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参考書では、中庸の具体例として

不足←中庸→過度
のようにあらわすと


臆病←勇気→無謀
鈍感←節制→放埒
卑屈←自尊心→虚栄


がありますが
節制は逆じゃないですか?

欲望の制御が不足すれば放埒になって
過度になると鈍感になるのではないのですか?


それとも、この解釈は
節制をしすぎた生き方はかえって大量の欲望をうみだし放埒な生き方をしかねないからよくない、ある程度節制を緩めて、ある程度の欲を満たすような生き方がいい

節制が欠けた生き方では、既存のあらゆる欲が満たされてしまい、新しい欲に鈍感になりがちだからよくない、ある程度は節制して欲を生み出した方がいい

よって中庸が好ましい


…と自分なりに考えましたが
どのように考えるのが正しいのでしょうか?

A 回答 (1件)

徳の項目がないからいけないのです。



勇気は、「恐怖と平然」に関する中庸です。
節制は、「快楽と苦痛」に関する中庸です。

ですから問題ありませんね。
「快楽と苦痛の不足」が鈍感で
「快楽と苦痛の過多」が放埓です。
その間の節制と抽象化される状態にするのが美徳なのだと。


しかしながらあなたの説や解釈はなかなかでした。

何事も具体性が大事です。具体性によって思索に節度が伴います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

自分はどうやら

勇気は「快楽と苦痛」に関する中庸
節制は「恐怖と平然」に関する中庸

ではなく

勇気という中庸は、勇気がどれだけあるかないかで得られる中庸
節制という中庸は、節制という行為をどれだけできるかできないかで得られる中庸

のように誤解していたようです

お礼日時:2011/07/30 11:05

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