プロが教えるわが家の防犯対策術!

自己啓発本をいくつか読んでいて頭に残っている事があります。

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人間は安定を求めるようにできているので、自分の行動をパターン化しようとする。
さまざまな局面にぶつかった時、一から対処法を考えていては疲れる為「こういう場合にはこうする」と自分なりのパターンを決めてしまう。
性格を直す事がなかなかできないのは、人格の問題というよりも習慣化した考え方のパターンを断ち切る事に不安を感じるから。
自分の性格を直したいと思うのなら、考え方の癖、その習慣を変えればよいのだと考えれば気が楽になる。
何をするにも慣れる為には時間がかかるが、いったん慣れてしまえば今度はそれが当たり前になる。
転校や転勤により生活環境ががらりと変わる場合、人は誰でも不安を感じる。
しかし、それも一時的なものでやがて新しい環境に順応していく。
性格も同じで、新しい性格に慣れるまでの我慢なのです。

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だいぶ前に読んだ本ですがなるほどと思い何冊も読んだ中でもとてもよく覚えています。
人間の性格って習慣付いた考え方の癖なんでしょうか。
人間関係の基礎は両親との関係から学んだ(習慣付いた)癖があったりとか。

もし自分に変えたい(向上させたい)部分がある時には、その向上させたいと思っている行動・考え方に慣れるよう日々習慣付けしていけば変わっていくのでしょうか。どう思いますか?

A 回答 (6件)

>(1) 私が変えたいところはマイナス思考です


⇒ プラス思考の習慣を身につけることは可能です。自己訓練で身につけることも可能です。
>(2) 自分が間違っているんじゃないか?私がダメなのかな?とすぐ自己嫌悪しがちなところです。
⇒ 反省しない、自己愛性、尊大な自己イメージから揺らがない習慣を身につけることは可能です。自己訓練で身につけることも可能です。
>(3) 高圧的な人が苦手です
⇒ 日々習慣付けの自己訓練で苦手を克服するのは難しいかもしれません。
 
一般論ですが、極端なマイナス思考も、極端なプラス思考も、周りからすると困るものです。周りからすると、マイナス思考もプラス思考も適度な範囲で収まっていて欲しいです。
あなたのマイナス思考の実際を想像する手立てもないので、コメントが難しいです。
本人は自分で「自尊心が低くて自分が間違っているんじゃないか?私がダメなのかな?とすぐ自己嫌悪しがち」というヒトの中には、時々、周りからはそうは見えないこともあります。「自分が間違っているんじゃないか?私がダメなのかな?とすぐ自己嫌悪しがち」であっても、それで周りに迷惑を掛けておらず、自分を傷つけるほどの悪影響が出ていないのなら、そのヒトの個性の範囲だと思います。無理して修正することはないと思います。本人が強く修正したいのならやむ得ません。その場合は、周りからみれば特に修正の必要があるとは思えない状態ですから、お好きにどうぞということになります。
あなたの状況を知らないので何とも言えませんが、一般論で言えば、プラス思考や尊大な自己イメージをあえて造ろうとするのは、あまりお薦めできません。
事実を知りませんが、超世界的な芸能人でも不安感と日常的に戦っているそうです。現状じゃまだダメだという思いも強いそうです。もう私は限界じゃないかという思いもかなり感じていると何かで読んだ記憶があります。何かのことをした後で、大丈夫だろうか、失敗したんじゃないかという不安をまったく感じないのも、平均的人物像からはずれているように思います。
 
一般論ですが、高圧的なヒトを苦手とするのはそれほど特別なことではありません。中には例外的に平気なヒトもいますが、高圧的威圧的な相手を不得手としたり嫌うヒトは多いと思います。それを直すのは難しいと思います。
高圧的、威圧的な態度に平然としていられるようになるのは、なかなか難しいです。それは、いわゆる訓練が難しいからです。
平然としていられる訓練をするためには、高圧的、威圧的な態度をとってくれる相手が必要です。それを確保し、自分の都合に合わせて高圧的、威圧的な態度をとってくれるように依頼するのが難しいです。仮にそれができても、高圧的、威圧的な態度に頻繁に接した場合、慣れて平気になる可能性もあります。(馴化し条件応答を抑止する。減感作療法と言います) しかし逆にますます敏感になり不安から恐怖へと症状が悪化する可能性もあります。パニック障害を起こすケースでは、あるヒトが特に高圧的・威圧的というほどではないのに、そのヒトにあう度に恐ろしさや嫌悪感が募るということもあります。 そのような場合の一般的な対策はそのヒトにあわないようにすることです。
 
