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若くして母親が死んでしまった女の子がいました。
わたしにとっては、無くなったものは戻ってくると
思っているので、そんなたいした問題ではないと思います。
世の中で金より大事なものは命ですが、共に生きた思い出があれば、
死んだ人の命で悲しむのは葬式で終わりだと思います。
その女の子に同情したほうがいいんでしょうか?

あと、人に死ねって言って本当に死なれた体験をしているのですが、私は極悪人ですか?
それで私がつらい思いをしてきたとしたら納得できないのですが・・・。

A 回答 (12件中1~10件)

 こんばんは。

えっと・・・私は幼いうちに母親を亡くした人間です。「同情したほうがいいでしょうか?」とお聞きになるうちは、何も言わないほうがいいです。社交辞令でいろいろありますので、それを言ってください。
「つらい体験でしたね・・・お悔やみを申し上げます・・」とか、
「まだお若いのに、急な・・・(言葉につまる)」とかですね、そんな感じです。

 そして後半の「死ねといったら本当に死んだ」ですが、これが上の質問といっしょに載せた理由はなんでしょうか?(;^_^A
 もしかして、死ねといったら死んじゃったのは、その女の子のお母さんなんですか?
 だったら、顔を合わせないほうがいいです。
 「私がつらい思いをしてきたとしたら、」というのは、その「死ねと言った人」が、majimekunさんにとても酷い仕打ちをしてきたので、思わずそう言ってしまった。そうしたら、その人は本当に死んでしまった。ということでしょうか?
 もしそうなら、残念ですね。生きているうちに、解決できたらもっとよかったと思います。
 死んじゃうと、生きている人がどうこうできない次元になっちゃうんですよね。
 だから、お母さんが死んだら悲しいんじゃないでしょうか?
 私の母が死んだとき、「でも、これからもお母さんはあなたの中で生きていると思うから」と言われて、私は神妙に頷きながら、心の中で思い切り毒づいていました。
 「馬鹿じゃん?生きていたら歳を取るし、他の思い出がどんどん積み重なっていくじゃない。それがないのが死ぬって事でしょ、このばばあ、頭どうかしてんじゃないの、それで慰めているつもりなの?」って思ってましたね・・←口が悪いのは許してください。
 今ならその言葉の意味はわかるから、その人の言う事で合っていたと思います。でも、死ぬってそういうことでした。母とはちょっとこじれていて、それで私は家に帰るのが辛かったりもしました。でももう、生きた母と会えないのは残念です。いろいろ、やりなおせたり時間が解決したことがあったはずです。
 それはもうできないんですね。だから死ぬってたいしたことなんですよ。皆最後に通る道みたいですけどね。

お葬式で悲しみのをさっぱり終わりにするのがmajimenkunさんのやりかただとしても、その女の子も同じように思っているかどうかはわかりません。「たいしたことじゃないから、悲しむのは終わりにしろ」なんて口が裂けても言わないほうがいいです。

 えっと・・。ま、いっか。ばらしちゃえ。
 私は、母が死んだ時、じつはたいして悲しくはありませんでした。わからなかったんですね。いきなり死んだし・・・。
 私の姉妹も似たような感じで、一番したの妹なんかお葬式のとき、みんな集まってお祭りかと思っていたみたいです。
 そのあと数年して、うちで飼ってた犬が死にました。もうその時は家を出ていたし、私はやっぱり悲しくありませんでした。っていうか、その犬は私の姉妹の犬で、私のことだけは無視していたんですよ!私がその犬をかまわなかったからでしょう。私もその犬はうちにいるただの犬で。
 だから、訃報を聞いてもたいして悲しくないっていうか、そうなんだ、ぐらいでした。よぼよぼの犬で、血統書つきってわけでもないし・・・。
 でも私の姉妹は違いました。皆、泣きましたね。それで、3年かな?4年?たった今でも泣きますね。もっと生きててほしかった、もっとあれこれしてやればよかった、生きているときはああいうことをした、こういう思い出がある、ってよく語り合っています。
 それで、その思い出を大切に大切にしていて、(写真何百枚だか入った、デザインCD-Rをよこすぐらい・・・(-.-;))はっきり言って、母親よりもああだこうだ言っています。
 もし家族に「亡くなった者はもうたいした存在じゃないから」なんて言ったら、死ぬほど憎まれるでしょう。
 それで。私はその犬、たいして好きじゃなかったけど、家族は好きです。だから、犬が死んで私は別に、なんですけど。家族が悲しむのは悲しいです。その人たちが感じている悲しさが、私を悲しくさせるんですね。
 majimekunさんも、もしその女の子がちょっとでも好きで(別に女の人としてじゃなくても)、その気持ちがわかって寄り添えるのなら、そう言ってあげてください。
 同情って、必要のあるなしでするものじゃないと思います。亡くなった人間は、もう生き返らないです。絶対に。
 だから、人に簡単に死ねって言ったらだめなんだと思います。人の命を奪う権利は誰にもないように、そういう「死ね」っていう言葉は、言ってはだめなんです。誰にもそれを言う資格はないから・・。それを言うのは傲慢だから。たとえ誰が相手でも。
 あとからこんな質問をするぐらいだから、そのことはご自分がよくわかっていると思います。
 今後に役立ててください。

