している』と言う意味です。
道に至る事で全ての障害は消えます。中国やインドでは『禅』は廃れてなくなってしまったと云う事ですが、日本には禅が残っています。禅問答を解く中に『道に至る』と言う道筋が見えています。
禅問答は『言葉のない意識』が書かせたものと言えます。言葉を持っていない脳の意識が出てきた場合『禅問答は解く事が出来ます』それは意識していない時の自分と、意識している自分との出会いを意味します。
その経験以後二つの意識の間には『ホットラインが通じた事を意味します』二度と争う事がなくなるという意味です。心が飽く迄も静まり返っていると言う意味です。心に平安が戻ってくると言う意味です。
心の矛盾が解消されて、心が静まり返った様を『涅槃』と形容しています。この心境をキリスト教では『神と和解する』と言っています。心的な内容は同じです。右脳の意識と左脳の意識にホットラインが通じたと言う意味になります。
自我意識が感じている違和感や、生き難い想いは、もう一つの意識からの救いの声と言う言い方も出来ます。その声に蓋をする効能が、良い薬の条件になっています。今の医学の方向性に疑問を感じている者の一人です。
寛解を通り越して完治した姿を『お釈迦様』は2,500年以上も前に指し示しています。
『閃きは外部からの情報との御縁に依存しているのでしょうか? 』と言う答えは『自分自身のもう一つの意識からの情報から』と云う事になります。その者は無意識の底に封印された形で存在しています。静かに自分自身と対話する事でその情報の解読が出来ることを意味します。
この回答への補足
有り難う御座います。
「無心」の状態を体得出来た後で「燃え尽き症候群」に陥った某男性の当該症状克服方法を、此処の質問文では事例に挙げて謎解きの御協力を御願いしていますが、その内容を踏まえて頂いていますか?
つまり、行き詰まりの打開の為に必要な情報を与えてくれ得るヒントとの出会いが、どういう社会的な切っ掛けで得られるのかが分からなくて、此の質問を致しております。
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