☆★ ~~~ ★☆
> 仕事でよく関わる相手だったり自分の母親だったり離れたくても離れられない相手に何を言っても必ず高圧的な態度を取られる場合・・・辛いです。 だからそういう相手に対して自分が変わりたいんです。
⇒ 他人から干渉されたと感じたために、自分が否定される/馬鹿にされる/プライドが傷つけられるのではないかという予期恐怖がおきて、辛い感じが高まっているのかもしれません。
背景に、過去高圧的威圧的なヒトに徹底的に痛めつけられた経験があったのかもしれませんし、逆に高圧的威圧的な態度のヒトにあった経験があまりなかったのかもしれません。 しかし、過去の経験を造り直すことはできません。 
「他人の高圧的・威嚇的な態度や発言」を「干渉される/否定される/馬鹿にされる」と「受け取る」のでなければ、辛いと感じることは激減すると想像できます。
「他人の高圧的・威嚇的な態度や発言」は相変わらずイヤだし、できれば避けたいと思ったとしても、「自分の全存在が否定される」のでなければ、つらさは減るのではないでしょうか。
例えば、学校の成績やスポーツの成績、仕事の成果など、優劣をつけやすいことについて考えると、平均以下のヒトは半分いますし、平均から大幅に低いヒトも相当な人数がいます。一つ一つのことについて見れば、全部のことをパーフェクトにやれるヒトはいません。ドジをしたり、なぜかうまく行かずに失敗することは多く、わかりにくい言い方をしたり、うっかり誤字、勘違いは誰にでも起きます。他人がそうしたことをしたりしたとき、あるいはドジや失敗が多い他人を見て、「あいつは馬鹿だ」「どうしようもない」と言う人は少なくありません。 そうした評価や発言をしているヒトは、「あいつは馬鹿だ/どうしようもない」と決めつけた人物(B)と、そういう決めつけをしなかった人物(N)と、どういう場合にどれだけ扱いを変えているでしょうか。 「あいつは馬鹿だ」「どうしようもない」などの決めつけ発言をしなくても、ドジや失敗が多い人物(B')とドジや失敗が多くない人物(N')は、場面によって扱いを変えていると思います。
言い方や態度が、高圧的・威嚇的か、穏やかでやさしいかは、表現の差だけです。 
言い方や態度が高圧的・威嚇的で、相手の存在を根本から否定し、徹底的に馬鹿にしているとしても、そのような表現になっているだけです。 そのヒトの癖や習慣でしかありません。
相手の表現や態度に惑わされるのではなくて、自分のよかったこと、悪かったこと、不十分だったことを考えるきっかけや材料として受け取ることがポイントでしょう。
具体的には、【自分の存在が】「干渉される/否定される/馬鹿にされる」と「受け取る」のでなはく、【あのやり方が、このことが】「確かにまずかった(拙かった)」と「受け取る」ようにするのが良いのではないかと思います。
 
出来事や状況を受け止め理解するスタイルを今までとは変えていくのです。
他人から高圧的・威嚇的・断定的な言い方をされ、全人格を否定されたような言葉を聞いた場合でも、言葉を額面通り「自分の全存在の審判裁定」と受け止めるスタイルから、「拙かったポイントを考えるきっかけ」をあのような与えてくれていると受け止めるスタイルに変わるように努めるのです。
 
高圧的・威嚇的・断定的な言い方をされた場合だけでなくて、冷静な言い方、穏やかな言い方、やさしく支えてくれる言い方、褒め称えてくれる言い方をされた場合でも、自分の味方か敵か、やさしいかきついかというの理解の仕方はできるだけ止めて、「部分的で具体的な事実の分析と今後の対策検討」に自分の頭の中で理解し直す習慣付けをコツコツするのが、効果があるように思います。
 