この回答への補足

そうかもしれないですね。
でも死より冷たい感情や憎しみにさらされて生きていく
人間が多くいるし、死んだ目をしてあきらめきっている
人々こそ愛情を注ぐべきだと思うのです。

確かに私は悪い質問をしています。
ですが、Yusuraさんのやさしさを感じて
救われる重いです。私の中の悪魔も少し落ち着きました。

補足日時:2003/11/23 22:52
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>私は極悪人ですか?


おエラいことだ。俺って神かい?ってような事を聞いてるのとあんまし変わらない。
たとえ呪い殺したとしても、極悪かどうかは、殺した事実よりも、殺した理由に依るんだろう、と思うかな。
その理由を滅殺せば、自分も含め、誰かを殺す必要は無いから。
>母親の死よりつらいもの
一杯あるだろうな。
でも、そうたくさんは起こらないだろうな。
いや、余り気づかないんだろうな。
知らない方がいいってことかな。
>その女の子に同情したほうがいいんでしょうか?
それは善いコトだ。
でも、それができたら、君は辛いけど、イイんですか?
(このように、イイんですかときかれて、やっぱイヤですって人は、お笑いの世界に生きなはれ。)
同情ってのは、見せる必要は無い。
(同情したフリで、一枚壁を作っていれば、それだけで有害。かな。俺の場合は。そんなのは、存在し無いほうが善い。俺の場合は。邪魔だよ。)
大概、多かれ少なかれ、程度はあれ、人は同情しながら暮らしてます。
同情しようとしながら、生きています。
そんなつもりは無くても、そんなもんで。
・・・・・・・・ 
悲しみに溺れる人は珍しくないが、至福に溺れる者は珍しい。
なんでだろね。
苦が底辺で、至福が頂点なら、そーなるね。
最低にゆくってのはそういうことなのかな。
最低をぶち抜くってのはよくわかるけど、そんなとこに誰も行きたくないよね。
ふつーは。
 
過酷な悲しみに襲われているとき、人の心はむき出しになろうとしている(たぶん)。だから、嘘の同情なんてすぐばれるし、そもそも、そんな嘘にかまってる暇が無い。
暇が無いね、ほんとに。
でも、そんなサイアクどきに限って脱力するんだよね。ずっと張り詰めてたら死んでしまうから。
性(生のシステム)ってのは巧妙だね。
腹立たしいと思われても仕方ない。
心なんて、無けりゃ楽なんだよね。
只生きてるだけで。
 
・・・・・線以上の文を要約すると、個人的にイイことと、善は、観測の次元が違うので、同情は善だけど、同情することが、個人的(相手の人にしてもあなたにしてもどちらにしても)にイイことかどうかというとそんな問いはナンセンス。
そんなものは、ボーリングはピンですか?それともレーンですか?って問いと余り変わらん。
ナンセンス。
この質問が、どういう意味のつもりだったのだろうかは、俺は判断しないが。
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*| 順序がバラバラになりますが、私が一番気になった点から先に―― m(_ _)m


*| (おそらくは、一番『つらい思い』である場所から……)
*|
> 人に死ねって言って本当に死なれた体験をしているのですが、・・・・
―――→
 〔※ 本当に事実はそうなのでしょうか?〕
《自分の気持ち》や《第三者の判断》とは別に、【価値判断を排した事実関係】を
今一度、よく見直してみてください!
この場で語らなくても良いので、まずは整理することです。――

  さて、質問文の最初の段落ですね。

  > 死んだ人の命で悲しむのは葬式で終わりだと思います。・・・・
   ―――→
  同感です。「個人的には」ね。
  人はそれぞれ違った価値観の中で生きていますから……
  ただ「悲しむ」のが終わると、「その人の事はもう考えなくていいか」
  あるいは「悪口を言っていいか」……というと、それは違う気はします。
  詳しくは(話が逸れそうなので)言いませんが……

  その女の子の悲しみが今まだ薄れていないのだとしたら、
  そしてあなたがその女の子に近い場所にいるのなら……
  この質問の通り、悲しむのは葬式で終わりだよと言ってあげれば良いと思います。
  それがあなたの「本心」なのでしたら……。
  形はどうあれ、その子に「心から」慰めてあげてください。
  
