鬼
本日、アサヒコムで鬼の面の記事がありました。
http://mytown.asahi.com/ehime/news.php?k_id=3900 …
しかし、このお面には角がありません。
質問1. こういう鬼という観念は歴史的に存在したのでしょうか?
(鬼道とか、鬼神に祈らずとかいうことばに出てくる鬼という語は、
質問者自身はこの質問では一応考えの外においていますが、関連させてくださっても結構です)
質問2. そもそも日本でいう鬼とはどういうものなのでしょう?随筆的なご感想でも結構です。
(桃太郎さんは、なんか鬼退治をしてたくさんの宝物をお土産にもってきたそうですね)
質問3. この記事のお面は猿樂のお面だそうですが、やはり鬼退治の鬼と同じような存在だったのでしょうか?
回答(4件)
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昔々、日本に朝廷が無かった頃、どこからか言葉の通じない大男の集団が、ある島に流れ着き島の洞窟に住み着いてしまいました。船が壊れて彼らは元の土地に戻れなかったからです。彼らは、時々対岸の村に現れては怖い顔で女の人を脅かしてさらって行ったり、食べ物を盗んでいったり悪いことばかりしていました。しかし平和に暮らしていた村民たちには彼らを退治する勇気はありませんでした。困った困った、誰か鬼を退治してくれる勇者はいないものだろうか。都に相談にいってみよう。その話を聞きつけた若者が鬼征伐隊を編成して鬼が島に乗り込んで鬼たちを成敗しました。この話が人々に語り継がれて桃太郎の話になったのです。
のちに半島から漢字が伝えられ「鬼」という漢字に、異形の人、恐ろしい人、話が通じない人という意味が与えられました。それ以降、あの婆は鬼みたいな婆だ。鬼婆だといった悪口的用法が生まれたのです。まともに話の通じない恐ろしげな人が鬼に例えられました。
時代が進むと鬼という言葉だけが生き残って、元々鬼と呼ばれた人達がどんな顔だったかを覚えている人はいません。たぶん鬼というのは、こんな顔だったんじゃないかなと想像で作ったのが鬼の面なのです。角というのも想像の産物です。あれはもはや人間じゃない。そういう意味を加えて想像で書いた絵なのです。鬼に対する嫌悪、軽蔑、畏怖、いろんな感情だけが伝えられたのです。
昔々の日本には、日本人以外にたまたま漂着した異民族や土着の異民族がいたのです。それが鬼、河童、天狗、土蜘蛛と呼ばれた人達です。しかし時代が進むと、彼らはいなくなりました。滅ぼされたか、日本人に同化したのか、それは分かりません。そう呼ばれた人達はいなくなっても言葉は残りました。それが時代が進んで、それらの単語は皆、妖怪のように絵に描かれるようになった。しかし絵のイメージは全部絵師による想像の産物なのです。
河童は川に潜って魚を取るのが得意だった集団だったのでしょう。天狗は鼻が高い白人だったのでしょう。土蜘蛛は手足が長くて土穴から出たり入ったりしていた集団だったのでしょう。
日本の農耕社会になじめずに山や川や島の辺境で細々と暮らしていた異文化集団が昔はいたのです。
以上のことは私の想像に基づく仮説です。真相は誰にも分からない。文字しか残っていないのですから。
しかし大きくは違っていないはずと私は自信を持って回答しています。
この回答へのお礼
mekuriyaさん、すごい。
想像と仰せですが、正に正鵠と存じます。
鬼、河童、天狗、土蜘蛛。
土着民から見れば異類異形ですが、渡来の方々なのでしょうね。
しかし渡来の征服者が、土着民を異類異形と見立てて、名称したとも考えられます。
河童(サンカの祖先とか)は川筋の方々でまぁ孤独な河伯とも考えられ、土蜘蛛は穴居の縄文民族かもしれません。弥生の鉄の鏃に残虐に征服された。
もう少し想像の展開が欲しい気がします。
天狗はすねながひこややたがらすとも関係があるかもしれませんし、やはりヨーロッパ的な人相なんでしょうね。
いずれにしろ異文化同士のぶつかり合いでの呼称でしょうね。
mekuriyaさんがブログを解説され、ご発表されることを切に懇願します。
No.3ベストアンサー20pt
こんにちは。以前に何かの史料で鬼の表記に「於爾」の文字を宛てていた記述を見た記憶があります。
また保立道久氏だったかと記憶しておりますが、「大江山の酒呑童子」に登場する鬼は異形の者を表象した形である、との見解もあったかと思われます。記憶が曖昧でごめんなさい。
この回答への補足
酒呑童子はシューテン・ジョージという難破船の船乗りだという話も読んだことがありました。
この回答へのお礼
