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「何故、世の中ではこうも理不尽な事件や事故が起きているのか?」まともな知能
と良心がある人なら誰でも考えたことがあることだと思います。私も日々考えてお
ります。話し出せばきりがありませんが、結論だけ言わせて頂きますと、やはり、
宇宙法則が不完全だからではないかと思います。
皆様のご意見をお待ちしております。

A 回答 (24件中11~20件)

まともな知能や良心を持ってない理不尽な人間が居るからです。



宇宙法則が完全だからその理不尽な報いがもたらされるのです。

ただ、その報いがすぐに出るとは限りませんので、見かけ上世の中が理不尽に見えるのです。
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宇宙法則に間違いがあるならば、我々は存在しません。

何ら間違いがないからこそ、秩序だった動きがなされているのだと思います。不完全なら、我々は」存在しません。結果から考えれば、答えは自ずから明らかだと思われます。
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「宇宙法則」って何ですか?


(と問い返した時点でダメでしょうか?)

理不尽なことといったら、もちろん、人生そのものも
ある意味、理不尽の塊みたいなものです。
だれも、望んでこの世界に生まれたわけではないのですし。

ただ、奇妙な事件が多発したりするのは、社会システムに
問題がある等というレベルの話題かもしれません。
そういうことであるなら、システムを変えよう、という
ムーブメントにつながるべきであって、
宇宙法則とか大仰な話で、あきらめモードに入ってしまう(?)
のは、とりあえずケッコウなことではありません。

...問題のレベルが違うのであったら、すみません。

「宇宙法則が不完全」とは、要するに世界そのものを否定する、
という意味だと思ったのですが、
でもひょっとして、遺伝子組替えとか、超人思想とか、
そんな感じの話題ですか?
つまり、宇宙法則vs.人間 という構図で捉えているんでしょうか?
新しい人間になって、「宇宙法則」を乗り越えよう、というような...
(それとも、やっぱりこんな考え、大間違いですか?

何にしても、「宇宙法則」の内容がよくわかりません。
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1)まともな知能と良心がある人なら誰でも考えたことがあることだと思います:



思ったことないです。大体「理不尽」て何でしょう?「良心」て何でしょう?
別に知能と良心がない人間とのレッテルを貼られても構いませんが...。

2)宇宙法則が不完全:

意味が分かりません。では「完全」とは何で、「不完全」とは何なんでしょう?

3)逆に質問ですが、あなたは何か物を食べて生きていますね?菜食主義者ですか?多分違いますね。肉も魚も食べている。直接手を下した訳ではないが、知能のそこそこ高い哺乳動物を・解体した肉を平気で食べているんでしょ?仮に菜食主義者だとしても、植物も生命を持っています。この生命の犠牲の上にあなたの生命がある。人間だけが数を増やし、生態系を破壊し、他の動物を絶滅に追いやる。これは理不尽ですか?それとも理不尽ではないですか?
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NO.3で回答したNickeeです。


補足の内容を読むと、どうも、考えが行き違いをしているようなので、もう一度、書かせてもらいます。別にケンカを売っているのではないので、あしからず。。
 正しい、正しくないというのは、だれが、決めることができるということを言いたいのです。犯罪者の立場からすると、どれだけ苦しんできて、精神に異常をきたし犯罪にいたったのか。。犯罪になるとは思わないで、面白半分でやってしまったことが犯罪につながってしまったとか。これは一概に犯罪者が悪いといえるでしょうか?世の中はこれが、悪いと決めつけているわけで。。
 他に不当に苦しんでいいわけではありませんが、そこに獲物がたまたまあったから、狩っただけ。これは、弱肉強食の世界と同じじゃないですか。

>総合的に、究極的に何が正しい、間違っているとは言えないのではないかという考え方はあるかもしれません。
しかし、部分的なことが間違っていて(不当)、総合的には正しい、究極的には正
しいというようなことがあるでしょうか。そんなことがあるとすれば、それこそ
他が不当にどれだけ苦しんでもよいとする、自己中心的な存在を認めることにな
るのではないでしょうか。

ここでの自己中心的な存在というのが、よくわかりませんが、もし、これを人間にたとえているのならば、認めているはずがないのではないでしょうか?社会によって。。。そういうシステムになっているじゃないですか。まあ、今の法律は、必ず勝ち負けをつけたがるから、おかしいと思いますけど。

 あと、自分中心というのは、今の世の中の道徳観念とかに標準をあわせているのではないかということです。倫理、道徳などは、人間が社会システムが成り立つためにつくられているものですから。。。(これは自分の考えなので、あっているかわかりませんけど。)
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宇宙法則が完全であるかないかについて、判断を下せるかどうか?


