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暴力、レイプ、こんなもの見たくないという人は
クリエイターにはなれないのでしょうか。
日常を振り切る手段として用いられることや、
人間の異常な部分が表れ易いのが性であることなど、
これらの必要とされるのはわかるのですが、
別の方向に何かあるのではないでしょうか。
そしてそれらの価値は?
私にどんな情報が必要/不必要かはお気になさらずに、
考えをお持ちの方、書き込みお願いします。

(同人系のイラスト投稿誌に載っていた、ALICEのようにcuteな女の子(カントリーちっく)
、オレンジを手に、バックには「時計仕掛けのオレンジ」の文字、
あの絵を書いた女の子(多分)は時計仕掛けのオレンジを見たのかなあ。)

A 回答 (4件)

うーん、現実感の有る作品を作りたいなら現実をそれそのものとして捉える能力は必要だと思います。


暴力やレイプ、家庭内暴力は実際現実問題として存在します。
それを無視した作品は現実味を帯びないのではないかと思います。
まあ、世の中奇麗事だけではないと言うことですね。
だからといって、わざわざそれを取上げなければならないかというとそうではないと思います。

さてはて、では暴力がない作品とは……
例えば、アニメでは「トトロ」とか、映画では「タイタニック」「恋愛小説家」とかですかね。
つまり、日常の中の非日常を描いた作品でしょうか。

一般に作品というと「非日常」を描くものという固定観念がありますが「非日常」には3種類有ります。

1)日常とは関係ない事件(非日常)
2)日常の中のちょっとした出来事を描く(日常の中の非日常)
3)周りから見ると非日常的生活を送っている人を描く(非日常的日常)

です。

1)の場合は多くは暴力、レイプなどの表現が多く使われますが、2)3)ではあまり使われないかな?
まあ、場合によるので色々でしょうが……(^^;

例を出すなら

1):タイタニック
2):恋愛小説家
3):トトロや魔女の宅急便

とまあ、暴力ざたを題材にする必要は全然ないわけですね。

ただし、「不幸なことを見たくない」というのは困ります。
大体において「困難なこと」や「敵対者(嫌がらせなど)」などがあり、それを乗り越えたりする過程を描くものだから、どうしても「不幸」は描かなければならないでしょうね(^^;

こんな感じでしょうか。
参考になれば幸いです(^^)
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この回答へのお礼

ありがとうございました。とても参考になりました。
「評価されているもの」を見ていくとそのようなものにばかりあたっていたので、
少しうんざりしていたのですが、
しかし現実感のあるものが人を揺さぶるのは当たり前ですね。
何をあらわしたいのか、もう一度突き詰めて考えたいと思います。
また「現実」についても、ありのままの大きさで見るようにしなければと思いました。
でも『不幸』を「乗り越える」ってなんでしょう。私が「乗り越え」たときはじめて
そういうものをつくることができるのでしょうか。うーん。

お礼日時:2001/04/28 15:33

ふむ?「主に恋愛ものを」?



恋愛ものは「恋愛小説家」だけだと思うが……

「タイタニック」も恋愛ものととれるかもしれないが、どちらかというと「冒険活劇」だと思う。まあ、見方にもよるか……

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buranさんの意見には賛成かな。
もっとも、日常を描く作業は日常の中のちょっとした出来事を見つけていく作業でもあるわけで2)に該当すると思っている。
ぶっちゃけて言うと「今日皿を割って怪我をした」「今日誰それと出会った」という些細なことも2)に当てはまる。
日記をいかにうまくかけるかという問題でもあるかもしれない。
つまり、「日常の中の非日常」は「日常」の一部なのです。
その辺に勘違いがあったのかな?