他人がどのような言い方をしてきても「最終評価は○か×か」はできるだけ考えないで、「このことを今後はこうしよう」というような視点で考えることです。
「自分が間違っているんじゃないか?」「私がダメなのかな?」ではなくて、「あそこが拙かった/あそこでミスった」「この点が不十分だった」というように、自分の頭の中での思考のスタイルを変更するように、思考を変え、その習慣を身につけるのが良いと思います。
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この回答へのお礼

良いアドバイスありがとうございます。
なんとなくそう思い始めてはいましたがやっぱり

>「部分的で具体的な事実の分析と今後の対策検討」に
>自分の頭の中で理解し直す習慣付けをコツコツするのが
>効果があるように思います。

これですね。
事実の分析と地道な努力。
そして、他人がどう言おうとも今後のぶれない視点を持つ。
自己嫌悪ではなくてやはり事実の分析をする。
こういった事を自分の思考スタイルへと変化させていく。

んー。納得しました!
私は女なので、女性特有の感情で受け取りがちなところが少しありますが、それはだめだなーと失敗を何度かして冷静に事実を分析する必要性を実際に感じています。アドバイスを参考に取り組んでみたいと思います。どうもありがとうございました。

お礼日時:2011/09/30 01:37

「他人からある種のことを言われたり指摘されるとマイナスの感情が強く起こる。

ものごとをすべて悲観的に考える。うじうじと過ぎたことを思い返してしまう。何でも高圧的な言い方をしてしまう」などのことは、現実生活をしていく上で不都合/不具合な傾向と言えます。
「認知行動療法」という治療方法があります。これは、ものごと、出来事などの認知の仕方を変えることで、それまでの不具合な(不都合な)感情や反応などが起きないで済むようにすることをねらった治療法です。「認知行動療法」では「性格を直す」とは言いません。
「自分の性格を直したい」というのも、自分の思考の傾向、行動や発言の傾向、感情反応の傾向を直したいと言うことでしょうから、ネライは「認知行動療法」と似たものでしょう。
 
ものごとや出来事、対人関係の色々なことの受け止め方、感じ方は、「一人のひと」にとっても不変ではなくて、好ましいものに変えることが実際にできた例が多いから、「認知行動療法」は効果があるとしてそれなりに流行っているのです。
 
「認知行動療法」は、その療法を使えるヒトと自分の感情傾向などを直したい希望を持っているヒトとが協力して行うものですが、自分一人でも自分の思考の傾向、行動や発言の傾向、感情反応の傾向を直すことは不可能ではないと思います。
 
ポジティブシンキング、プラス思考、自己啓発などがそれなりに流行るのも、独力でもも自分の思考の傾向、行動や発言の傾向、感情反応の傾向を直すことができる例があるし、そうした本や講演、セミナーで、やれそうな気がするヒトが大勢いるからだと思います。
 
 ☆☆ ☆☆ 以上で前置き終わり。 以下が回答 ☆☆ ☆☆
 
自力で「性格を直す」ということも可能なのでしょう。
ただ「性格を直す」という言葉ではなくて、もっと具体的な行動傾向、感情傾向を表す言葉を使った方が良いと思います。 「なおす」のが目的でしたら、そのポイントをできるだけ明確にすれば、対策を検討するのも、対策をとるのもやりやすくなると思います。
 
ゴルフのスイングを直す場合は、こうやりたいというフォームを繰り返し練習して体に覚えさせ、習慣づけることでも実現が可能かもしれません。
しかし、直したいことが、思考の傾向、感情の傾向、あるいは高飛車・高圧的な態度というようなことだと、日々習慣付けるということも大変です。 シナリオや原稿にある台詞を繰り返して覚えればいいとか、礼儀作法を身につけるというのではないですから。
 
 ☆☆ 以下が回答の中心部分 ☆☆
 
想像ですが、事柄や出来事の理解、状況の今までの理解の視点が(ワンポジションで柔軟性がないか)/(他の多くの人とはやや違ったポジションである)ことが、不具合で直したいことの背景にあるように思います。
「こういうことを言う人はこう思っている」「この場面ではこうしないといけない」と、いつもワンパターンで受け取っているので、それに対する自分の感情や思考、反応が自動的に決まってしまうのでしょう。 そういう自動思考の形が一つで決まっていると、どのように言われたのでも、自分はネガティブになったり、自己卑下になったりすることも、憤ったり怒ったりする状態は起きます。 その反応の方を直そうとするのではなくて、状況理解のパターンを直すのが大事なポイントでしょう。 あなたの背景にある「ものごとや出来事、状況の理解の仕方」に幅を持たせたり、他の普通の人々の感じ方・受け取り方に似た受け取り方をあなたもできるようになるのが大事ではないかと思います。
 
