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人権制約原理は公共の福祉やパターナリスティックな制約があると習いました

ではマクリーン事件においてマクリーンさんはどのような理由から政治活動の自由を制約されたのてすか?
本来厳格な審査を要する表現の自由の制約はどのように肯定されたのですか

A 回答 (4件)

>国が「政治活動」という消極的事情を汲み取って不許可という裁量をした時点で


>それは
>制約といえるのではないでしょうか。
在留制度の枠内で同様の国の裁量権行使があれば制約になります。
しかし、繰り返しになりますが、
あくまで在留制度の枠内でのみ外国人の人権保障が図られるという
マクリーン事件最高裁判例の判断枠組みによる限り、
在留制度の枠外で、在留延長を許可するかどうかを判断する際の裁量については、
そもそも外国人の政治活動の自由の保障は及びません。
権利の制約は、その権利が保障されていることを当然の論理的前提にしますので、
政治活動の自由の保障がない以上、その制約という問題も当然に発生しません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

でもそれでいくと、「制度の枠内のみの人権」とは何なのでしょうか?
人権とは前国家的な権利です。つまり国家の存在を前提としなくても、人が人であれば
当然として生まれ持つ権利です。そしてそれは本来国家権力の横暴から国民の事由を守る
ための対抗手段であったはずです。ならば国家が自分で作った「在留制度」がなければ
存在しないような人権とは人権と言えるのでしょうか。「選挙権」なども「選挙制度」が
なければ存在しない権利で「他の人権とは異なった性質を持った人権」であるという説明
がされますが、本件における「表現の自由」は「精神的自由権」で、人権思想が本来
想定した前国家的権利です。マクリーン事件の判例はそのような疑問を残していると
思います。

しかしながら、私の質問は「マクリーン事件においてマクリーンさんが政治活動の自由を
制約された制約原理について」であったので、本件判例の枠組みを示し、「そもそもマク
リーンさんは政治活動の自由を制約されていない」という貴方が一番正しいと思います。

お礼日時:2011/08/10 11:58

マクリーン事件最高裁判例は、いわゆる外国人の人権保障について、


(1)日本国憲法の人権規定は、権利の性質上日本国民のみを対象とするものを除き、外国人にも適用されること、
(2)ただし、その保障は外国人在留制度の枠内においてなされるにとどまること、
の2点を前提として判示しています。

その上で、マクリーン氏が日本国内で政治活動を行ったことを理由に在留延長が認められなかったことにつき、
それが外国人に認められた政治活動の自由の範囲内の行為だったとしても<
在留制度の枠内において認められる権利保障に過ぎないのだから、
在留更新の有無という在留制度の枠外の問題についての国の裁量を拘束するものではない、として、
これが憲法に反しないと判示しています。

したがって、マクリーン事件最高裁判例の判断枠組みにしたがえば、
そもそもマクリーン氏は政治活動の自由の制約を受けていないということになります。
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この回答へのお礼

判例は、
「在留期間中の憲法の基本的人権の保障を受ける行為を在留期間の更新の際に消極的な
事情としてしんしゃくされないことまでの保障が与えられているものと解することは
できない。」
としています。
なるほど。政治活動の自由には、国がその裁量を使って在留更新の許可・不許可の判断
をする上でその政治活動が消極的な事情として影響しないまでの強い保障は与えられて
いないということですね。
しかしあくまでそれは国の裁量に影響しない保障が与えられていないだけであるから、
国が「政治活動」という消極的事情を汲み取って不許可という裁量をした時点でそれは
制約といえるのではないでしょうか。

お礼日時:2011/08/10 01:50

マクリーン事件は、争点は二つあります。



1,外国人に表現の自由は保障されるか。
  保障されるとして、それは日本人と
  同程度に保障されるものなのか。
    ↑
 これに対しては、原則保障されるが、国民主権
 を害するものは不可、ということになりました。
 つまり表現の自由制約の根拠は国民主権です。

2,外国人には日本に在留する権利はあるか。
    ↑
  これは原則保障されない、ということに
  なりました。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
まず、諸事情によりお礼が非常に遅くなってしまったことをお詫びします。

『国民主権』は人権を制約する根拠になるのですか?
例えば「国益」や「治安維持」という抽象的な概念が人権制約の根拠になるのなら
明治憲法下の形骸的な国民の権利が国家によるそれら『抽象的な概念』から人権が
制約された「法律の留保」と変わらない。だから人権が制約されるのは人権によって
のみであるという「内在制約説」が生まれ定説になりました。

だとすれば、国民主権とは具体的な人権であるのでしょうか。
外国人が政治活動をすることで誰かの具体的な人権を侵害するのでしょうか。

お礼日時:2011/08/09 21:33

 独立主権国家は国家としての意思決定およびその実施を外国から干渉を受けない、また干渉しないという原則があります。


 彼は外国人ですから、国内で日本の意思決定と実施に影響を及ぼしかねない可能性を持つ政治活動を日本国内で展開すると言う事は、外国人として日本の意思決定に干渉することを意味し、個人としてではありますが外国の主権を犯してしまっているのです。
 これは日本国民にとっての公共の福祉に反する行為に当たるので、彼(そしてその他全ての外国人)の政治活動の自由および政治的影響を意図する表現の自由は保障の範囲外とみなされます。

この回答への補足

回答ありがとうございます

内政干渉は『公共の福祉』を害するということですね

内在的制約説によると公共の福祉の意味とは人権は人権にしか制約されないことだと言います
ならば「日本国民にとっての公共の福祉に反する」とされた本件ではマクリーンさんの政治活動の自由は日本国民のどんな人権を侵害したのでしょうか

補足日時:2011/08/07 19:43
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