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ジャンヌ・ダルクについて

最近ヨーロッパの歴史などに興味を持ち始めジャンヌ・ダルクに惹かれました
ジャンヌ・ダルクは誰でも知っている聖人であるとだけ記憶していたのですが
百年戦争での活躍や神のお告げを聞いたり 魔女と言われてたり
有名になる要素はたくさんありますが
ジャンヌ・ダルクと日本の間には何か関わりはなかったのでしょうか?

あるいは
日本に影響を与えていたりするんでしょうか?

A 回答 (2件)

ジャンヌ・ダルクは15世紀の人物で、日本は室町時代でした。


なので、直接的な関係は無いといって良いかと思います。
しかし、明治以降の日本にとっては間接的に影響を与えていると言えなくもないですね。
以下は私見ですが、参考になればと回答してみます。



ジャンヌ・ダルクがフランスも含め世間一般にも注目されるようになったのは18世紀以降のことです。
それまでの間、「忘れ去られた聖女(魔女)」の一人でしかありませんでした。

当時(18世紀)、絶対君主制の行き詰まりと国民国家の成立へと向かう時代でした。
そんな中にフランスに現れたのがフランスのナポレオンです。
彼は「プロパガンダ(政治的宣伝)」が上手で、色んな手法を通じてフランス国民をフランス国民に仕立て上げていきました。
そんな中で利用されたのが、ジャンヌ・ダルクのエピソードでした。
その後、相次いでジャンヌダルクについての本が上梓されていきます。
有名どころをあげると、

シラー『オルレアンの乙女』(1801年)
シャルル・ペギー『ジャンヌ・ダルク三幕劇』(1897年)
アナトール『ジャンヌ・ダルクの生涯』(1908年)

など、おおよそ、帝国主義とナショナリズムが台頭した時代にあたります。
パリにあるジャンヌ・ダルク像も、19世紀頃の作品だったかとおもいます。
つまり、フランス共和国という民族国家造りに利用されたわけですね。(もちろん、利用出来るだけの史料が残っているのはポイントの一つですけど。

そういった意味では、日本でもその名を冠される人がいますね。
NO1さんがあげておられる幕末のジャンヌ・ダルク新島八重(1845-1932)、東洋のジャンヌ・ダルクといわれた川島芳子(1907-1948)、などなど。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3% …

いずれも、その時代において何かしらの功績を残した人々ですね。
ただ、いずれも「ジャンヌ・ダルク」の名を冠された裏側には「イデオロギー」的なモノが見え隠れしてますけど、、、

ではでは、参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

少し遅くなりましたがベストアンサーにさせていただきました。
ナポレオンとの関係やジャンヌの生涯を見ていく中で、ジャンヌにもっと興味を持ちました。自分は男ですがジャンヌの活躍した頃の歳と同じ歳なので、すごく尊敬し憧れます。
もっともっと学んでいきたいです。
詳しい説明ありがとうございました。

お礼日時:2011/11/15 21:33

   新島 八重、同志社創立者の新島襄の妻。




 会津藩の砲術師範であった山本権八・さく夫妻の子として誕生。。戊辰戦争時には断髪・男装し家芸であった砲術を以て奉仕し、若松城籠城戦で自らもスペンサー銃を持って奮戦したので、後に「幕末のジャンヌ・ダルク」と呼ばれる。
  
蛇足ながら、
日清戦争、日露戦争で篤志看護婦となり、戦地で看護活動を行ったので、「日本のナイチンゲール」
とも呼ばれる。
2013年のNHK大河ドラマの主役になるそうな\(^^;)...マァマァ
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
ベストアンサーはとても詳しく説明して下さったNO.2さんにさせていただきましたが、新島八重については、とてもためになりました。
まだ先ですが、大河ドラマ楽しみにしてます。

お礼日時:2011/11/15 21:39

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