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フジテレビの偏向報道を、
「ふざけるんじゃねえ」
といって怒り狂っている人たち、いるようですね。
あまり報道されないので、
僕なんぞは、何が偏向報道なのかよくわからないんですけど、
どうやら、韓流ドラマの垂れ流しとか、
番組の中にハングルをちらっと見えるようにしていたり、
どうやら朝鮮寄りの姿勢みたいなことを言ってるんでしょうか。
ところで昨日から、
高島彩さんと、ゆずの片割れの人との結婚報道が垂れ流されてます。
僕なんぞは全く興味はありませんけど、
見たくなきゃ見なけりゃいいと思うので、
どうと言うこともありませんけど、これも偏向報道じゃないですか。
あの番組この番組、たくさんの番組で朝から晩まで、報道してますけど。
偏向報道に怒り狂う人って、
こういうものには怒り狂わないんですかね。
それとも朝鮮関係だけしか腹が立たないと言うことですか。
どうなんでしょう。教えてください。

A 回答 (4件)

いままでも何かを流行らせようと「そればっかり」放送していたのは多々ありますが、騒ぎになったことはありません。


今回の騒ぎと今まででの絶対的な違いは「韓国が反日」ということです。
日本を敵対視している国のコンテンツやカネをアテにするなんてどういうことだ!というのが問題なのです。
これがもし韓国が親日であるなら、この騒ぎは無かったでしょうし、むしろ歓迎されていたでしょう。
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この回答へのお礼

反日、韓国、
だからいけないというのも、
偏向じゃないかと思ったので質問しました。
ご回答のとおり、今までにもテレビ局は、
視聴率が上がると思えば、
同じことを何度でも何十回でも、
垂れ流してきましたよね。
それと同じだからいいんじゃないの、
と思ったので質問しました。
あと、最近不思議に思ったのは、
韓国と同じ、
「反日」の
中国から仙台にパンダを貸してちょうだいな、
というニュースがあっちこっちのテレビ局で流れたんですけど、
あれなんかも、
「反日」の国からパンダなんか借りてはけしからん。
ということでお怒りのかたがたが多いのでしょうか。

お礼日時:2011/10/22 12:52

もともと、変更報道を批判する人には挑戦に対する憤りがあります。

そこから来る批判も多いと思います。

僕なんぞも、「変更報道は確かにあるかも」と思ってますが、同時に朝鮮に対してそもそもあまり肯定的でない自分がいます。友好は大切と思いつつ、どこか解せない自分が…

よくよく考えてみると、ドラマや番組には英語表記が溢れていますが、これも一種のアメリカ寄りの偏向報道です。アメリカドラマの垂れ流しもあります。日曜日の鑑定団再放送のあとのアメリカ映画とか。

英語は世界標準語だから関係ないなんて言えませんよ。他文化浸透には変わりありませんから。
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この回答へのお礼

朝鮮人を嫌いという人、
結構多いみたいですね。
僕はそこのところがいまひとつよくわからないんです。
まあ、好き嫌いは感情的なものですからどうにもなりませんけど。

お礼日時:2011/10/22 12:53

>偏向報道に怒る人。




     ↓
色んなメディア・報道・番組を観ておれば・・・自分のスタンスのチェックと多面的な視野視点と解析統合に役立つし活用する為の要素要件だと思います。

「我以外皆我師也」とも、先人は訓えていますように、多くのデーター情報で隙間や欠落場所が埋められ補完され実像・真理に近づけるのでは・・・
偏向と言うには、自分の立ち位置や価値観が明確であり、投影される事象が客観的に比較出来、距離感や歪みを測定出来る基準や確かな心眼を保持していなければ、それは単なる中傷・批判の為の批判・独善に陥り易いのでは・・・

今回の事例で言えば、安易なモノ作り(輸入・再放送)の余りの多さ「偏重」が共感出来る点であり、思想や主張の偏り「偏向」では無いと個人的には思います。
もっと、面白い・有意義な・斬新なアイデアと企画と創造性を願い期待する、その一環としての現状への改善要請であり物足りなさへの批評なのではと思います。

さらに言えば、拉致問題や竹島問題、外国人犯罪の増加や朝鮮人学校の無償化問題とか永住外国人への地方参政権付与のニュースが頻繁に見聞する中、韓国流ドラマの洪水とスポーツや教科書や歴史問題での反日姿勢やデモ&嫌がらせ報道に神経が過敏になっており、両国間の文化や娯楽やスポーツ等での公平感や理解に温度差が顕著であり、好きな国とか信頼感の面でも不十分さ、蟠りがあり、在日特権なのか人種差別なのか、歴史への反省なのか自虐的思考なのか賛否や意見の分かれる所であります。

そして、マンネリと安定性、新鮮さと未知数や未熟さは紙一重であり、特に報道では瞬間瞬間の事象への対応には伝え方や表現に識見や度量や人間性が出易く、絶えず練磨と蓄積と鮮度が求められ、新しさと蓄積されたモノが臨機応変に適材適所に発揮されないと観る者聞く者に響かず共感や賛同を頂け無い厳しさ苦悩があると思います。
個人的には、費用対効果の問題や観たくなければ観なければ良いの原理原則は良く分かりますが、それは作り手[供給]サイドの怠慢・言い逃れの、安易な企画創造力不足の開き直りと言う側面もあると思います。

幾ら多くのチャンネル・番組があっても視聴者には番組制作や表現の機能は、あくまでも受け身であり、出来上がった番組内容の中からの選択or観ないという対応しか持ち合わせていませんから・・・
積極的にモノを言う視聴者であったり、番組制作への注文や批判も、それは良質な番組形成・政策への参画の一環とすれば
警鐘・提言・アイデアとして受け止め、活用すれば、試行錯誤はあるだろうが、それはやがて共同制作や視聴者参加[双方向&リアリティ]のチャンス・新たな番組スタイルに繋がって行くのでは・・・
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この回答へのお礼

確かにテレビというのは視聴者側が受身の文化ですよね。
インターネットの普及とともに、テレビ離れが激しくなってきたのも、
双方向の可能性を視聴者が求めているのでしょうか。
地デジになると、視聴者が参加できるコンテンツが増えるなんていってたみたいですけど、
実際にはまったくといっていいほどそんな番組はありませんね。
リモコンの青ボタンやら黄色ボタンやら、
そんなもの使ったこともありません。
やはりテレビが問題を抱えているのはそのとおりでしょうかね。

お礼日時:2011/10/22 12:47

>それとも朝鮮関係だけしか腹が立たないと言うことですか



そういうことでしょう。

どちらも興味ありませんが、

韓国偏重は、メディアを使って国益を損なうという面があるので、
それについて物申すというのは別に悪いことではないと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
国益を損なうのであればやはりいけませんね。

お礼日時:2011/10/22 12:47

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