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私の場合です。

ア、教師の経験があって話題になっていた小結・智ノ花(とものはな)

イ、名前は忘れたけど、その智ノ花のいとこの幕下力士。引退後熊本県八代市の市議会議員に当選したので。

ウ、渋い相撲が魅力だった小結・豊山(ゆたかやま、長浜の方です)。大学時代、輪島のライバルだったので。

エ、十両優勝の時の笑顔が印象に残っている前頭・湊富士(みなとふじ)

オ、「ちびっ子ギャング」とあだ名され、相撲を取る姿が好きだった関脇・藤ノ川(ふじのかわ)

カ、部屋を逃げ出して自衛隊に入り、除隊してから再入門して話題になった関脇・玉ノ富士

キ、1974年9月場所の三重ノ海戦では、珍しい引分を記録した事で忘れられない小結・二子岳(ふたごだけ)

ク、現在、『料理天国』(TBS系列)の名物試食人などタレントとしてもテレビに出ている小結・龍虎(りゅうこ)。

ケ、がぶり寄りが見事だった関脇・逆鉾(さかほこ)

コ、逆鉾の弟で「タイフーン」と海外公演で呼ばれた関脇・寺尾

サ、「白いウルフ」とあだ名され、十両で五回も優勝した関脇・益荒雄(ますらお)

などなど

あなたは誰をイメージしますか?

A 回答 (5件)

貴闘力です。


残念なことになりましたが。

益荒雄も幕下の頃から応援してました。
怪我さえなければ大関にいったと思う。

鏡里が苦手にしていた鳴門海が印象に残ってます。
当時の最巨漢と最軽量。
なぜ大きな横綱が(大関だった?)勝てないのか不思議でした。

潜ると若乃花も手こずっていた岩風も不思議な力士でした。

初代若三杉が14勝1敗で優勝したとき、若乃花と若秩父が13勝2敗、同部屋の巴戦になったらどうしようと思いながらそうなるのも期待してました。

番外編で関取になれなかったですが仕切りの綺麗な徳豪山があがってくれば人気が出たと思います。
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この回答へのお礼

>貴闘力です。残念なことになりましたが。
そうですね。野球賭博なんてバカな事を、なぜやったのでしょうか?

>益荒雄も幕下の頃から応援してました。怪我さえなければ大関にいったと思う。
同感です。「白いウルフ」と人気でしたからね。

他の力士のことも沢山ありがとうございました。若秩父は巨漢で有名でしたね。あまり汗をかきすぎるのが気になっていました。

お礼日時:2011/08/14 16:53

出羽の花


大徹
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くるくる舞の海です。

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こんにちは!


自分は現在も大相撲の解説やスポーツキャスターとして活躍されている舞の海秀平さんが一番です。
本当かどうか分かりませんが新弟子検査に合格されるために頭にシリコン埋め込んだというエピソードは有名ですよね。
スピード感あふれる攻めもさることながら、猫だましは最高でした。
あそこまで相撲に執着されて入門した力士さんはそういないと思います。
自分も体が小さいから妙に親近感が湧いて応援していました。
失礼しました。
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この回答へのお礼

>本当かどうか分かりませんが新弟子検査に合格されるために頭にシリコン埋め込んだというエピソードは有名ですよね。
これは本当ですよ。相撲の本や相撲雑誌に載っています。執念ですね。

>スピード感あふれる攻めもさることながら、猫だましは最高でした。
>あそこまで相撲に執着されて入門した力士さんはそういないと思います。
よっぽど相撲が好きで、どうしても力士になりたかったのでしょうね。体が小さいので、巨漢力士たちに勝つためにさまざまな技を工夫してらっしゃいましたよね。

>自分も体が小さいから妙に親近感が湧いて応援していました。
確かに小柄だと、自分の体格に近いから親しみが沸きますよね。

お礼日時:2011/08/13 17:55

>横綱・大関じゃないけど覚えている力士は誰?



      ↓
懐かしい力士やユニークなエピソードをご紹介して頂き、誠にありがとうございます。

私の場合(事例紹介の力士以外)

◇高見山
ハワイから異国の地へ、馴染みの薄い相撲の世界に・・・
慣れな食生活や慣習の中で、今の様に相撲が国際化し、外国人力士も大勢いる時代ではなかった中で、厳しい稽古に耐え精進して関脇になり、外国人力士の草分けと言うだけでなく、倒されても転ばされても負けても、傷だらけのぼろぼろに成るまで勤め上げ、相撲取りとしての数々の記録を塗り替えた。

大きな身体で優しい、一生懸命に押し込むのに、小兵の力士に動き回られたり、よく引き技にバッタリと前に倒れる様は、気の毒・可哀想だと、何時しか私的応援団になってしまい、相手力士を卑怯者め逃げずに勝負してやれ!とTV画面に叫んでいました。
そんな記憶に残る、好漢・高見山です。
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この回答へのお礼

>懐かしい力士やユニークなエピソードをご紹介して頂き、誠にありがとうございます。
調べた甲斐がありました。ありがとうございました。

>◇高見山
>ハワイから異国の地へ、馴染みの薄い相撲の世界に・・・
>慣れな食生活や慣習の中で、今の様に相撲が国際化し、外国人力士も大勢いる時代ではなかった中で、
この点は非常に痛感します。今はインターネットもあり、家族や友人たちは異国で取組を見れます。メールですぐ連絡できますし、国際電話も架けられます。当時は銀座の一流ホテルでないと国際電話なんて架けられませんでした。

把瑠都も琴欧洲も日馬富士も確かに努力していて立派なんですけど、家族は日本に来ようと思ったら来れます。

事実、把瑠都のお母さんは、彼が関取になった際に来日して両国国技館を見学している写真が相撲雑誌に載っていました。

また琴欧洲のお父さんも彼が優勝を争っていた際に来日し、優勝杯を抱いた琴欧洲の隣で新聞の写真に収まっています。

日馬富士も大関昇進の際には、母親が来日し手料理を食べさせています。今の外国人力士は、その点恵まれています。

>傷だらけのぼろぼろに成るまで勤め上げ、相撲取りとしての数々の記録を塗り替えた。
高見山の記録は本当に立派だと、私も感じます。優勝した時当時のニクソン大統領から祝電が来たのには驚きました。

>大きな身体で優しい、一生懸命に押し込むのに、小兵の力士に動き回られたり、よく引き技にバッタリと前に倒れる様は、気の毒・可哀想だと、何時しか私的応援団になってしまい、相手力士を卑怯者め逃げずに勝負してやれ!とTV画面に叫んでいました。
そんな記憶に残る、好漢・高見山です。
高見山も挙げられたような欠点がいろいろありました。だから大関になれませんでしたね。人気があったので、コマーシャルにはしばしば出てましたけどね。

お礼日時:2011/08/13 17:50

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