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最近ちょっと考えたことがあるのですが

自分が死ぬということは非常に怖くないですか?

死ぬ寸前までは、今のあなたの自我があるでしょうが、

死んだ瞬間以降にはなんの意識も保てないのですよ?

死んだらそれっきり、なんの想像も思考もできない。

一生意識がないという状態を強いられることになる。そこから抜け出せなくなる。


死後にはなんの保証もない。

もう一度生きるという行為そのものができなくなる。

一生そのまま、未来永劫に何も出来ないまま、永久に意識がなくなる。

あなた自身の中でよく想像してみてください。

これってすごく怖いことではないでしょうか?


私は想像してたら身のよだつような鳥肌がたってしまいました。
日頃の忙しさに忙殺されていたからあまり深く考える機会というのはなかったのですが
改めて考えてみると恐ろしいです。

よければ何がしかの意見を教えていただけると幸いです。

A 回答 (19件中1~10件)

人間には絶対に入ることが出来ない領域に、入るだけの事です。

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30代男性です。


小さい頃にそういうことを考えたことはありますね。
いろいろ考える今の自分が、死ぬと今のように考えることさえできない、ってのは
どういう世界なんだろう、と考えることさえ、できない、、、 以下無限ループで
気持ちが怖くなる。

結論として 誰もが経験するのが死、なので、自分だけこんなことを
考えているわけではない! と思って考えるだけ無駄。という結論にして普段
意識しないようにしています。
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そりゃ怖くない人は少ないでしょう。


しかし生きている者には必ず死が訪れます。

自分もふと考えます。
生まれる前の記憶があるのかと…多分あの状態に戻るのです。

自分は生まれ変わりや死後の世界は信じてないですが、
自分が無になるってのもそんなに悪い事ではないのではと思います。
意識も綺麗に消え去るので、死後の事を心配する必要は無いでしょう。

この世はまさしく「うたかた」なのでしょう。

避けられないなら受け入れるしかないでしょう
どう足掻いても避けられないのですから。

逆に絶対死ねないってのもかなりの苦痛だと思いますよ。

もし耐えられないなら、残る道は「宗教」しかありません。
本来宗教は死への恐怖を和らげるって目的もあるのだと思います。
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家族の死やペットの死を身近に見て来た人には、喪失感のインパクトが大きいです。



自分の存在が無になる時はそれは大きいし、家族にその喪失感を与えてしまう事も畏れます。

しかしそれはいずれは誰にでも来る事だと思えば、後はタイミングだけです。

テロや事故で即死なら、痛みを感じる暇もないけれど、残された人には気持ちの用意ができない。

寝たきりになってもさらに10何年も意識も朦朧としたまま生きながらえても、体は言う事を聞かないし苦しいし、家族に迷惑がかかる。

自分では予告を出して、生前葬式も出して、しっかり人生を終えたいと思いますが、それがまた違法なんでしょうねえ。

残り何年とわかっていたら、怖くないと思いませんか。
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 一度死ぬかなという経験をすると死に対して考えて、そして不思議と怖いという感覚が減ります。

そして生きていると言う事も感じられます。

 現在、子育てで大変なことに成っていて、ふらっとトラックの前に出ようとしたこともあります。不思議と死の恐怖なんて無いんですよ。さすがに危ないと思ったのか踏みとどまりましたが、ああ、こうやって電車とかに飛び込んでいくのだなと理解しました。

 オカルトも好きなので、死後の世界とかも興味もあります。そういった知識もあり、死に対しては受け入れることが出来るようになったのかなと。

 私自身は高熱で長期入院し、もしかして死ぬのかなと恐怖しましたからね。でも、生きている事を考える事が逆に死に対しての恐怖も減らしたのかなと。
 
 自然の営みの中の現象の一つ。人間生きようとすると、死にたがり、死のうとすると,生きたがる。本当に難儀な生き物です。でもその中に神の力が入っているのかなと。
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死ぬことは、怖い。




そうですよね。
ほかの方も書かれてますが、死よりも、その過程が怖いのかもしれないですね。
迫りくるもの………
と思いますが、私は違いますね。
死に向かってみんな生きてるんです。
生まれた瞬間から、
死に向かうんです。
じゃなんで、生まれてくるんでしょうね(笑)ここ、おもしろいなぁ、とおもいますねぇ。


なぜ死が怖いか?
これは簡単…
誰にも感想が聞けないから。
注射なら、こんな針で、こんな痛みでって想像ができて、体験してまたひとに伝えることができるけど、
死んだら伝えられない。
そこに恐怖がうまれますね。


ただね、
もう死ぬときって、
世の中のすべてがきれいに見えるんですって。こんなにきれいな世界に生きていたんだって知るんですって。
だから、生まれてくるのかもしれませんね。
感謝を知るために?


