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白い巨塔を毎週見てるんですが、
里見医師の意見がいまいちよくわかりません。
財前の論はよく分かりますが。
理想主義的な人が「患者の選別をしないことが理想」だと思う理由です。

ちなみに里見→許されない
財前→許される

友人と話したときには、以下のような意見が出ました。
「病院はすべての患者を受け入れなければいけない」
→得意な病院が得意な分野の患者を受け入れればいいのでは?
「医師は目の前の患者に全力を尽くすべきで
これから来るかもしれない患者のことは考えるべきでない。」
→なぜそう思うべきなのか?
「患者の意見を尊重すべき」
→では、なぜ患者はそう思うのか?
里見先生がいい人だから?まあ、これは納得かな・・・?

法的には(おそらく)患者の選別は許されていると思うので、
倫理的な面に絞ってください。

A 回答 (10件)

私はそのドラマを見たことがありませんが、患者としての経験から投稿させていただきます。



「病院はすべての患者を受け入れなければいけない」
→患者の希望通りとりあえず診察を行うのは当たり前として、その上でうちではこれ以上は無理、と判断するなら、他の科や専門病院等へ紹介すれば良いのです。まず診察をする時点で、受け入れてる事にはなりますよね。よく話を聞いたり実際に診察しないと医者として言える事は何もないのですから、診察自体するのは当たり前、という前提です。

「医師は目の前の患者に全力を尽くすべきで
これから来るかもしれない患者のことは考えるべきでない。」
→そりゃーそうでしょう。それは、医師でなくても全ての仕事に言える事です。もちろん、念頭に他の患者の事やその日のスケジュールが常にあるのは、人間の脳がそうなっているから仕方ありません。でも目の前の患者を診察してる時は、それがその瞬間のその人の”仕事”ですから、しっかり仕事してよ、って事だと思います。悪いところがあってわざわざ病院に行ってるのに、昼休みだの列をなしている他の患者を気にして、目の前の私という患者に集中してくれなかったら、「どんな駄目医者でも治療費は私が払うんだから、真面目にやってくれません?」と言いたいです。実際に言った事ないけど。

「患者の意見を尊重すべき」
→症状や病気に対して、治療方法が複数考えられる場合に、どの方針でやるのかは、患者の自己判断になりますよね。自分が納得した治療を受けるのと、一方的に決められたち良を受けるのとでは、患者の心理が全く違います。前者であれば、医師への信頼や治癒への希望を抱きやすいという面もあると思います。

某大学病院の基本理念に「患者を診るのではなく、人間を診る」というのがありますが、まさに、この世の医者がそれを肝に銘じて”仕事”してくれたらいいのに、と心から思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>まず診察をする時点で、受け入れてる事にはなりますよね。

えーと、すみません、診察した結果、「うちでは診れない」となった場合です。
門前払いはさすがにどうかと私の内なる現実主義者は申しております。

お礼日時:2003/11/15 16:50

原作と田宮二郎主演の作品はしっかり見ていました。

人間の欲望をテーマにした作品で大変面白かったのですが、早期胃癌の患者さんに対して化学療法をしなかった為に裁判で財前医師が不利になると言う様な医学的には全く非常識ストーリーでしたね。その為今回の作品はあまり見ていません。

>理想主義的な人が「患者の選別をしないことが理想」だと思う理由です。
>「病院はすべての患者を受け入れなければいけない」

その様な方針で大学病院が患者さんを受け入れたならば、老人専門の長期療養型病院と同じになってしまいます。当然大学病院でしか治療する事の出来ない患者さんは、行き先が無くなって死亡する様な事になってしまうでしょう。

現在では患者さんをその状態に従って区別し、受入先を決める事が国の方針です。それに反する事を行う医師があれば、大学病院に在籍し臨床の仕事をする事は困難でしょうし、その様な事をしたら非常識のそしりを受けるでしょう。

