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戦時中米軍は長岡・富山・福井等、北越地区のいくつかの都市に空襲を行っていますが、原爆投下目標の一つだった新潟を除き、高岡や金沢,小松といった中堅以上の都市に何故空襲を行わなかったのでしょうか?

A 回答 (2件)

古い話ですが、B29が爆撃の為紀伊水道を上がって来ると太平洋側の都市が爆撃対象になりま


す。

文化保護だからと言うのは日本人が後程言い出した事で爆撃とは何ら関わりありません。
一部そう言う機密文書は残っているようですがあくまでアメリカ軍司令内部の問題である故正確には判りません。

高岡や金沢,小松は単に飛行コースから外れている(帰還するのに燃料が持たない)に過ぎなかったと考えます。

大阪が焼け野原になった時私は国民学校2年生、当時茨木の親戚へ遊びに行っていましたが、大変な爆撃音。電車は止まっているので家まで歩いて帰りました。(35キロ)

あくる日、疎開先の大津でも大阪大空襲の余波で朝10時に爆撃で出来た黒雲が空一面立ち込め未だ夜が明けないような薄暗い状態でした。

B29は焼夷弾を(ナパーム弾)を満載していますがグアムから飛び立ち目的地で爆弾、焼夷弾を落とすと一旦日本海側へ抜けます。

U-ターンして帰路に就く訳ですが、その時人家のある処に余ったものをばら撒いて行きます。(軽くなり航続距離が長くなるので)

地理的に高岡や金沢,小松辺りはその航路から外れていると思いますよ。

敦賀、福井辺りへ抜けた後U-ターンして来たB29は京都の馬町に余った焼夷弾を落とし、民家が141戸、死者41名、西陣も同じように死者50人と言う事実もあります。

焼け野原になるようなものではなく限定的な爆撃でもなく帰り道の余った焼夷弾の処理であることは明白です。

10年ほど前、敦賀のメル友に頼まれて(50代)自分の出生日が母親の言う日と役所へ届けられている日が異なっているので本当の事を知りたいとの事。

母親に7月のある夜敦賀が空襲で爆発炎上市街地が燃えて山中からも大変な様子が見て取れた、その日にお前は生まれたと言われたとの事。

処が敦賀の夜爆撃で誕生した日のそんな事実が全く出てこない、調べもし、聞きもしたけれど誰も知らないので母親の記憶違いなのかと思ったとの事。

依頼を受けてネットサーフィンの結果当時84歳の人が軍事工場へ働きに行ってた時の書き込みに敦賀空襲(夜)の惨事が書かれてあるのを発見、その旨連絡、そのサイトを見て母親の言っていた事の正しさが判って感謝された事があります。

福井、敦賀はB29の爆撃コースの延長上にありそれぞれ大規模な爆撃を受けていますが、金沢あたりは少し外れています。

依頼された爆撃は当時空襲警報もなかったし本格的な爆撃ではなかった様子です。

名古屋空爆の飛行延長上は富山あたりになりますから飛行コースの地理的な理由による
物ではないでしょうか?

富山への爆撃では機雷と原爆の模擬であるパンプキン爆弾を原爆投下の練習台として投下されたはずです。

もう当時に鈴鹿の航空隊(当時従弟が教官として居た、毎日鶏の世話しかする事が無かったとの事)にも迎撃用飛行機(紫電改など)がなく、高射砲は2万メーターまで飛べる(過給機がついている)B29には届きませんし、(高度8000メータ位しか打てない)撃ってはいますが音だけで、高射砲の破片が落ちてきて地上の人に当たり亡くなるという事もあったようです。

空襲の体験者としては以上の様に考えます。

★あ、でも金さえあれば闇で色々な物が買えましたよ。
 あの頃は国の援助など全く無かったし放ったらかし、国債は紙屑になった。(記念にとってある)
 今は災害時も恵まれています。(余談)
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高岡や小松は知りませんが、金沢は奈良とか鎌倉などと同じく日本文化を破壊しないために、こういう古都は爆撃対象から外されます。

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