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うまくまとめられなくて困っています。

ビザンツ皇帝レオン3世の聖像禁止令とトゥールポワティエ間の戦いの二つの出来事を関連付けて、これに相前後するローマ教会のフランク王国への接近について説明せよ。
[字数]120字以上~150字以内
[指定語句]ゲルマン、イスラーム、キリスト教会

A 回答 (1件)

この課題を解くには、西ローマ帝国が滅亡した後の歴史を理解する必要があります。

西ローマ帝国が滅亡した後、西ローマ帝国領内のキリスト教勢力はどうやって生き延びたのか。西方教会と東方教会の関係はどうだったか。西方教会と東ローマ皇帝(ビザンツ皇帝)の関係はどうだったか。西ローマ帝国が滅亡した後、旧領はいったいどうなってしまったか。こういった辺りをしっかり理解していないと話にならない。では聖像禁止令は、どういった影響があったのだろうか。トゥールポワティエ間の戦いの歴史的意義は何ぞや。従来、西方教会とフランク王国の関係はどうだっただろうか。聖像禁止令とトゥールポワティエ間の戦いはそれぞれ西方教会とフランク王国にどんな影響があったのか。そうした問題意識を持ってひとつひとつ地道に調べる努力をしないと1万年経っても論述課題はこなせません。それとも丸投げ・丸写しを一生繰り返すつもりですかな。
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