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こんばんは。

存在しないものを知りたいんです教えてください。
出来れば、なぜ存在しないそういうものがあるのかも
自由な考えでいいから教えてください。

たとえば、
(1)地球に果てはない。球体だからですよね。
なぜ、球体は、あるのでしょう。

(2)メビウスの輪、クレインの壺には、裏表がありません。
本当にないのでしょうか?ならば、なぜ、メビウスの輪、クレインの壺は、
あるのでしょう。

(3)平方根には、整数で表せないものがあります。
何故ですか。
与えられた値 a が整数であっても、 a の平方根が整数になるとは限らない。例えば √10 は小数表示すれば 3.16227766016… と小数部分が無限に続く無理数である。平方根がふたたび整数となるような整数は平方数と呼ばれる。整数や小数で表された数の平方根を、筆算で求める方法が知られていて、それを開平法という。

よろしくお願いします。

A 回答 (5件)

折角哲学カテゴリなので。


可能世界理論を使うと分かりやすい回答ができます。
我々の世界に存在するものは、現実世界から見た到達可能世界に存在するものです。
我々の世界に存在しないものは、到達可能世界に存在しません。

可能世界の到達関係がどのように想定され、構築されるかは、可能世界理論の本を一読されることをお勧めします。

その他の回答としては、「存在している」という言葉の定義にもよるのですが、
「論理的に存在しないもの」を取り上げてみます。
我々の世界における「論理的に存在しないもの」は、基本的な論理法則を逸脱しているものです。
矛盾律、排中律などが相当します。
例えば、PでありかつPでないものは存在しません(国語的には表現できるも知れませんが、それは定義が厳密でないものです。)
例えば、特定時点における体積が50立方メートルであり、かつ50立方メートルでないものは存在しません。
例えば、Pであるものが一切なく、またPでないものも一切ないようなものは存在しません。
例えば、体積が50立方メートルであるものがこの世に存在しないとすると、同時に体積が50立方メートルであるものがこの世に存在することが両立することはありません。

このルールに従えば、存在しないものはいくらでも作り出せますね。
「存在しないもの」なのに、その定義が存在している…という混乱をしないでください。メタロジカルな定義なので、その言葉の内に矛盾を孕んでいます。この定義が有効になる世界では、基本論理の入れ替えが発生します(思考実験的にそのような世界を考えることで、様相論理を推し進めることも行われています。)

後は、面白い例だと、カテゴリミステイクを発生させているものは存在しません。これは、単純に言葉の遣い方を間違った時に表現されます。
笑う冷蔵庫は存在しません。青い怒りは存在しません。砕け散る水は存在しません。
言葉の遣い方を間違えているので、妙な表現になっているだけです。
もし適合するパターンが存在するとしたら、言葉の再定義が必要でしょう。(再定義先ではカテゴリーミステイクは発生しなくなっています。例えば、意識と感情を持つ冷蔵庫が存在する場合、例として提示した冷蔵庫と違うものを指していると考える方が良いでしょう)

こんなことで回答になっているでしょうか。

この回答への補足

こんばんは。

ソクラテスは言うであろう。

物理的に存在しないなら、「本当は無いんだけどね」理論も、
正解だろうが、存在しないはずなのである。しかし、このカテは存在する。

そして、この「存在しないものを教えてください」質問も削除されなく、
存在している。

たとえ、人間の五感が1メートル先の物しか認識できなくても、
そして、人間も含めあらゆるものが、存在するか、存在しないか
分からないものであっても、この哲学カテは、存在するのである。

そして、みんな何でもいいから正解を求めて考えるのだと。
考えることが正解なのです。

補足日時:2011/09/10 22:31
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

(1)哲学の可能世界理論で説明できる。
勉強になります。

(2)我々の世界における「論理的に存在しないもの」は、基本的な論理法則を逸脱しているものです。
矛盾律、排中律などが相当します。
このルールに従えば、存在しないものはいくらでも作り出せますね。
これぞ、哲学の恐ろしいところですね。
何でも説明してしまいます。