>「医師は目の前の患者に全力を尽くすべきで これから来るかもしれない患者のことは考えるべきでない。」

医師は自分が受け持っている患者さんの全て及びそれ以外の多くのしなければいけない義務のある仕事に全力を注ぐ必要があります。目の前の患者さん診なければいけないのは当然ですが、その為に自分が主治医である他の患者さんを忘れて良い訳がありません。

患者さんが重症の為に学会発表を他の人に頼む場合もありえますが、それが本当に正しい事なのかは一概にはいえません。
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私は昔、田宮二郎主演の「白い巨塔」を見ていて、その時の里見医師(山本学:役)がすごーくよかったもので、つい比較してしまうんですが。



今回の江口洋介演じる里見医師とその妻の演技にはどうも違和感を感じてしまいます。何か偽善者めいたうそ臭さが拭えません。

原作も読みましたが、どちらも原作にはほぼ忠実に作られています。

それで考えたんですが、やはり時代背景ということがあるのではないでしょうか。30年前はまだ理想主義、というものがりっぱに存在していたのではないでしょうか。

すべての人が平等に機会を与えられ、すべての人が幸福になる社会、に向かって努力する、というような。

出世欲が剥き出しの財前医師をはじめ、自分の利益のことしか考えない人間の中にひとり、患者の為に尽くす里見医師、その夫を支える妻。に対して、そういった理想社会をめざす自分の心の目標となる人物を見ていた、という気がします。

しかし、今はそういった理想主義は崩壊しました。すべての人が幸福になる平和な社会、なんていうものはありっこないのです。

かといって、自棄になる必要はなく、それぞれ自分の立場を守りつつ、少しでもよくしていく努力をしていこう、というのがリアリティある現代のあり様だと思います。

実際、財前医師が賄賂を使って教授の椅子を得たとしても、何人もの患者を救っているという実績は評価されてよいわけです。

もしも私が緊急手術を希望しているのに、後から来た要人がさきに手術をされたら、その医師を憎むでしょうが、最後はあきらめるしかないと思います。

今回の里見医師もそういうことをわかっていながら、自分の理想主義を持て余している、というように見えてしまうのです。   

質問内容からはかなりずれた回答で失礼しました。
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#2です。

補足です。

>えーと、すみません、診察した結果、「うちでは診れない」となった場合です。
門前払いはさすがにどうかと私の内なる現実主義者は申しております。

ですので、
「うちではこれ以上は無理、と判断するなら、他の科や専門病院等へ紹介すれば良いのです」と書いたつもりでした。
診察した結果、という事は、診察はしてる訳ですね。その時点でとりあえずは受け入れてるので門前払いではないですね。
しかし「はい、さようなら。うちでは何も出来ません」という医者は、医者として失格だという意見です。実際そういう医者多くて大変迷惑です。
患者としては、じゃこの症状は何なの?私は次どうすればいいの?と疑問と憤りだけが残り、結果論ですが何もしてくれなかったにもかかわらず診察料は払います(しょうがないけど)。最低でも大学病院だったら他の科に紹介するとか、一般人にでも言える事以外のアドバイスは欲しいです。
ドラマは見てないと書きましたが、そのせいでピントがはずれてたらごめんなさい。医療に関する一般論でも通用すると思ったので回答しました。
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実家が診療所を開業していたので、私が実父(要するに診療所の医師)を見ていた範囲での考え方です。