  しかし、それ以上に大事な事があります。

  同情とか哀れみを寄せる事ができるのなら、それよりなにより
  その子の悲しみを、解ってあげてください。――
  気が済むまで、泣かせてあげてください。――できる限り!
  ……あとは、時がすべて解決してくれます。

私もそこらの人には言えない程、良心の呵責に悩まされる過去を持っております。
そういった「過ち」は大なれ小なれ、誰しも経験すると思うのです。
前に進む為にも、そういったものには振り返りたくもないものですが、
残念ながら、人の過去は忘れたくても体に染み付いて離れないものです。
たとえ表面的な記憶はごまかせても、この先もその人の一生を左右し続けるでしょう。
そのことに変わりはありません。――

自分が善人だとか悪人だとか言う前に、今!これからの人生を「善く」生きてください。
他人ながら、ココで会ったが(?)何かの縁。
これからの人生を、ど~かお幸せに……★★  (^・^)/~~
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>わたしにとっては、無くなったものは戻ってくると


>思っているので、そんなたいした問題ではないと
>思います。

問題の第一はここですね。
あなたの考えていることが、本当に真実なのでしょうか?
また、あなたの考えていることと、知人との考えが本当に
一致しているのでしょうか?


>世の中で金より大事なものは命ですが、共に生きた思い出
>があれば、 死んだ人の命で悲しむのは葬式で終わりだと
>思います。

もっと人間をよく知らなければいけませんね。
あなたにとっては、葬式で終わりというのが人の生命の価値
かもしれませんが、そう考えていない人が多くいるのも事実です。

たとえあなた自身が、「人は死んでしまえば終わり」と考えて
いても、そう考えていない人のために、表面だけでも相手を
思いやって、同情の言葉をかけるのが、礼儀というものです。

もう一つ言えば、本当に人は死んでしまえば終わりなのか
という哲学的・宗教的な問題があります。
あなた自身は無神論者かもしれませんが、無神論または
霊魂が存在しないということは、科学的には証明されていませんし、
また科学で証明することもおそらく不可能でしょう。


>あと、人に死ねって言って本当に死なれた体験をして
>いるのですが、私は極悪人ですか?

これは、よくありませんね。
なぜかと言えば、人の世というのは、多くの人がつながり
あって、成り立っているからです。
あなた自身は知り合いの一人か二人死んでも、何とも思わない
かもしれませんが、その死んだ人の家族・また本当に親しい
友人からすれば、その人の死は一生心に残るほどの傷跡と
成りかねません。

人と人はつながりあって生きている。
このことを、例え頭の中だけでも、理解しなくてはいけません。

人に日頃から親切にしていれば、いつかはめぐりめぐって
あなたが人から親切にされます。
また人に迷惑をかけ続けた人は、いつかは相応の報いを受ける
でしょう。
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>その女の子に同情したほうがいいんでしょうか?


私は,私と感じ方が異なる人のことを理解するのは難しい。
例えば,私はどんなときにでも他人から同情されたくないと思いますが,そんな私を同情したがる人の気持ちは分かりません。
私は同情しません。しかし,変な対応をしてその女の子から恨まれたくない。
よって私の場合は,出来るだけ女の子から離れているようにすると思います。私はずるいのかもしれません。

>人に死ねって言って本当に死なれた体験をしているのですが
私は他人に期待しません。私の言動が他人に影響を与えたと考えるのは,自分にも他人にも期待しすぎだと思います。
また,「つらい思い」は「させられた」ものではなく,「した」ものだと思います。「人に死ねって言って本当に死なれた」と自分で解釈して自分でつらい思いをしたのだと思います。
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極悪人かどうかはわかりません。

死ね,というのは言ってはいけない言葉ですが、死ね、と言われて死ぬ人ももいけないです。自分の命は自分のものという観点からも,人は生かされているという観点からも,自殺はいけません。あなたがつらいのは当然です。死んでしまった人はもうそれ以上傷つけることも,仲直りすることも出来ません。許されることも許すこともできません。冥福を祈るだけです。
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別に極悪人じゃありませんよ。

死には、3タイプあります。一人称の死、二人称の死、三人称の死です。例えば、誰かが死にました。これが親なら、あなたは冷静ではなく、死を受け止められず、その死体を焼くことさえ、納得できません。これが二人称の死です。これが三人称なら、死体を利用して、移植の道具にしたり利用できる死という概念を作ることができるのは、三人称の死だけです。友だちの母親の死は、あくまでも三人称の死であり、たんなる事として、あつかえます。こうする心理的抑圧することのよって、日常生活をおくれるのです。これを、二人称の死として、受け止めたら、悲しくていきていけません。
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昭和12年生まれの義父が長患いの末亡くなりました。

