あるHPに第2次大戦のドイツ軍はこうすればソ連に勝てた。と書いてました。第1段階で、キエフ、レニングラード、スターリングラードを占領する。第2段階で3方向からモスクワを攻略する。
キエフ(穀倉地帯)レニングラード(連合国との補給港)スターリングラード(石油)それぞれ重要な拠点を押さえられたソ連は食料も石油も尽きて身動きがとれず、モスクワを防衛できず降伏する。というのです。
本当にこの方法で勝てたでしょうか。

A 回答 (5件)

>本当にこの方法で勝てたでしょうか。



戦線当時に「ソ連軍の軍事作戦が、100%詳細に分かっていれば」勝てたでしようね。
関が原の戦いでも「家康の命を受けた西側武将を先ず攻撃」すれば、西軍が勝てたのです。
すべて、結果論ですから勝てるのです。
昔から言いますよね。
「歴史に、もし?は無い」のです。
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ロシアはモスクハ以東への生産設備の移転を検討・着手しています。


もちろんほとんど成功はしていませんが、モスクハを占領されても戦う意思の現われだと思っています。
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コンピュータ・ゲームかボード・ゲームなら勝利条件を満たして勝ちになるでしょうが、現実の戦争はそんなに簡単ではないですね。


バルバロッサ作戦で話題になるのは、「まっすぐモスクワに進むべきだったか、それとも南方(ウクライナ)を占領すべきだったか」です。
7月までに順調にスモレンスクまで進出してきたドイツ軍でしたが、ヒトラーの命令によりドイツの装甲軍団は南に旋回し、そのためにタイフーン作戦が遅れました。これをして「まっすぐモスクワに向かえばモスクワを占領できたはずで、モスクワを占領すればドイツの勝利になったはずだ」という指摘が昔も今も活発です。
しかし、あのナポレオンもモスクワを占領しましたが結局ロシア侵攻が失敗に終わったように、モスクワというのもロシアの大都市のひとつと考えたほうがいいのではないかと思います。
まあ確かにモスクワは鉄道のハブ地点ともいうべきところで、軍隊及び国家全体への補給路の中心地としての役割がありましたから、モスクワをドイツに取られるというのは補給戦略上は大きな影響を受けるということになるとは思います。
しかし一方で、キエフ攻防戦で赤軍は60万もの兵力を失っています。装甲軍団の南方大回転がなければここまでの戦果をドイツ軍も得られなかったはずで、これが赤軍の予備兵力に組み込まれるとなるとどのみち41年冬の戦いでドイツ軍は苦戦を免れません。

実はあまり知られていませんが、1941年冬の戦い(モスクワ攻防戦)はドイツ軍にとって極めて危機的な戦いでした。ドイツ中央軍集団は崩壊の危機にさらされ、ベラルーシからの完全撤退の可能性さえありました。それが結局見た目の上では「モスクワ前面にまで迫ったドイツ軍が止まった」だけで終わったのはヒトラーの指導力の賜物だったのです。こんときの総統閣下はキレキレで、死守を命じたのが逆に中央軍集団を救ったのです。後年、ヒトラーはスターリングラードを始め各地の戦いで死守を命じてむしろ足を引っ張りますが、それはこのときの1941年冬の戦いでの死守命令による成功体験があったからなのです。

また1942年春に偉大なる指導者にして進歩的全人類希望の星、同志スターリンが41年冬の攻防戦でドイツ軍を押しとどめたことに気を良くして全面的反撃を命じてドイツ軍の逆襲にあい戦力をすり減らして42年のドイツ軍のブラウ作戦を呼び込んでしまいます。そこは偉大なる指導者にして(以下略)スターリンの判断ミスもありました。もし偉大なる(以下略)スターリンが限定的な反撃作戦に留めていたら、1942年の東部戦線は1943年の東部戦線のようになっていた可能性は充分ありました。

ついでに突っ込めば、1942年以降のドイツ軍がなにがどうあれモスクワを三方向から攻撃できる補給能力は持ち合わせていませんでした。だから現実的な作戦じゃありません。机上の空論といってもいいですね。その辺の事情は、名著「補給戦」を読むとよくわかるのですけどね。
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その方法で、モスクワ占領できても、クイビシェフあたりにスターリンが避難するだけで、


補給線が伸びた分、兵站不足でドイツの降伏が一年早くなるとか?

キエフは占領したし、レニングラードも早々完全包囲したし、スターリングラード市街に独軍突入しても。ああなったし。
 連合国との補給は、それだけいっても、アルバンゲリスク・北極海方面、イラン中東方面、ウラジオストック・シベリア鉄道で、確保できるし・・・・・・

※ちなみにバルバロッサの最終目標とされたアルバンゲリスク・アストランハン線確保は、
西部戦線の兵を全員、東進させて、かつドイツの成人男子全員徴兵しても、できるわけないだろう(>_<)
という試算が、ドイツ参謀本部で、なされていたのだが・・・・・・
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その方法では勝てません。


何故なら間違った認識をしているからです。

レニングラードは連合国との補給港ではありません。
レニングラードはバルト海にあり、バルト海の入り口付近のデンマーク、ノルウェーはドイツ軍の占領下です。そこを通った後はドイツ、ポーランドの近くを通らねばなりません。
そのような海域を通って補給する事などできませんし、していません。
連合国がソ連に支援物資を送った主要な港はもっと北のアルハンゲリスク港です。
ルートとしては、ノルウェー海からバレンツ海へ、そしてコラ半島に入り込む形で白海に入って行くルートです。
アルハンゲリスクはモスクワの北、約1000キロの地点にあります。
アルハンゲリスクはレーニングラードから直線でも約800キロ離れています。
モスクワとアルハンゲリスクの最短の交通路を破壊、遮断するにはレーニングラードからさらに最短でも約500キロは進出しなくてはなりません。
なお、連合国からソ連への補給はイラン経由、極東経由等もあります。
つまりレニングラードを占領しても連合国からソ連への補給は途絶えません。

スターリングラードでは石油は出ません。
ソ連最大の油田地帯はカフカス山脈からカスピ海周辺であり、スターリングラードから約1000キロほど南下した地帯にあります。
またスターリングラードを占領してもカスピ海までは約400キロもありその地帯を制圧しない限りは、ソ連のカフカスからの陸路での石油輸送も止められません。
つまり、スターリングラードを制圧したからといってソ連が石油を失う事はありません。

キエフはウクライナ国の首都であり、ウクライナとして話ますが・・・
確かにウクライナはソ連でも有数の穀物生産地です。しかし、ソ連ではウクライナだけが穀物生産地というわけではありません。
ソ連南部は穀物の栽培に適した地です。そのためソ連の前のロシア帝国の時代からロシア人農民の入植が行われた地が幾つもあり、有数な穀物生産地が幾つもあります。カスピ海から中国国境にまで広がるカザフスタンなどもそうで、1860年よりロシア農民の大量入植を行い、ソ連時代から有数な穀物生産地でした。
だから、ウクライナを占領されたからといってソ連の食料が尽きる事はありません。
ちなみに、ソ連崩壊でウクライナやカザフスタン、その他の国がソ連より独立しましたが、ウクライナとカザフスタンを合わせた穀物生産量より、独立されてしまった旧ソ連(現ロシア)の方が穀物生産量は上です。

つまり、レニングラード、スターリングラード、キエフ(ウクライナ)を占領されても、ソ連は石油、食料は尽きませんし、連合国からの補給ルートを失うわけではありません。
ですから勝てません。
勝てるなどと考えた人はもう一度よく調べてみる事が必要です。そう指摘してあげて下さい。
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