直したい具体的なことがわからないし、その背景にあるだろう事柄や出来事の理解、状況の今までの理解の視点は想像しようがないのですが、「時分が慣れている視点、ものを受け取り感じるポジションを直すため」の一般論ば、次のようなことでしょう。
 
自分に関係しない他人の様子、他人の発言や行動をみて、その状況を解釈してみるのをお薦めします。
自分に関係しない事柄だと、柔軟な見方をしているかもしれません。
ドラマなどを見ている時に、人物Aが人物Bに話しているとき、(人物Bは、常識的な行動や発言をするヒトを選んで)、人物Aの発言や態度を人物Bがどのように受け止めているのかを想像するのです。 人物Bの返事やリアクションから人物Bの受け止め方を推定し、その推定内容を言葉にしてみるのです。 そのようなドラマ登場人物の理解の仕方の解釈を繰り返す内に、自分とは違う理解の仕方があることに気付くだけでなく、昔からの自分流の理解の仕方とは違う解釈も瞬時にいくつか思いつくようになる可能性があると思います。 そうなれば、いつものワンパターンの受け止め方から抜け出る道が開けたことになると思います。
 
高飛車で高圧的、威嚇的な言い方や態度をとりがちのことが直したいことである場合には、すこしやることが変わると思います。 ドラマで登場人物Cが穏やかに人物Dに述べているシーンを見たときに、その人物Cの言い方でことがうまく進んだのか、居丈高/権威者としての言い方をしなくても人物Dが納得したのであれば、人物Dの受け止め方を想像するのです。強い言い方をされたときに人物Dはどう反応するのかも推定します。そのような想像や推定を繰り返す内に、人物Dの受け止め方のよくあるパターンがたやすく想像できるようになります。
今まで、時分が「高飛車で高圧的、威嚇的な言い方や態度をとりがち」だったのは、相手の理解や反応について固定観念を持っていて、「高飛車で高圧的、威嚇的な言い方や態度をしないとうまくいかない」と思い込んでいたためかもしれません。場合によってはやさしく言った方が良い、注意するのも強く言わない方が効果的なことが多い、などが瞬時にわかるようになれば、今までとは違った言い方や態度を取れる可能性が開けると思います。
 
今までとは違う行動や思考、態度に改めたい場合には、そのようなやり方に慣れたり行動スタイルを習慣付けをするというよりも、出来事や状況を受け止め理解するスタイルを今までとは違って、もっと幅を持たせるような柔軟な理解の習慣をつけることではないかと思います。
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この回答へのお礼

とても丁寧な回答ありがとうございます。
受け止め方を変えるっていうのも自分の中にあるんですが、それがわかっていてもそれをどう変えるのか??ってところでつまずいてしまいます。

私が変えたいところはマイナス思考ですね。
自尊心が低くて自分が間違っているんじゃないか?私がダメなのかな?とすぐ自己嫌悪しがちなところです。

だから高圧的な人が苦手です。
どこにでも1人や2人いますが、仕事でよく関わる相手だったり自分の母親だったり離れたくても離れられない相手に何を言っても必ず高圧的な態度を取られる場合・・・辛いです。

だからそういう相手に対して自分が変わりたいんです。
相手に影響されない自分になりたいと思い色々本を読んだりしていますがなかなか。だから、なかなか変われないからこそコツコツと日々習慣付けしていけばいいのかな?変わっていくのかな?と考えています。

お礼日時:2011/09/28 22:48

本来の持つ“性格形成”は3歳くらいで出来上がると聞いています。

(確定?ではないものの。)

いちばんの影響は、育った環境、親御さんや周囲の接し方で大きく変わってくると思われます。

“体質改善”と似たようなものがあり、長年、身体に染み付ついてしまっている不要なものを取り除くとしたことの様でもあります。維持力と時間を要することですよね。(年齢を重ねた方なら余計にですが・・・。)

>もし自分に変えたい(向上させたい)部分がある時には、その向上させたいと思っている行動・考え方に慣れるよう日々習慣付けしていけば変わっていくのでしょうか。どう思いますか?