せめて死に目には合いたいと妻は常々言っておりましたが、かないませんでした。

>死んだ人の命で悲しむのは葬式で終わりだと思います。

それはあなたの考えであり、亡くなった母親に対して感情いだくのは女の子なのです。そこを混同してはいけないと思います。

>その女の子に同情したほうがいいんでしょうか?
善悪の問題を聞かれているとしたら、それは善悪の問題ではなく、あなた心次第としか答えようがありません。
もし、態度の問題を聞かれているのなら、そっとしてあげるのが良いでしょう。
私の場合は義父が亡くなったことに対して妻への同情という感情薄く、こちらから義父の件は切り出さず、妻からの話をただ聞きうなずくだけでした。

>あと、人に死ねって言って本当に死なれた体験をしているのですが、私は極悪人ですか?

因果関係あれば、反省しなければならないでしょうね。極悪人とまでは言いません。状況によってはそんな感情をいだくことはありますから。ただし、感情をいだくのと面と向かって言葉にするのは大違いですが。

>それで私がつらい思いをしてきたとしたら納得できないのですが・・・。

自己矛盾を含んだ内容ですね。
良心がなければカエルの面にションベン(下品?)でつらい思いもしないはずです。喜怒哀楽というものは納得するものではありません。ただ受け入れるものです。

私は20代に「あなたは純粋すぎて、ひとの心を傷つける」と言われたことがあります。その言葉でわたしは傷つきました。結婚し、子供をもち、病気になり妻と家族に迷惑を掛け、やっとその言葉の意味がわかりました。簡単に言えば純粋だけど相手の気持ちや感情に鈍感だったわけです。

>魂はずたずたにされたくないです。

あなたがそう思っているように、誰しもそう思っているのですよ。そこを理解してください。
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いっぱいひどい事いってごめんなさい。


きついことを書いたなと、no1を書いてからそう思いました。
2の方のようにきちんといろんな状況を理解することすらもなしに、感情に走りました。
昨日もそういうことをするのはやめようと思っていたんです。
でも、愚かなのは私自身でしたね。
これからはなるべくやめますから、
あなたの言う人間への愛情とっても大切だと思います。尊いものですね。

余計なおせっかいをもうひとつだけ良いですか?
あなたの魂はずたずたにはならないです。
あなたにはやさしさがあるからです。
だから御自分が傷つくような事はやめましょう。
もし大切な人がいたら、その人と生きてゆくことを考えてください。そう心から願います。
あなたのやさしさは強さにもなります。
>人を守るために心臓をぶっ刺される覚悟はあります。
もしも、あなたに大切な人がいるなら、一緒に生きていってください。
私は血の気の多い馬鹿ですが、大切な人が傷ついていたら本当に悲しいんです。
悲しくて泣きます。勝手ですが。偽りはないですよ。
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1です。


>確かに余分な人間だと思います。
多くの女性は私は結婚というものには、
無縁であって欲しいと思っているでしょう。

別にそうとは限りませんよ。
きれいごとを言うわけではありませんが、
あなたのこれから、そして今が大切だと思いますよ。

あなたが余分な人間だって言うならば、私だって余分な人間ですよ。
特別、なんの役に立っているのかは疑問に思うことだってあることはあるし。失敗したことも後悔も死ぬほどありますよ。
自分の失敗やずるさや馬鹿さ加減が嫌になることだってありましたよ。
逃げ出したいけど逃げられないですし。
自分に未来があるなんてずうずうしいかもなんて思うほどの失敗もありますよ。
そして、それに対して今思うのは第一に懺悔です。

自分を未来につなげたいと思うのはずるいことかもと思うこともありますよ。
でも、どうにも出来ないんです。
これからも人をを傷つけたり失敗したり確実にすると思います・・・。
わたしは今までなあなあで来て、ここに今いるのかもしれませんがこれからは何とか自分の愚かさから来る失敗は減らしたいのです・・・。
人生、大成功はしなくていいけどマイナスで暗くて悲しいそして馬鹿なままでは嫌なんです。(わたしの事ですよ。)

結婚のことが補足にあったので書きます。
>多くの女性は私は結婚というものには、
無縁であって欲しいと思っているでしょう。
中にはそういう人もいるかもしれませんが、
あなたの今までやこれからを大切に思ってくれる女性だっているかもしれませんよ。
もしも、これから、今でも、あなたのことを大切に思う人が
>確かに余分な人間だと思います。
と、あなたが思っているとしたら悲しみますよ。
それこそ悲しみです。
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この回答へのお礼

ありがとう。
こういう質問を見て憤りを感じて通り過ぎていく人が
いっぱいいる中で、ありがとうございます。
あなたの言うとおりです。

お礼日時:2003/11/23 23:50

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