>病院はすべての患者を受け入れなければいけない
規模の大小を問わず、医師自身が診療に自信を持てない患者さんは受け入れるべきではないと思います。実際、実父は内科医でしたが、それでも実家をかかりつけ医だと考えている患者さんが子供さんやお孫さんを連れてくることが多々ありました。そんなとき父は、一応は診察するものの、分からないときは「分からないので個々では診療できない」とはっきりと伝えていました。もちろんそのまま放り出す訳ではなく、自分の考えるところを紹介状等にしたため、診療可能な別の医療機関に連絡をとった上で送り出していましたが。私は子供心に「何でおいだしちゃうんだろ・・」とその頃は思っていましたが、今考えてみれば、分からないのに適当に当たりをつけて診療してしまうよりは、医療事故の可能性が余程低くなりますよね。身内びいきではありませんがこれで正解なのではと考えます。
治る見込みのあるなしで区別するという部分については、なかなか難しいのですが、これまた実父の例で言えば、治らないと完全に明らかな場合には、当に里見先生と同じで、「がんばらなくていいです」的な姿勢で接していたように思います。中には患者さんのご家族にも強引な方がいらっしゃって、「もうすぐお盆なので、盆明けまでは縁起が悪いので死なさないでくれ」などと結構無理なことをおっしゃる方々もいらっしゃったのですが、そんなとき父は「無理に引き延ばして患者さんの苦しみを延長するのはいかがなものか・・」と、考え込んでいましたが、これは実家が医療の末端に位置する診療所で、患者さんも在宅の方が殆どだったので、こういう考え方も通ったのかも知れません。大規模・先進の医療機関であれば、やはり「順番待ちの患者さんには最期の砦」的な位置づけにならざるをえないと思います。ですので、治る見込みのない患者さんについては、生の末期を穏やかに過ごせる別の手だてを考えるべきなのかも知れませんね。そのために現在ホスピスのような医療機関もポツポツと建ち始めているのだと思います。「白い巨塔」はまだそういった終末医療の概念が無い頃の原作なので、この辺が現代にマッチしていないのではと考えています。もし「白い巨塔2003」なる続編でもあったら、今頃里見先生は、大学病院と、ご自分が送り出したであろう終末医療を受けている患者さんのいる医療機関の間を走り回っているかも知れませんね。もっとも里見先生は数話後に浪速医科大学を追い出される身となってしまうので、続編があっても大学病院には在籍していないかも知れませんが・・・
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言葉が上手でないので、申し訳ないな・・と思いながら、お返事させていただいてます。



診察した患者が、自分(医師)の領域内では、治療困難と判断される場合や、その患者が療養型対象患者であると考えられる場合(急性期型病院の場合)には、担当医師は、まず上司に相談します。上司の判断により、その病院の対象外患者であるとを患者を、他の病院に移送・または紹介することになります。この場合、上司は悪魔で現役医師です。
経営者は、ビジネスの専門家であり、医療の専門家ではないので、経営者が最終判断を下すということは、まずないと思います。

最終決定は、悪魔で患者本人および家族とともに担当医師が十分話し合った上での決定になると思うのですが・・。
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医師本来の姿・・・と言うことですか・・?


そうですね。むづかしいかもしれませんが、医師の仕事って、病気を治すための治療行為を行い、指示する人ですよね。現代社会になって、原因不明の病気が増えて、どんな検査・投薬・治療をすれば患者さんの疾患が治癒するのか。再発を予防することができるのか。ということの判断がつけにくくなってきているのが事実です。レセプトの診断名をみても○○症候群などとつけられているものの多くは、決定的な診断がつけにくいものが含まれています。(すべてがそうではないのですが・・)
たとえば、微熱が続くという患者に、はっきりとした説明が行われて、はっきりとした診断名がつけられて、きちんとした治療が行われているでしょうか?おそらく大半が、風邪がこじれているんでしょう。とか、すっきりなおりきっていないんでしょうと、あやふやな説明で終わらせられていることがおおくないでしょうか?
白い巨塔の里見医師のように、検査データーの細かな異常値に注目して、徹底的に検査し、治療方針を見出していこうとする医師は、現在では見かけないと思います。
多くの医師は、自分の包容力以上に抱えさせられている担当患者を、いかに裁ききるか。ベッドが足らない今の病院の中で、いかに空きベッドをつくって、入院患者のローテーションを円滑に行うか。自分の出世のために、学会発表に有用な、珍しい症例に対しては、データー収集の時間を惜しまないけど、あれこれ訴えが多くて、なかなか自分の思うように入院生活(疾患の治癒過程)が進まない患者に対しては、無駄な時間と労力はできるだけ省こうとする医師の方が、多くなっていると思います。

思いっきり、医師の悪口のようになってしまいましたが、私の周りにいる医師たちは、結構、面倒なことには手を出したがらない人たちが多いです。
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この回答へのお礼

>医師の仕事って、病気を治すための治療行為を行い、指示する人ですよね。

今、思ったんですが、医師の仕事は「来た患者を直すこと」であって、
「直せる患者を直すこと」ではない、ということでしょうか?