おぉっ、鬼という字が日本語を表記はしてないという事ですね。於爾も訓読みでの当て字でしょうからまぁ漢字が鬼の性格や出自を示しているとはいえませんね。
これは素晴らしいお話です。鬼はおにであり、日本の異形の方。お面では角があるものとないものとがありうる。
般若という天界的智恵の権化も日本では角があったり、なかったりですね。
鬼は異形の人間。そして日本の観念での存在なんですね。
有り難う御座いました。
今後の鬼の興味に一つの指標、道標ができました。まぁこの硬い頭はすぐに固定観念化するんですが。
こんにちは。
bungetsuです。
2008年11月18日、「日本ミステリー」という放映で、「鬼の子孫は実在する」というものでした。
それによると、
(1)京都には「鬼の岩屋」、「酒呑童子(しゅてんどうじ)の屋敷跡」、「鬼の足跡」があるそうです。
(2)大阪・池田市の逸翁美術館には、「大江山絵詞」(おうえやまえことば)という巻物が残っており、15世紀初頭に描かれたもので国の重要文化財に指定されていますので、一般には公開されていません。
(3)鬼は、修験道に取り入れられ、毎年、比叡山延暦寺の僧侶50人を先導して20Km離れた修行場所の葛川明王院(かつらがわ みょうおういん)へ行くと言う。これを葛川参籠(かつらがわさんろう)と言い、この鬼の役目をするのが明王院主・葛野常喜氏(くずの じょうけい)で1,000年以上も代々鬼の役目をしてきた。
(4)逸話としては、酒呑童子は比叡山の伝教大師(最澄)に敗れてから、比叡山に仕える身となり、代々鬼が先導役をすることとなった。葛野家は酒呑童子の末裔とも言われている。
と、言う内容でした。
さて、あなたの質問についてですが・・・
質問1. こういう鬼という観念は歴史的に存在したのでしょうか?
「日本ミステリー」では、酒呑童子や源頼光(みなもとのらいこう)、坂田公時(さかたきんとき)などが鬼退治をしたと今も語り継がれていることから、平安時代には「鬼」という概念はすでに存在していたと思われます。
質問2. そもそも日本でいう鬼とはどういうものなのでしょう?随筆的なご感想でも結構です。
平安時代から(あるいは、それ以前から)悪行を成す者を鬼に例えていたと思われます。
日本独自かと思いきや、中国、インドなどでも鬼が存在していたようです。
鬼子母神の由来:
http://www.kishimojin.jp/history/index.html
質問3. この記事のお面は猿樂のお面だそうですが、やはり鬼退治の鬼と同じような存在だったのでしょうか?
狂言の一つに「せつぶん」と言うものがあり、今も語り継がれているようですが、昔は、能や狂言などはまとめて「猿楽」と呼びましたので、こうした芸能を披露するときに用いられたと考えます。
残念ながら、この「せつぶん」は観たことがありませんので、鬼がどういう役目で出てくるのかは分かりませんが、我々の「節分」でも、
「鬼は外、福は内」
と、叫ぶように、やはり悪役で登場し、最後には善行になる・・・といった筋書きではないかと思われます。
この回答へのお礼
bungetsuさん、
久方に謦咳に接し光栄に存じます。
今、私は震災や戦災に、そして開発を免れている墨田区、足立区など路地裏に出会い、郷愁を感じながら散策しております。
私の居住する荒川も綾瀬川も越えたところでは450年もあったお家が取り壊され、時代の流れを実地に体験しております。幼友達の家です。
46年、勤務した大学もいろんな学外大学間協力機構も消滅し、日患同盟も何か整理とか、歴史が音を立てて先を急いでおります。
明治維新や昭和の敗戦という終戦は人の歴史の変動でしたが、今の変動は少し異なるようです。
「鬼の子孫は実在する」以下の四項目のご講説で理解すると、鬼は私の観念の、アンテナ角を持つ異類ではなく、後醍醐みたいな異形の人間ですね。
戦前の古い啓蒙書でも、酒呑童子とはシュウテン・ジョウージというドイツの難破船乗りだという解説がありました。
そのご末裔が居られるとは、人間はみなお互いに異形同士か異類同士かとも感じられます。身近の家内などをそんな思いで時折、眺めております。
所謂る普通の観念としての鬼のルーツはもうそういう意味で平安に会ったという事なんですね。
そして鬼とは善側という自分達から見た悪役だった、ということでもあるのですね。
まぁ桃太郎さんは善側と自己確信した側で、鬼を服(まつろ)わせたのですね。
そういう観念意識で私たちはこうして平安から来ているのですね。
有り難う御座いました。
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