これは考えられる事だと思います。

それには一過性とならない為に強い意志と決意などが必須不可欠とされると思われます。(自分を強く持つ。)

何故なら、人は環境により左右される生き物だからです。

目指すものがあれば“性格”というより、『志向性』の維持で変わっていく事は可能だと思っています。

なのでご自身が考えて居られることは正しいとおもいますよ。


よく、『あの人って性格悪いよね。』とか『あの人はとても性格が優しいく良い人よ。』というのは持って生まれたものを指すのではなく形成された人格を言っているのだと思われます。

それに極端ではあるけど、人間は『鬼』にもなれるし『仏の様』にもなれると思います。ある意味、変幻自在とも言えますよね。

“環境との順応性”“志向性”維持力で変われることは大いにありだと思われます。

偉そうに失礼いたしました。
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この回答へのお礼

3歳ぐらいまでに親から沢山抱きしめてもらったか、沢山話しかけてもらったか、愛情を沢山与えてもらったかどうかが大切という事は聞きますね。

>いちばんの影響は、育った環境、親御さんや周囲の接し方で
>大きく変わってくると思われます。

これ私もそうだと思っています。
甘えだとか言う人も結構いますが。

そうですね~、人間は確かに変幻自在ですね。
んー。なのに自分の思い通りにはなかなか変化できない難しさ。
ここが自分を強く持てるかどうかってところですね。
絶対に変われない事はないけど、自分を強く持ち続けるという事が難しいんですよね。

変われる事は大いにありだが、それは簡単ではない。
といった感じですね。

難しいな~
できないからといって甘えているわけではないと思うけど、決意が足りないといったらそうでもありますよね。とても参考になりました^^

お礼日時:2011/09/26 23:16

はい、その通りです。



学問のすすめ(福澤諭吉著)には、「習ひ性となるはこの事にて」とあります。
2006年に出版された伊藤正雄氏による校柱版「学問のすゝめ (講談社学術文庫)」には、上記の文章に対して次のような校柱がふってあります(P53)。

「(2)習慣が性格をつくる」

また、習慣とは第二の天性の事であり、大辞林では次のような解説を行っています。

習慣(しゅうかん)は第二の天性(てんせい)なり
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch/0/0ss/108993400020/
身についた習慣は、生まれつきの性質におとらないほどその人の生活に影響するものである。

その他、習慣に関する格言がありましたのでどうぞ。
http://orangekick.blog19.fc2.com/blog-entry-1017 …
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この回答へのお礼

福澤諭吉の学問のすすめにそんな事が書かれているのですね。
読んだ事がないので内容まで知りませんでした。
昔からそのように言われている考えがあったという事ですね~・・・すごいです。
でもいまいちこういうたぐいって明確な答えがないので、どういう方向性で進めばいいのかよく悩んでしまいます。
リンク先、参考にさせて頂きます。どうもありがとうございました。

お礼日時:2011/09/26 23:06

それは、後天的性格にあたりますよ。

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この回答へのお礼

そうですね。人格形成には先天的なものと後天的なものがありますよね。

お礼日時:2011/09/26 23:02

考え方としては私も同じ考えを持っています。



頭の中で反復した思考は
神経細胞が太くなり
考え方の癖になります。
思考を変えることで
新たな神経細胞を太くし
考え方の癖を変えることができると思います。

しかし、簡単に変わることはないとも思っています。
幼い子は急激に成長し
絶対音感を身に付けたりできるのに
大人になってからは
成長が遅い、つまり変化も少しずつしかできないからです。
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この回答へのお礼

大人になってからは成長が遅いという事は考えていませんでした。
確かにそうですね。やはり幼少の頃が最も重要となるのですかね。

成長が遅く変化も少しずつという事で、長期戦覚悟で挑み努力しないと変われないという事になるんだろうなぁ・・・
成功哲学とかでも成功は諦めない人に訪れるとか聞くような気がしますが、それと通ずるものがあるのかなぁ。諦めずに続けた人のみに道は開けるみたいな。

回答ありがとうございました。参考になりました^^

お礼日時:2011/09/26 23:02

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