恋愛ものは「恋愛」そのものが「日常」であり、恋する本人にとっては「非日常」であるが故に2)に該当すると考えました。

ある意味、日常過ぎて物語の主軸になりにくい素材かもしれないですね。

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「不幸」について

直接の事故や能力不足、敵対者など目的に対して起こる障害を纏めて「不幸」と呼びました。
これらの障害を倒すなり、和解するなり、努力して成し遂げるなり、知恵を絞って解決するなりすることが物語の主題となることが多いようです。

よって、下記の説明になりました。

以上
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この回答へのお礼

日常の中から何かを見つける力が大切ですね。
日常って何にもないようにも見えるし、でもその中には些細なことがいっぱいあるし、
少し離れたところなら犯罪だってたくさんあるかもしれない。
本当はあるかもじゃなくて必ず存在するものだけど、見ていなかっただけのものが
たくさんある。
簡単に通り過ぎてしまわないようしなければと思います。

「不幸」については多く扱われていますが、それを描くにあたって重要なのは最後、
どこで(物語に/自分に)けりをつけるか、そしてそれがどこまで通用するか(共感)
だと思います。多くは乗り越えたことによる成長でしょうが、
自己満足に陥りやすい箇所(作品の出来を大きく左右する箇所)であると思います。
クリエイター自身が豊かな経験を必要とするのは確かでしょうね。

お礼日時:2001/05/01 17:44

どんな情報を求めておられるか。

そこを敢えて外しておられるので、困惑しています。
それはさておき、暴力・レイプを見たくない人がクリエイターになれるか?ということですが、私は十分なれると思います。

ある人間の一生を縦軸に、その瞬間に世界で起こっていることを横軸においたとき、そのようなことがさして頻繁におとずれることではないからです。ただ、何らかの形でそれらに関わるような事態が起こったときに、その人にとっては重要な出来事になるのは間違いないと思いますが・・・。

逆にこれらのことをクリエイティブな側面で取り上げようとするとき、普通の人生(おかしな言い方ですが)における平凡なライフイベントを描ききれないようでは、薄っぺらい作品しか上がってこないでしょう。

そういう意味で、暴力を描くにせよ何にせよ、小さな出来事や庶民の思い出など日の当たらない事柄を十分観察しイメージを蓄えておくことが、作品のクオリティの向上に最も寄与すると私は思います。

日常あっての非日常であり、非日常ばかり観賞していてもどうかとは思います。非日常を描ききるよりも日常を描ききる方が数段困難だと思いますが。(もちろん、徹底した非日常を描ききることはもっと困難でやり遂げたクリエイターが少ないのも事実です。中途半端なのは多いけど。)

時計仕掛けのオレンジを見られたのならもう十分でしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
レイプや暴力についても、現実の要素として、その占める割合に合う大きさで
見ようと思います。それが描く対象によって変わってくるということもよくわかりました。
とにかく、自分が何をどのように描くのかをしっかり考えたいと思います。
日常を描くにしても、つまんないものにならないようにしたいですし。
非日常を描くにしても、日常の感覚がないとリアルなものにはならないでしょうし。

「時計仕掛けのオレンジ」は実は全部は見ていません。授業でレイプシーンだけ
(間は早送り(笑))見ました。すみません。

お礼日時:2001/05/01 17:12

前の方が、暴力がない作品として主に恋愛物を取り上げていますが


現実には愛があれば、暴力もあるものです。
どちらも普通の人間の感情ではないでしょうか?

なれないということは無いにしても、そのような疑問を抱くという事は
クリエイターにはあまり向いていないのではと思います。
(確かに残虐なものなどは見たくないというのはわかるのですが)
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この回答へのお礼

アドバイス有難う御座います。
私は「恋愛小説家」は観ていないのですが、「日常の中のちょっとした出来事」として挙げてありますので、
日常のほんの一部分ならば、切り取り方の違いで、そういうものの入らないものもあるわけで、
「周りから見ると非日常的生活を送っている人」にしてもサンプルの選び方の違いで、
確かに普通の人間の感情から暴力やレイプはあるようですが、
感情の存在とオモテにあらわれる事実はイコールじゃないし、
そのような作品をたくさん見ると、現実を勘違いしてしまいそうです。
私は残虐なものを避けようとしているのではなくて、ありのままにとらえたいと思うし、
それを構成する要素や、それ以外の根底にあるものをみつけたいと思うし、
何より新しく現実を描きたいと思うのです。

お礼日時:2001/04/30 15:13

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