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江戸時代から明治時代に変わったとき、
天皇、貴族、大名、庶民の立場に変化はあったのでしょうか?
わかる方、どのように変化したかもお願いします><

A 回答 (2件)

 江戸時代までは、天皇は征夷大将軍任命などの「権威」であり、貴族はそれに準ずる立場でしたが、政治的には実権(権力)を持っていませんでした。



 明治期になると、法的に実権を持つようになりました。立憲君主制で、専制政治ではありませんが。

 天皇は形式的には、日本の統治権者。最高権力者。

 貴族は、枢密院(元老)や貴族院を通じて政治に参画できる立場になりました(元大名など新生貴族も同じ)。

 大名クラスは、版籍奉還で領主の地位は失いましたが貴族、つまり公、侯、伯、子、男爵のどれかに加えられ、元領地の知事や貴族院議員などになりました。

 つまり、領主ではなくなったものの、支配的官僚として一定範囲を統治しつづけ、報酬・給料を得られました。

 一般の武士についてはお尋ねではないですが、俸禄を受け取る権利を失い、代わりに国債などをもらって庶民へ格下げですね。

 国債を売って、それを元手に商売などに手をだしたものの、「武士の商法」という言葉がありますが、そういうことをやって大半は没落。

 旧藩などでまとまって、北海道などへ移住した武士階級もかなりあったようです。

 一般庶民は、とりあげて書くほどの変化はありませんが、庶民階級でも特に優れた人たちは経済力を持ち、衆議院の議員や地方議会の議員となって政治に参画できるようになりました。
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>天皇、貴族、大名、庶民の立場に変化はあったのでしょうか?



天皇・貴族は、特権・利権が増えました。
幕末に(岩倉具視に暗殺されたとの説がある)孝明天皇によって「朝敵になった貴族が、復権」しています。
明治新政府に重役になった公家は、多くが孝明天皇によって「朝敵・逆賊」になった者達です。
大名にとっては、特権・利権が(1945年まで)維持されました。
国政に参加する事が出来なかったのですが、国政に関与する権利を得ましたしね。身分の保証も、爵位で続きました。
五箇条のご誓文「広く会議を興し、万機公論に決すべし」にも、公家・諸侯・藩士で会議をして決めよう!と述べています。
庶民にとっては、幕府・大名から新政府へ支配者が代わったに過ぎません。
(五箇条のご誓文の)「この広く会議を!」には、一般庶民は含まれません。翌日だされた「5榜」では幕藩体制の庶民統治政策継続を公言しています。
例外的に、一番苦労したのは「足利家・明智家」なんです。
幕末までは、各大名・旗本などから尊敬の念を受けていたのですからね。
ところが、明治政府になって「足利家は、天皇に弓をひいた」として逆賊扱いになりました。
明智家も、謀反をおこした大罪人としての扱いとなりました。
足利家は、爵位を授かる事が出来ませんでしたよね。
京都・時代祭りでも、室町時代が行列に入ったのは最近の事です。

余談ですが・・・。
数年前から、庶民の定義が変わった事をご存知ですか?
(当時の)海江田経済産業大臣が国会答弁で述べています。
「年収1200(1500?)万円は、決して金持ちでない。庶民だ」とね。(子供手当て支給に条件を設けない理由)
私なんか、民主党公認の「超貧乏人」となりました。
「早く、庶民に成りたい!」(笑)
妖怪人間ベム・ベラ・べろが人間になるのと、私が庶民になるのは・・・。
どちらが、早いのでしようかね?
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