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宮澤賢治の注文の多い料理店で死んだ猟犬がよみがえって,2人の紳士を助けにくるのは,宮澤賢治にしては珍しい矛盾で,単なるミスとする解説がありますが,そうなんでしょうか。そうでないとするとどのような効果があるのでしょうか。

A 回答 (8件)

この作品には「1921・11・10」と脱稿日が記されています。


だから序文で「十一月の山の風のなかに、ふるへながら立つたりしますと」との箇所はこの作品のことを指しており、「どうしてもこんなことがあるようでしかたがない」のであり、それが「なんのことだか」は「わたしにもまた、わけがわからないのです」とも。

この作品は、最初の二人の会話に始まり、終盤の「二人は泣いて泣いて泣いて泣きました」までは、すべて二人の若い紳士の意識構造から見た描写を取っています。
専門の鉄砲打ちにちゃんと従っていない思い上がった態度だからこそ、彼らからすればその山の案内役は「ちょっとまごついてどこかへ行ってしまったくらゐ」の「山奥」であり、「あんまり山が物凄いので」犬たちも「めまいを起こして」「泡を吐いて死ん」だのだ、だって「その犬の眼ぶた」を「ちよつとかへしてみて」そう考えたのであり、そして何千円も損したと悔しがったのです。
ところが、案内役が<まごついた>り、犬たちが<死んだ>りした時点で、急に「顔色をわるくして」「寒くなったし腹は空いてきたし」で、実際には心細くなり迷子になったことにようやく気付き、歩きたくないよう、おなかが空いたようとぐずり出したからこそ、そんな大人子供の本性が露わになったがゆえに、とうとう自分たちの前に懐かしい都会の象徴であり、金さえ出せば主人で居られる、その金銭文化の代表でもある西洋料理店を出現させてしまったものでしょう。

でも本当はたんなる山の中での迷子でしかなかったとそれとなく告げるために「風がどうと吹いてきて…木はごとんごとんと鳴りました」という実際の情景描写が2か所に挟んでありますが、二人にはもはやそれさえ耳に入らないのです。札びらででひたすら自分の横柄な都合やわがまま勝手に振る舞ってきた、そんな贅沢に肥満した彼らへの「バチ」だったのでしょう。

第一次大戦での軍需景気で一山あてた「にわか成金」が、見せ掛けだけでも大都会に住み暮らす貴族並みに肩を並べたい、その象徴が英国風装備であり、ハンティングゲームであり、そのゲーム(獲物)を調理させるRESTAURANTだったのでしょう。

もっともヘビーな大型獣ハンターの服装を「イギリスの兵隊のかたち」といい(「なり」でさえなく「かたち」ですね)、大物撃ち用英国エンフィールドライフルの携行を「ぴかぴかする鉄砲をかついで」といい、ヨーロッパ貴族階級オオカミ狩り用の代名詞であり、一頭数千円もするハウンド犬(ボルゾイ)を「白熊のやうな犬」とする、これらの簡単な描写からして、敏感な幼い童話の読み手なら、いかに胡散臭い奴らかが一発でわかるというものです。

案の定、そのあとに続く二人の会話の「お下劣」振りには辟易させられます。
大型獣狩猟用の装備(服装・銃器・猟犬)で、なのに会話からすると狙いは山鳥や、せいぜい野兎狙いで、でも口では鹿のどてっぱらだとか、タンタターンとぶっ放せれば何でも構わないとか、いやはやとてもハンターとは思えない、お粗末にして軽薄嫌味な有様ではないですか。

ちょうどこの執筆直前に、日本国中を震撼させた現職首相である原敬暗殺事件が発生しています。平民宰相の死や暗殺者が19歳の青年だったことなど、漠然と日本の今後の行く末、平均的日本人の心象において、それこそが「扉の向ふのまっくらやみのなか」であったのかもしれません。

なお、賢治自身の広告文は次の通りです。
「二人の青年紳士が猟に出て路を迷ひ「注文の多い料理店」に入りその途方もない経営者から却つて注文されてゐたはなし。糧に乏しい村のこどもらが都会文明と放恣な階級とに対する止むに止まれない反感です。」
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この回答へのお礼

2人の紳士から見たら犬は死んだように見えただけで,実際は死んでいなかったということでしょうか。いろいろと詳しく教えていただき有り難うございました。

お礼日時:2011/08/22 00:01

ANo.3です。



猟犬がそっけなく描かれている意味をちょっと考えてみましたが。
作者は山猫に心情を仮託している、したいわけですよね。(山猫は山や大自然の持っている不思議さや人知を超えたものの象徴であって、「紳士」が象徴する社会が軽んじている・圧迫しているものからの反撃でしょう。お話の中で山猫は徹底して擬人化されて書かれています。)
だから言ってみれば悪役である「紳士」の持ち物である猟犬は乾いた描きかたをしているのでしょうね(擬人化もしないよう気をつけている)。