ソクラテスは、プロタゴラスとの問答で詭弁で勝ったと書いてあるのを読みました。ソクラテスは、弟子や子供たちに考える事を教えたかったんだと思います。ソクラテスも慈愛、慈悲の心があったのかもしれません。

(3)面白い例だと、カテゴリミステイクを発生させているものは存在しません。これは、単純に言葉の遣い方を間違った時に表現されます。
(笑い)面白いです。

哲学では、何でも可能だと言うことが分かります。
とても参考になりました。

お礼日時:2011/09/08 17:30

簡単に「存在」という言葉を使われていますが、今やそうした


有限的存在性は、認識される事で派生する(=自我仮説
(時間的流れ)と時空仮説(空間的広がり)の相補分化)もの
とされており、認識性とは独立した外的存在という“常識”は
覆されています。
即ち、「存在しないもの」は“全て”です。
超弦理論において全ての根源とされる量子は、時空仮説
に対する無の射影=現象表面的に派生する時空的広がり
に対して、「本当は無いんだけどね」という、無への還元の
過程として、物理はあるのです。

・球体の果て:球の表面積は有限である。境界を適当に引けば明白。
・メビウスの帯:二次元を三次元で扱う(ひねってつなげる)事による。
 次元を追加すれば、突然消えたりする「不合理」は幾らでも可能。
・無限少数:1/3は10進法では無限小数だが、12進法では違う。
 表現の問題に過ぎない。
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この回答へのお礼

こんばんは。

完璧な回答に感謝いたします。

でも、私は、若者は考えて行動すること。
哲学者は、ソクラテスであるべきだと思います。
最初から、答えがあるのは、いかがなものでしょうか。
自律にも考えることと社会的仕事(役割)は、必要です。

お礼日時:2011/09/08 22:32

存在とは観察する者がいて、その存在を認識することで初めて成り立ちます。


なぜならば観察する者がいなければ存在しているかどうかが分からない状態だからです。

ですので、世の中には存在しているものと存在しているかどうか分からないものの2つしかありません。
つまり「存在しないものを教えて下さい」と言われてそれを答えることは多分誰にもできないということです。


ちなみに例として質問されたものについて下に説明させていただきました。存在しないのでは?と思われているかもしれませんが、すべて存在しています。

(1)地球に果てがない。のと、球体が存在する。という2点の関係性についてどういう点を疑問に思われているかが分からないので、この質問に明確に答えているかどうかわかりません。が、
球体の存在は見たことがあると思います。存在しますね。
地球の果てはどの地点を果てとするかが分からないので存在しないように思えますが果てという地点を設定した時点で果てが存在することになります。


(2)物に裏と表があるというのは観察者が勝手にそう認識した瞬間存在します。実は3次元の世界での裏と表というのはあくまで概念上のものです。たとえば紙には一見裏と表があるように見えます。が同時に必ず厚みというものもあります。いわばサイコロのような立方体を極端に薄っぺらくしたものだと考えることができるのです。
さてサイコロには裏と表があるでしょうか?観察者が1が表で6が裏と思ったら、その時点で表と裏が存在することになりますが、人によっては2と5だったりもするでしょう。
そうすると紙だって広くひらべったい2面が裏・表ではなく、そうでない厚みの部分が裏表と考えることだってできます。

これは物体のなかに存在し得ないものはあるか?という問いということでいいですよね?
であれば述べてきたように表裏自体が観察者の概念なのですから、きっちり存在します。


(3)無限に続く無理数であっても√10という大きさは存在します。
√9は3で、きっちりと整数だから存在していて、√10はきっちりしていないから存在しないということではありません。小数点をつかって「表現できない」だけです。たとえばある人間の存在を証明するのに「名前は何で生まれはどこで・・・」など詳しい説明をすればするほど実体に近づいていきます。もちろんビデオや写真があればなおいいですが、どんなにその人間を表現したとしても、それは実物の人間ではないですよね?
つまりは表現しきれないのですが、そうだとしてもその人間が存在しないということにはなりません。