入院してもらうか、他の病院を紹介するかの最終的な判断は
経営者にまかされるべきだ、と?
もちろん、経営者は医師の意見を聞くでしょうけど。

お礼日時:2003/11/15 18:55

むずかしいことは分かりませんが、ドラマを見ていて思ったことです。



でも、里見医師の患者は、末期のがん患者でもう治る見込みはない。でも、延命治療や痛みや苦しみを和らげる治療はできるし、里見医師はできる限りの事をして、彼女を最後まで見てやりたいと思っている。それは、患者自身も彼に診てもらうことを望んでいることだから。

財前医師は、治る見込みのない患者より、治る患者を優先して治療すべきだと考える。

患者を選別することがただしいのは、その病院や医師にあった(得意とする)分野での患者を受け入れ、そうでない患者には、よい病院を紹介すると言う意味で。

財前医師のように、自分の利害によって患者を選んだり、治るか治らないかで患者を選んだりするのはちがうのではないか・・・。と言うことかと、思いました。

現実問題として、ドラマの中でもいってたけれど、治療を待っている患者さんがたくさんいたら、その患者さんに治療を受ける順位をつけなけらばならない。
症状が軽い、急を要しない、そして、治る見込みがない患者はあとに回されていくかもしれない・・・・
来るのに任せて患者を受け入れていたら、病院はパンクしてしまうだろうから・・・。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
「患者が望んでいるから」
なるほど、それも合理的な反論です。

お礼日時:2003/11/15 18:46

 ドラマを見ていないのですが、一般的な意見を一つ。



 患者の選別は「トリアージ」といって、実際に行われています。いちばん顕著に行われたのは、阪神淡路大震災の時です。

 病院に押し寄せるさまざまな患者を、瀕死の患者、重症の患者、軽症の患者などと分けて、そのうち、その病院で対処可能ないちばん重い患者から診察、治療するというシステムです。すなわち、瀕死の患者は、他の専門病院に送り、軽症の患者は応急手当だけで帰宅させます。それで、対処可能ないちばん重症の患者の治療を重点に行うのです。

 これは正しいことです。もしこれをしないと、助かる患者も助けられなくなります。
 どんな大きな病院でも診察できる能力は有限です。余力のあるうちはいいのですが、そうでない場合は、トリアージをしないといけません。実際、アメリカの救急病院では常日頃からトリアージが行われているそうです。
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この回答へのお礼

「スターリングラード」でもそんなシーンがあったなあと思いつつ。
理想主義者がwhitepepperさんのように主張するなら、
ぜんぜん論点にならないわけですよ。

問題は彼らがそう主張する理由です。
どういう論陣を張るのか?ということです。

お礼日時:2003/11/15 16:54

どの様に答えて良いのかちょっと解りにくいのですが・・


私の考えを述べさせて頂きます。

里見医師は、医師としては本来の姿の医師だと思います。内科系のDrの基本ではないでしょうか。でも、大学病院に在籍するタイプではないことは確かだと思います。しかし、研究を続けるには大学にいるのが一番・・。お医者の世界って大変なんです。

患者の選別については、誰でも得手・不得手があるように、医師にも専門・専門外があります。総合病院だからといって、すべての疾患に対応できる医師が在籍するとは限りません。だから、来院した患者の診察結果で、どの様な治療をするかによって、担当した医師が判断をどうするかで決まってくるのですが・・。
患者の選別は、そこから始まってくると思います。

急性期型・療養型と病院が区別され始めている時代ですので、近い将来、患者の選別は私たちの身に降りかかってくる現実だと思いますよ
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>医師としては本来の姿の医師だと思います。

で、そう思う理由なんですけど・・・

お礼日時:2003/11/15 13:18

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