死って沢山のメッセージがあるものだとおもってます。
数百人の死を見送っておもいます。
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50才になって 時々思うのです


あと 何年生きられるのかな・・・って。
あと 20年か30年位たった頃には
私はもう存在していないんだろうなと。
そう思うと 怖くもあり 死にたくないとも思います。
今まで 何人も親戚や 友人を見送ってきましたが
自分にいつかは来る死を どう受け止めるのか・・
見送るたびに そんなことを考えてしまいました。
でも いつかは 受け止めなければいけない。
若い時は そんな事 考えもしなかったのですが
自分が中年になり どう死ぬか・・・ということも
考えるようになりました。

家族には 迷惑だけはかけたくないです。
痴呆になって 迷惑かけるぐらいなら
心臓発作とか 脳溢血で ぽっくり死にたいですね。

闘病して 死への恐怖に怯えながら死を待つよりも
長生きして 家族に世話をしてもらいながら死を待つよりも
ずっといいと 思っています。

明日 死ぬかもしれない・・・
でも もう少し 生きていたいです。
まだ  死への心構えできてないんで・・・。
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私の場合ですが、死して意識が無くなる事自体が怖いのではなく。



死ぬことで、好きな人達に会えなくなる。または、好きな人達の前から消えてしまう。好きな事が出来なくなる。愛する人と時間を共有できなくなる。事は怖いです。

だから、人は生きているうちに自分の痕跡、思い出、存在の証を残そうと一生懸命になれるのではないでしょうか?


限られているから充実し、また充実した時間を過ごしたいと思います。


そして、生きているうちは出来るだけ自分の死と言うことに対して忘れていたいと思う。


宇宙の成り立ちを考えるに等しいくらい難しい問題でした。

自分の死期は知りたいと思います。死に際はしっかりとした頭で布団の上にきちんと座って死ぬのが 、私の死する瞬間の目標ですが、難しいでしょうな。
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生まれたら死ぬんだから、それはしゃーないですよ



少なくとも牛や豚や鶏や、お魚みたいに
食われるために生まれて死ぬんじゃないんだから
ええと思いますけど

これでもか!な感じで生きて、100歳超えても
「死にたくない」って言って死にましょう
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自分が死ぬと意識がなくなる、何も出来なくなる事が怖いなんて全く思いません。


恐怖を感じることも出来なくなるのですよ。
4の方が仰っていますが、毎晩眠ると意識がない状態になります。
目覚めるから恐怖心があるのです。

全身麻酔の手術をしたことはありますが、麻酔をかける前は物凄い痛みと恐怖感はありましたが眠ってしまうと全く記憶無いですね。
感覚的にはうたた寝のような感じで、目をつぶってほんの数十秒みたいな。
手術後無理やり起こされましたが、出来れば起こして欲しくなかったです。
麻酔が完全に切れると切った痕が物凄く痛いし鎮痛剤あまり効かなかったし。

死の瞬間は意識がない死因のほうが多いような気がします。
突然の事故死でも入眠の瞬間を覚えていないように死の瞬間も覚えられないし、その後の感情もなくなります。

ただ、自分の抜け殻を他人にアレコレといじられるのは嫌ですね。
特に抜け殻でも裸体を見られるのは嫌。とっとと火葬して欲しいです。
葬式も死んだ自分にとっては意味が無いと思っています。
遺族の自己満足程度にどうぞと。


自分が死ぬことよりも他の何かが命をなくす瞬間のほうが怖く感じます。
ペットを飼っていて何度もその瞬間を看取ったことがありますが、怖いです。
そしてとても哀しい。
思い出すと言葉に出来ないくらいの暗い感情の穴に落ちていってしまいます。

ある飼育書を読んだら動物は死は怖くないとありました。
人間は余計なことを考えるから死を恐れるのだと。
動物にとって捕食者は確かに怖い存在ですけど、恐れているのは痛み苦しみだそうです。
猫の飼育書では死に際に隠れるのは、自分の遺体を隠すためではなく、静かな場所で休んで自分の体力を回復させようとしているだけだそうです。
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