重要なお知らせ

「教えて! goo」は2025年9月17日(水)をもちまして、サービスを終了いたします。詳細はこちら>

電子書籍の厳選無料作品が豊富!

私は現在大学4年生です。

高校では陸上で長距離をしており、体重=タイムという意識から食事が不規則になりました。

しかし食欲は抑えられず、日中粗食or絶食で夜過食嘔吐の生活を高校1年生の後半ぐらいから、今までずっと続いています。

私はよくも悪くも食事を微妙にコントロールすることができます。

誰かと食事するときや、宿泊などでは絶対に過食嘔吐することはなく、食事することができます。

気分で過食嘔吐しないときもあります。つまりは1日食べないということにはなりますが。

なので体調や体重が病院にお世話になるほどになったことはないので、いままでずるずる続けてきたところはあります。

私にとって過食嘔吐は、きっかけこそ陸上ではありましたが、精神的に弱い自分を支え、母親に関する事からの逃げでもあるように思います。

母(離婚してシングルマザー)とは非常に不仲で、他人と比べたり蔑んだりするような人です。

過食嘔吐がわかったときも、どうしてコントロールできないのだと追いつめるだけ追いつめ、入院できるほど体重が軽くもなく、病棟では浮いてしまって辛い思いをするというお医者さんの制止も聞かないで、強引に精神病棟に数日入院させられたこともあります。

缶詰にし、完全に管理・監視させ、嘔吐をさせなければ治ると思ったようです。

あれ以来、病院も母もトラウマですし、自分自身への感覚もくるってしまったように思います。

いまは一人暮らしで家族の干渉はないほど離れた距離の大学に通っているので安心です。

母は高校2~3年の頃から彼氏ができ、こちらの干渉もなくなりました。

あとは自分自身の母の呪縛から抜け出し、過食嘔吐を卒業し、自由に自立するかです。

まずはどういったことから改善していくとよいのでしょうか。

A 回答 (2件)

 こんにちは。

はじめまして。
 習慣になったものを、急に変えるのは少し難しいことかもしれません。

 何か満たされないものがあって、その代償として食欲という基本的な生理欲求で満たそうとしているのかも知れません。脳の奥深くにある視床下部という箇所に、摂食中枢と満腹中枢があります。感情の中枢である扁桃体とこの視床下部は、同じ大脳辺縁系に属し、密接な線維連絡があります。大脳辺縁系は人間の脳で情動の表出、意欲、そして記憶や自律神経活動に関与している複数の構造物の総称です。そして自律神経は交感神経系と副交感神経系の2つの神経系で構成されていて、不随意神経系に分類されます。随意神経系は手足や頭、体などの運動をつかさどる神経系です。人間の体には大きくわけてこの2つの神経系があるわけです。自律神経系は私たちの意志には反応しません。しかし、私たちの感情には敏感に反応するのです。ここが重要です。

 同じ出来事に遭ったとしても、感じ方は人それぞれです。そして、その感じ方は、その人のその時の考え方によって左右されます。何か(不安)に急き立てられるように努力する人と、自発的な目標(希望)に向かって努力する人とでは、同じ「努力」という言葉を使っていても、意味が違います。一方は成功して当たり前、失敗すればマイナスです。他方は成功すればプラス、失敗しても途中経過で続きがあります。

 「一生感動 一生青春」で、‘相田みつを’が父として、子どもにあるがままを受け入れ、自分の意志と判断で問題に対応できる知恵と力をつけてやることが大切として、予防接種のことを話しています。

  注射は痛い・・痛いけれどやらなければ大きな病気になる・・
  避けては通れない・・我慢して耐えること・・
  その我慢は他からの強制や、‘痛くない’とだまされてするものでは
  ない・・子ども自身の判断と意志で本心から納得して我慢をする・・
  積極的な我慢こそ長続きする・・

  5~6才の娘へのことばです。

  「わんわんと大声出して泣いてもいいし、
   泣かないでじっとガマンしてもいい。
   どっちでも自分の好きでいいよ。
   それからね、
   大声出して泣いてもね、じっとガマンしてもね、
   注射の痛さには変わりないんだからね。
   そこをよく考えるんだね。」

           「一生感動 一生青春」より

 結局、‘大声出して泣いたら恥ずかしい’ と言って、じっとこらえて泣かなかったそうです。

 これを読んで、こんな風に育てられたら、どんなに良かったかと僕も思いました。でも、完璧な親などほとんどいません。親に対して何らかの不満や反感をもっている人の方が、むしろ多数派なのです。 程度の差はあっても、誰も、よい意味でも悪い意味でも特別なんかではありません。

 僕は自己嫌悪というのは、分身の術だと思っています。嫌っている(対象としての)自分と、嫌っている(主体としての)自分に分離して、主体としての自分が肯定される仕組みを姑息(=その場しのぎ)に創りだし、自己の正当性を保とうとしているのです。でも、対象としての自分も、嫌っている自分もおなじ自分ですので、気休めにしかならないのです。
 人間というのは、自己を正当化しないと生きていけない生物なのでしょう。それがふつうです。あるがままを受け入れ、自分を裁いたり、想像に振り回されたりせず、自分は自分なのだからという自尊心を大切にしましょう。自分らしく生きることこそが「幸せ」なのです。

この回答への補足

自分の場合、母親との関係など、問題の根っこが深いのです。
母親に比較され、けなされて、自己否定や自己嫌悪が止められないほどになってしまいました。
フラッシュバックや不眠症に悩まされたこともあります。

今はまだいいほうです。

今更、親子関係で障害を改善していくことは望めません。

かといって、すりこまれたものをどうこうもできません。

スポーツで努力し、表彰されても満足できず、いつまでも、何にも自信が持てないのです。

自分らしいとは何なのでしょう。

補足日時:2011/10/13 23:23
    • good
    • 0

今現在、「過食嘔吐」でつらいですか?



ならば、心療内科か精神科を受診されてはいかがですか?

7年も続けていると言う事は、一人で何とか治るという段階ではないように思いますが。

強制されて行かされるのは不本意だったでしょう。

あなたが苦しくて病院の医師に助けを求めるのならば、前回と違って、治療はスムーズに行くと思いますよ。

まず、自分の気持ちをしっかりと聞いて、受け止めてくれる医師を見つけましょう。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!