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すいません。
どわすれしてしまったのですが、「資本主義」の最終形態は「全体主義」と言った経済学者あるいは哲学者がいたと思います。それとも、こういうことはていせつなのでしょうか?

そして、その行き着いた最悪の結果がヒトラーのナチスによる独裁(ヒトラーは選挙で当選している)で、この考えを支えているのは「国民有機体論」だったとおもうのですが、これについて教えてください。
(問題が広がってすいません)


全体主義や資本主義のシステムなどを通して、国民を完全に取り込んでしまう権力の網の目を語ったのはフーコーでしたっけ?

どの質問にでもいいので回答よろしくお願いします!

A 回答 (4件)

マルクスの時代、「全体主義」という言葉も概念も無かったはずだと思います。


資本の集中については言及していますが、それは全体主義ではないでしょう。
資本の全世界的な一元化について主張したのは、ひょっとするとカウツキー
あたりかもしれませんが、自信はありません。ただ、そうであったとしても、
カウツキーの時代にもまだ全体主義の概念は無かったはずだと思います。
あるとすれば第二次大戦後の共産主義思想家でしょうが、そんな人いたかな?
むしろ、西側では共産主義も全体主義の一形態と捉える見方が一般的に
なっていたと思いますが。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

もう締め切る予定なんですが、ちょっと気がついたことがあります。第一次世界大戦が始まる前、1922年あたりにイタリアのファシスタ党が政権を獲得し、以後十数年ほどかけて、王室、教会、特に資本家層と提携しつつ、ゆっくりと全体主義的独裁国家を確立(1934年頃)したわけですが、この政党は1926年ごろ階級闘争を否定し、経済における国家的統制を目指す全体主義体制を図るための準備を始めた。ムッソリーニが新しいファシズム国家の政治・経済体制を、「国家の経済への介入」「国家の利益において国家が主導し」、「資本家と労働者の参加によって三者(プラス・党)が協議する」強調組合主義の理想が実現されたと言って、それを「混合経済」「超資本主義」と言ったとき、彼は本気で資本主義国家や社会主義国家を超克できると考えていただろうと言われています。(「20世紀という時代」NHKライブラリーより)
このあたりで全体主義が発生したのではないでしょうか。

無知ですいません。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2003/11/07 19:39

「帝国主義論」を書いたのはレーニンだったと思います。


全体主義につては、リースマンが「孤独な群集」で考察を書いていますので、そちらを参考にしてはいかがですか?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2003/11/07 19:28

申し訳ございません。

#1の回答者です。
 マルクスが言ったのは「資本主義の最終形態が『帝国主義』である」ということでした。#2のご指摘で勘違いに気付きました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2003/11/07 19:29

「資本主義」の最終形態は「全体主義」はマルクス。

定説ではありません。
 「国民有機体論」は多分ラッチェルの「国家有機体説」のことだと思います。ヒトラーに利用され全体主義の象徴のように扱われましたが、国家とは一つの生物のようなものだという意味合い程度で天皇機関説などもこの影響を受けていたと思います。
 最後のは多分フーコーで間違いないと思いますがフーコーは趣味でないのでよく分かりません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
たすかりました。

お礼日時:2003/11/03 19:27

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