それがそもそも問題であるような気がします。
それはなぜかというと、我々人間の中に宇宙の全てを知るものがいないからです。
ですから、ある人から見れば、戦争や殺人の起きる完全なる理由を解説できるかもしれませんが、
別の人から見れば、それは不完全なる理由にすぎないかもしれません。

と大仰な前置きはこのへんにしますが、僕の個人的な観念から導き出される部分では、
戦争や殺人は悲しいことに必然です。肯定するつもりではないんですけど。

人間には天敵が、微生物(病原菌、ヴィールス等)くらいしかいません。
他の動物と比較しましたときに、なんとも安穏とした環境にいることやら。
で、地球上で人間の行動範囲外になっている場所なんて探すのが大変なくらい
地球上にはびこっております。おそらく、地球環境に一番影響を与えられる
生命体が人間でしょう。にもかかわらず、人間をとりまく環境は安穏として
おりますので、なかなかに、淘汰される作業が起こらない。
で、殺人や戦争などの不条理なことというのは、唯一残された淘汰過程なのかもしれません。

なお、どこかの社会学者が「都市が密度を増すと、ストレス要因が増え、犯罪が増加する」
とかなんとかいってたと思います。統計的にもデーターがあるとか。
さてと、このような視点で観察したときに、これはこれで整合性を持つ「完全(っぽい)法則」
として聞くこともできるでしょう。まぁ、どっかに穴はあると思いますが。

悲しいことではありますが、世界が世界として機能するときには、生命をもつものとして、
また、物理的に存在するものとして、存在する以上、物理法則による破壊はまぬがれません。
んで、生命を保つためには、他の生命体を補食することを避けることはできません。
「その部分が不完全だ」と言われてしまうと実も蓋もなく、「そうかもしれません」
と言わざるを得ませんが、その部分を肯定するのであれば、生命が淘汰されるプロセス
として、質問に挙げられているような不条理も飲み込まざるを得ないのではないのでしょうか?

個人として考えたときに、質問にあるような不条理な出来事に対する憤りを感じるのは
僕とて同様ではあるのですが。

参考になりましたら。
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 えと…「たとえ不完全でも完全」って、ここだけ見ればたしかに矛盾した言い方です。

でも、その後の一段落で説明したつもりでした。もう少しわかりやすく説明してみます。
 仮に、この宇宙の法則が現に不完全だとします。しかし、われわれ人間にとっては、この宇宙の法則こそが「すべて」なのです。人間にできることは、この宇宙の法則を認識することだけであって、この法則に拘束されている以上はそれが不完全であってもその「不完全さ」を示すことはできず、ましてや宇宙の法則を作り変えることなどできるはずがない、ということです。つまり、「たとえ不完全でも完全」というのは、たとえ宇宙の法則が不完全に創られていたとしても、人間にとってはその不完全さは認識されえないので、完全なものと見なさざるをえない、というほどの意味です。

 でも、宇宙の法則をコンピュータのプログラムのように捉える考え方というのは面白いですね。私も考えたことがあります。ここ哲学カテゴリーでもたま~に引き合いに出される、P・K・ディックの『ヴァリス』が思い出されます。
 もしかしたら、この宇宙は超越者によるコンピュータ・シミュレーションによって映ずる幻のようなものなのかもしれない。その超越者がちがったプログラムを組めば、またちがった宇宙が創造されるかもしれない。…みたいな。
 しかしながら、このように想定しても、われわれ人間もまたプログラムによって生じた幻の一つにすぎないことになりますから、やはりプログラムの不完全さを認識することも、それを書き換えることもできないでしょう。結局のところ、与えられた宇宙の法則、この限界内で生きていくしかないということになると思います。

この回答への補足

宇宙の法則を変えるなんて、突飛な話でとても出来そうにもないでしょう。
しかし、全てを知ったわけでもないのに出来ないかどうかを言うことも出来
ないのではないでしょうか。この宇宙には、まだまだ我々が知らない法則、
最善に活用されていない法則があります。この宇宙法則というものは、
まるで誰かが考えて用意していたかのように、我々は活用することができ
ます。これはすごく神秘的なことです。一見、宇宙の法則はすばらしいかの
ようです。しかし、実際にはその宇宙に住んでいるものは全て幸せではあり
ません。ですが、これらの法則をよりよく活用していけば、世の中はもっと
もっとよくなり、結果的には天国のような世界が実現されるかもしれません。
でも、それは管理するものが何らかの理由で揺らげば、いつ崩壊するか分かり
ません。なぜなら、法則よりも法則によって作られたものの方が壊れやすい
ですから。そして、この宇宙はどこから来て、どこへ行こうとしているのか、
どんな目的があるのか、ないのか、わかりませんが、今の世の中の流れを見れ
ば一応はいい方向に行こうとしているようには思います。それは、宇宙の意思
が働いているのかもしれません。しかし、そうだとするならば、その過程で何
故このような不幸がなければいけないのか、最初から完全なものを作り出す
ことはできなかったのかと思うわけです。

補足日時:2001/05/10 02:55
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>「何故、世の中ではこうも理不尽な事件や事故が起きているのか?」



確かに痛ましい事件は多々起きています。しかし理不尽でしょうか?

結論からいえば、善と同様に悪があるのは、宇宙が完全だからです(笑)

世の中に善だけがあればいいと考えることこそ理不尽であり、
世界の半面を切り落とそうとする不完全化の試みなのです。
お分かりですか?