話の中で「鹿の黄色い横腹」とか「白熊のような犬」とか色を使って生々しいイメージを喚起していますが(おそらく著者の実体験に取材しているのでしょう)、話全体としては残酷な結末を避けて笑えるような話に仕上げるように気を使っているように思います。
子供である私は犬が死んでいなかったということでほっとして笑えたように思います。
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この回答へのお礼

童話ですから,残酷な話より,笑える話がよいのかもしれません。大正時代に白熊のような猟犬は高価だったのではないでしょうか。数百万円もする猟犬を飼えるような2人の紳士はお金持ちだったのでしょうね。山猫の攻撃対象になってしまったのですね。命を犬にたすけてもらったのに,犬への感謝の言葉もありませんから。

お礼日時:2011/08/18 19:27

 このお話は、単純な夢物語です。


 レストランでの出来事は、夢物語として、描かれています。

 晩年の、『銀河鉄道の夜』では、ジョバンニがカンパネルラとともに列車に乗っている部分が夢にあたるように、『注文の多い料理店』では、山奥で犬が泡を吐いて死んでから、犬が扉を突き破って室へ飛び込んでくるまでの間が、夢です。

 列車とレストラン、少しシチュエーションは違いますが、同じように描かれていると思います.

 ただし、夢体験はそれぞれ、

『注文の多い料理店』の紳士たちは、
《さつき一ぺん紙くづのやうになつた二人の顔だけは、東京に帰つても、お湯にはひつても、もうもとのとほりになほりませんでした。》

『銀河鉄道の夜』では、
《ジョバンニはもういろいろなことで胸がいっぱいでなんにも云えずに博士の前をはなれて早くお母さんに牛乳を持って行ってお父さんの帰ることを知らせようと思うともう一目散に河原を街の方へ走りました。》

 と、描かれており、同じ夢体験のお話とは思えないほど、主人公にとっての経験や深さが違うように描かれています。
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この回答へのお礼

『銀河鉄道の夜』との比較,とても参考になりました。
夢の入り口と出口はどうつと風が吹いてきてから,どうつと風が吹くまでと
思っていました。確かに犬が死んだときからおかしな世界がはじまっていると
思うこともできますね。そう考えると,山に慣れている案内人がはぐれるところから始まっているのかもしれませんね。ありがとうございました。

お礼日時:2011/08/18 11:31

ちょっと 横から失礼しますよ。


議論というよりも 新たな疑問点を それぞれが
挙げた上で 文献を基に検証していく。
宮澤文学に於きましては この作業が不可欠であり
この作業なくして 宮澤文学を読む事はできても
理解する事は難しいのです。

また正解は一つではなく 正解が発散していく楽しみも
又 賢治自身の狙いでもあるように思えるのです。
舞台は神々の住まわれる山々ですから 人間の英知が
易々とは及ぶものではありません。

ボクも一応 回答させて頂きます。
犬が吠えてから気絶(死んだと思った)したんでしたね。
犬は神を見たのではないだろうか。

賢治の生きた時代と 柳田国男が民話の収集にあたる為に
遠野郷での活動を始めた時期(明治四十二年)が うまい具合
に重なっております。この時代にはまだ 遠野郷において
神を見た人の話がたくさん残っておりました。
この時代的背景を考えますと 犬が神を見たとしても
おかしくはないと思うのです。
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この回答へのお礼

文献を基に検証していく作業が不可欠であり,この作業なくして,文学を読む事はできても理解する事は難しいという指摘に納得です。でも正解は一つではなく正解が発散していく楽しみも賢治自身の狙いという話がうれしいです。読んでいていろいろ考えているときは楽しいです。でも自分有りの根拠が欲しいですね。
犬が吠えたのは,山々に住む,八百万の神だったのかもしれませんね。山がものすごいというのは神々がうじゃうじゃいることかなと想像してしまいました。有り難うございました。

お礼日時:2011/08/18 11:38

No.1です。



ここでは回答者どうしが会話してはいけないことになっているので、
この回答は削除されるかもしれません。でも、どうしても気になったので。

「銀河鉄道の夜」などのように長年にわたって書き続けられた作品なら、
初期の頃の設定と後に書き加えられた部分で矛盾が発生するかもしれません。

でも、「注文の多い料理店」は賢治生前に出版された本であり、
賢治がそれを出版することを熱望した本です。
童話「注文の多い料理店」はその童話集の題名になる、最重要作品です。

