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よくモーツアルトの凄さを表す際のエピソードとして
楽譜にほとんど直しがない
つまり楽譜を書く時点で頭に完成品としての曲が出来上がっていて
あとはそれを楽譜に書き写すだけだった
のようなエピソードを聞くのですが
やはり楽譜を手直しせず一発で曲を書き上げるということから考えても
他の作曲家より凄いのでしょうか?

もしそうだとしたらモーツアルトと並び賞されるような作曲家は何人かいますが
その中でも曲を手直しせず一発で書き上げるモーツアルトはやはりその上をいっていたのでしょうか?

それとも楽譜を手直しせず一発で曲を書き上げたのは
映画の早撮りのように(どちらがいいか悪いか凄い凄くないではなく)
性格的な面や単に作曲のスタイルが違っただけなのか

なにか思い当たる方、お教えください。

A 回答 (4件)

ある程度形態が決まったなかで作っていたというのはありますかね。

似ている(といっては失礼ですが)ものもありますし。

しかし、ラヴェルは厳格な形式を決めて作曲していましたが何度も書き直しています。
そのせいか曲数は少ないですが似ている曲はあまりなく素晴らしい出来の作品を残しています。
どちらが素晴らしいというわけではありませんが。
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さっきの回答の付け足しですけれど・・・、


古典音楽の作曲技法に忠実に作曲しなおかつそれが新しい曲であるというのは至難の業です。
モーツァルトの時代ですら、
古典音楽の作曲理論通り作曲できる人は宮廷作曲家でもないかぎり非常にまれでした。
現代でもよく作曲技法に縛られるのが嫌だといってリベラルな音楽と称したものを作りたがる人がいますが、はっきりいって作曲技法道理に作曲できない人たちの逃げにすぎません。
本当に古典音楽に精通している人たちにとっては、ドビュッシーであれラベェルであれロックですら
かったるくて安易すぎて聞けないのです。要するにそういう音楽はあまいのだということです。
モーツァルトの模倣をしてモーツァルトもどきの曲を作りたがる人も星の数ほどいてそういう音楽も巷にあふれかえっていますが、どれもこれもモーツァルトとは似ても似つかない3流以下の曲です。
ほとんどの人がモーツアルトという人は惰性で曲を作っていたかのような勘違いをしていますが、
惰性で作られた音楽ほどつまらないものはありません。いとも簡単に展開や次のフレーズを予測できるからです。モーツァルトの楽曲はそう簡単に次のフレーズが予測できるような安易な曲ではありません。
しかし、実際に次のフレーズがやってくるとそのフレーズ以外は考えられないほど完璧な調和と整合性が
感じられます。展開部の最初の動機も非常に斬新です。正統派の古典の楽曲でありながら新鮮に聞こえなおかつ心地よい調和に満ちている驚くべき完成度の曲だというのがモーツァルトの楽曲です。実際にモーツァルトの愛好家に聞いてみると60年以上モーツァルトの曲を毎日聞いても飽きないそうです。
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モーツァルトや古典音楽に関して間違ったイメージが先行しているような風潮がありますが、本当の意味でモーツァルトを理解するには専門的な研究が必要です。

ただ、はっきりしていることは、すでにモーツァルトの時代に古典音楽というのは行き詰まりつつあったということです。すべての、楽曲
にする際の動機は使い尽くされ、新たな旋律を作り出すことは至難の業だった時代・・・。モーツァルトはそういう時代によどみなく作曲をしていた驚異的な人物です。しかし、世間が思っているように思いついたメロディなどをそのまま何も考えずに紙に書いていったのではないということははっきり言えます。
最初の動機からつなぎにどの音域をとって、展開部の問題解決、終盤のフレーズまですべての曲想を頭の中で全部組み立ててから練りに練ってスコアにしていったと推測されます。しかも、新しい旋律でなければならない。こんな至難なことをよどみなくできるなんてことは凡人にはできません。モーツァルトは
30代の若さであったにもかかわらず、作曲に関してはしたたかな超絶玄人であったと思われます。
彼に匹敵する作曲家はちょっと思い当りませんね。私の個人的な意見ですけれど、ベートーベンの
ナポリの音階もモーツァルトが作曲上のヒントを与えた結果だと考えています。室内楽など割とベートーベンが若かったころからその音階が使われているので・・・。
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まさかそんな。



モーツァルトが早筆だったのは、「それ相応」の・・あまり熟考したり紆余曲折せずとも作れたり、量産出来たりするタイプの曲だからですよ。つまり理由は「音楽そのものの性格的な面」ですね。
それは曲を聞けば一目瞭然だと思いますし、そういう点においてはどの作曲家よりもモーツァルトが最も際立っている・・・もしかしたら西洋音楽史上一番と言っても過言ではないかもしれません。それくらいモーツァルトは単純で、西洋のある一時代の表現法だけに収まった表現の幅が狭い音楽なのです。
それがピンとこないからご質問なさっているのかもしれませんが・・・おそらく音楽理論や作曲というものを多少考えたことがある人なら、それは見るからに解るものだと思います。

近代音楽のドビュッシーやラヴェルなんかはとても精緻で複雑な音楽を作ることで知られていますが、あんな音楽はとても一昼夜では作れないですよ。モーツァルトも含め、誰だってああいうタイプの曲を作ったらかなりの時間と思考的労力を使うと思います。
例えば、モーツァルトの音楽を「黒いアイテムに黒いアイテムを合わせるだけのシンプルなファッション」とするなら、ドビュッシーは「見たことも無い服をゼロからデザインし、素材から作製して、裁断・縫製して、コーディネイトまでするファッション」くらいの違いと考えてください。表現の幅が広がり選択肢が広がれば、それだけちゃんと頭と労力を使い選択しないといけませんが、「この枠内で」と予め決められた狭い中で最良な選択を探すことは、とてもラクなものなのです・・・いわばこれがモーツァルトです。


特にモーツァルトなんかには、ご質問で触れられているような上辺の逸話だけが一人歩きして、本当に音楽も何も見えていない人達の間だけでやたら過大評価されるということは、よくあることのように思えますね。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。

服の例えめちゃくちゃわかりやすかったです。

そういう事だったんですねよくわかりました。

自分もクラッシックの事をあまり知らないので
ご回答で指摘されているような過大評価を鵜呑みにしていました。

具体的にはモーツアルトは右脳が凄く他の作曲家とは違う
だから楽譜の直しもせず早書きできるのだと思っていました。

しかしご回答者様のご回答を伺って認識が改まりました。

本当にありがとうございました。

お礼日時:2011/11/21 20:21

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