表現できない場合、存在しないといえるか?という問いであればこれで表現と存在は別物であるとお分かりいただけたと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

まづ、自分が観察者として存在するのですね。世の中には存在しているものと存在しているかどうか分からないものの2つしかありません。
つまり「存在しないものを教えて下さい」と言われてそれを答えることは多分誰にもできないということです。
これが、定義なのですね。


>表現できない場合、存在しないといえるか?<
表現とは、自分の感情や思想、意志等を形として残したり、
態度や言語で示したりすること。
表現と存在(五感で認識するもの)は、別物なのですね。
つまり表現しきれなくても人間(観察者)は存在するから、概念も存在する。
なるほど、そう考えると全てのものは、存在します。

なるほど、分かりました。
でも、偉大な理論物理学者は、この常識はない、物理学で考えろと
おっしゃっています。「本当は無いんだけどね」理論です。
超弦理論まではいっちゃいました。どうしましょう。

お礼日時:2011/09/08 20:14

(1)と(2)はただの問題のすり替えです。



球体は存在します。しかし地球という球体に「地の果て」という概念は存在しません。
メビウスの輪は存在します。しかしメビウスの輪には表裏という概念は存在しません。
それだけのことです。



(3)については、存在しているものがなぜ存在しているかの質問ですね?

当初のご質問の趣旨とは異なりますが、簡潔にいえば、世界は整数だけで成り立っているわけではないということです。
人類は未だに素数の正体すら解明できていません。
「数」そのものが謎なのです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

人は、存在を、五感での認識でとらえ、人の概念は、存在しないのですね。

>人類は未だに素数の正体すら解明できていません。
「数」そのものが謎なのです。<
数も人には、よく解らないものなのですね。

人は、どうしたら存在をはっきり認識できますか。
人は、五感も一人一人微妙に違うのに。

私も、このように考えましたよ。

お礼日時:2011/09/08 15:47

 数学や物理学ではなく、哲学のカテに質問されているので、それらしくお答えしましょう。


まづ、3つの質問に共通している答えは、この世にあるものは全て相対依存の関係にあるからというのが、私の考えです。
「高い」という概念は、1つだけではありえません。比較できる「低い」ものがあるから存在できるのです。
長い、重い、冷たい、大きい、速い すべてそうです。
そう考えると、質問の答えは次のようになります。
(1) 球体があるのは、球体でないものがあるから。
(2) メビウスの輪には、表裏があります。 巨大なメビウスの輪の表面にいる観測者が確認できないだけです。
   外から見ていれば、一面が表だと他面が裏です。
  表があれば必ず裏があります。 表がなければ裏もありません。
 メビウスの帯は3次元のものなので、必ず表裏があります。
 ちなみに、クレインの壺は架空のものです。現実には存在しません。
(3) 有理数があるから無理数があるのです。
   有理数がなければ無理数もありません。

あなたの質問に、私なりにお答えしてみました。

何故あなたがこのような質問をなされているのかわかりませんが、存在するものにそもそも理由なんてあるのでしょうか。
理由なんて、人間が納得するためのものでしかないように思います。
 存在するものとは、1つの現実にすぎないと思うのです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

存在とは、人間の五感での認識によるものだと考えると、あまりにも存在が
いい加減になり、生きていくうえで、支障をきたすのではと考えました。
そこで、もしかしたら、ほとんどの人が認識できていて、自分にだけ認識できていないものがあるのではと思ったのです。
誰もが、存在しないものを知っているかもしれないということで、質問しました。
>存在するものとは、1つの現実にすぎないと思うのです。<
そうですよね。安心しました。
(1)(2)(3)が相互依存の関係で説明できるのは、驚きです、
勉強になりました。
存在するものが、はっきりしてきたと思います。

釈迦は、存在するものを認識することで中庸を説いたのですよね。
そして、生命の営みの中に慈愛と慈悲の心を見つけたと思います。

お礼日時:2011/09/08 15:30

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