そんな重要な本で賢治が、「長年書き続けた作品ゆえの単純ミス」を内包した原稿を
そのまま出版させるとは思えません。
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昔読んだのを思い出すならば私は気にならなかったようです。


むしろ死んでいなかったんだということで喜んだのではなかったか。

作者は山案内人をはぐれさせているのですから、犬についても当然はぐれさせることは考えたろうと思います。でもそうはしていない。

犬が悲惨に死んだというのに二人の「紳士」は値段の話ばかりをして介抱もしなければ悲しみもしない。簡単な描写でこの紳士のスノッブさを表して読者は嫌な感じを受けるでしょう。というか私は「あれれ」と思いましたが。
また賢治の描写も犬についてはごりっぱな犬だと書くだけでかなり抑えた物になっています。賢治の本では動物が出てくるのが多いのですがここでは非常にセーブされた物になっています。これについての解釈はいろいろできそうですが。おそらく猟犬が好いと無邪気には描きたくないのでしょうね。
そして最後に結局この犬のおかげで助かるというのはひとつのどんでん返しではないかと思うのです。
またそれによってそっけなく描いていた犬の立派さとか働く動物に対する愛情のような物を乾いた書き方の中に感じさせる物になっているように思います。

山案内人を話に入れることで賢治は山で狩をなりわいにしている人たちや猟犬を批判しているのではないという立場をはっきりさせていると思います。政治的といっても良いかも知れない。

二人のスノッブ紳士を話の中で裸にしてしまいますが、立派な犬やぴかぴかの銃を取り上げて裸にしてしまった人間というのがこの話の芯ではないかなと思います。

死んでたものが生き返るとか、まあ山の怪異譚としてはむしろありではないでしょうか。
しかし山の怪にやられて簡単に死んでしまったものが最後は勝てるというのはまあおかしいといえばおかしいですね。だけど「気を失ってしまった」と書いてしまったら迫力が無い上に飼い主の薄情さが出せないではないですか。
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この回答へのお礼

スノッブ紳士という表現がすばらしいですね。2人の紳士をずばり一言で形容する言葉をさがしていましたが,すとんと落ちました。
わたしも犬が死ぬという描写によって飼い主の薄情さがさらに際立つようにおもいます。賢治の表現の工夫が感じられます。
山猫が犬を殺したのなら,山猫が犬にあっさりやられてしまうというのはあまりにお間抜けなはなしですよね。でもそんなお間抜けな山猫にやられていることで,紳士のお間抜けさが際立つのかもしれません。それとも,犬を殺したのは山猫じゃないのかも。いろいろ考えさせられました。ありがとうございました。

お礼日時:2011/08/18 11:51

 大した意味は無かったかもしれませんね。

私も不思議に感じる部分なんですけどね。二人の紳士の描写がメインだったので、そのほかはどうでも良かったのか。

 風の又三郎でも学年関係でも矛盾点があったように記憶しておりますが。

 また、作品よっては何度も書き直す事もありますので、その段階で狂ったのかもしれませんね。

 生の原稿用紙を見たことが有りますが、読み取りにくい文字も結構ありますからね。筆はきれいな文字で鉛筆はすごく雑だったかな。
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この回答へのお礼

風の又三郎にも矛盾点があったというのは知らなかったです。情報有り難うございました。

お礼日時:2011/08/18 11:52

私も昔からこれは変だと思っていました。



一応、常識的な解釈をすると、次のようになるんじゃないでしょうか。

その時点から、紳士たちはすでに山猫の術中に陥っていた。
山猫は、何らかの術を使って猟師と犬を紳士たちからはぐれさせた。
天敵である犬を、できることなら殺したかったが、
さすがにそこまでの力はなく、はぐれさせるのがせいいっぱいだった。
単に犬をはぐれさせるだけだと、紳士たちが犬探しを始めてしまい、
山猫軒に引き入れることができないから、(なにしろ高価な犬ですから)
死んだと思い込ませてあきらめさせた。

でも、なんか違う気がするんですよね。それが正解なら、
賢治は誰が読んでもそういう風にしか解釈できない文章を書くと思います。

犬が死んだ理由もよくわからないんですよね。
「あんまり山がものすごいので」・・・ぜんぜんわかりません。
登りがきつくて息切れした?
死ぬほどの理由じゃないし、人間はピンピンしてるってのも変です。

答えになっていなくて申し訳ありませんが、とにかく単なるミスではないと思います。

序文にあるように、賢治は感じたことを感じたとおりにそのまま書いたんですかねぇ・・・
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この回答へのお礼

回答有り難うございます。わたしも始め,山猫の仕業で泡を吹いて死んだのかと思ったのですが,なんかすっきりしません。あんまり山がすごいというのは何を意味するのか私も考え中です。

お礼日時:2011/08/16 21:40

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