この回答への補足

全くわかりません。詳しくご説明願います。

あなたは、半分腐ったものを切り落とさず全部食べますか。

補足日時:2001/05/10 02:46
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お気持ちはよくわかります。

私も同じようなことを考えていた時期がありました。

私にとってのブレイクスルーは、存在を存在として認めることから全てが始まるのだ、という視点でした。

宇宙法則が完全か、不完全か、という問い自体が誤っているのです。「宇宙法則の完全性」を問うための善悪判断や審美の基準が先にあるのではありません。「宇宙」が先に存在し、その宇宙の振る舞いを観察した結果として「法則」が存在し、それを認めた後で初めて人間の価値判断が可能になるのです。

「われ思う、ゆえにわれあり」といったデカルト的世界観に代表される西欧思想、思念や観念が存在より先にあるという思い込みが、「宇宙法則」の完全・不完全を問うような誤謬の根本にあるのかもしれません。

東洋的な発想では、まず世界があることを直視する。人が善や悪を感じたり考えたりする前に世界は存在する。そこが出発点です。次に、人間が生きていくことを考える。そこで初めて善悪や倫理が生まれます。人間同士が同じ世界に住もうとする。そこで政治社会が生まれます。

もし質問が「人間社会は不完全か」であれば、答は簡単です。もちろん、不完全です。人間が不完全ならば、社会も不完全です。したがって、人間である我々が、自分自身の不完全さや自分たちの社会の不完全さを直そうとすることには大いに意味があります。しかしながら、「宇宙法則が不完全だ」と結論したところで、その宇宙に住んでいて、生きていかなければならない我々にとって、その結論はほとんど意味がありません。

「宇宙」と「人間の作ったもの」を峻別すること。ここから始めることです。我々は、この「宇宙」に住むしかないのですから。

以上が、知能と良心とでものを考え、この理不尽な世界に生き、宇宙法則を学んできた人間の結論です。

この回答への補足

>お気持ちはよくわかります。私も同じようなことを考えていた時期があり
ました。

ありがとうございます。しかし、これは私だけの気持ちがどうのこうので済
まされる問題ではありません。

>宇宙法則が完全か、不完全か、という問い自体が誤っているのです。「宇宙法則
>の完全性」を問うための善悪判断や審美の基準が先にあるのではありません。
>「宇宙」が先に存在し、その宇宙の振る舞いを観察した結果として「法則」が存
>在し、それを認めた後で初めて人間の価値判断が可能になるのです。

私は、人間よりも宇宙の法則のほうが先にあるのだから、先にある方が正しく、後
に発生したものが判断をくだすのは間違えだ、宇宙法則と人間が作り出したものは
関係ないとするのには疑問を感じます。何故、先にあるものは無条件に正しいこと
になってしまうのでしょうか。まるで、先輩後輩の関係のようですね。先輩がいく
ら無茶苦茶でも、先に生まれた人なんだからという理由で、正しいとするのに納得
がいきますか。

むしろ、先にあるものは後のことを考えて責任をもたなければならないのでは
ないでしょうか。

とにかく、ものごとの結果には原因があります。良い結果をもたらすにはその原因
を替えなければいけません。原因を替えずして、結果は変らないですよね。不完全
な人間を作り出したのは、完全な宇宙法則なのでしょうか。どうして、完全なもの
が不完全なものを産み出すのでしょうか。

それから、宇宙と人間が作ったものは無関係ではないと思います。それは、人間と
いえども無から何かを作り出したわけでなく、人間が作ったもの、起こしたこと
は、最初から自然の中にそれを引き起こす可能性があったからこそ、起こせたの
ですから。

それに、人間が何も作っていない時から災難はあります。例えば、人間でも動物
でも自然災害にあうように。

私にはまだ結論がでません。

補足日時:2001/05/10 02:16
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No.4の回答者のnobor3です。


どうしても理不尽って方向に話を持って行きたいんですねえ・・・。

社会には「犯罪者」を必要とする側面があるようです。
これは犯罪が必要だと言ってるのではなくて、犯罪者として後ろ指を指される人が必要だって事です。ある一定の割合で「犯罪者」が居ないと社会が落ち着かないのです。
例えば、今の社会から見て凄く世の中がよくなって、今の法律では犯罪者がゼロになるような事態になると、法律や社会のルールが厳しくなって、「犯罪者」を生むというわけです。
詳しい事はランドル・コリンズ著「脱常識の社会学」に書いてありますので、気が向いたら読んでみてください。
それから動物行動学の側面からもそう言った事が指摘されています。善と悪はある一定の割合で安定するのだそうです。詳しい事はリチャード・ドーキンスの「利己的な遺伝子」をお読みください。

この回答への補足

>どうしても理不尽って方向に話を持って行きたいんですねえ・・・。

いえ、別に持って行きたいとか、そういう問題ではありません。

>これは犯罪が必要だと言ってるのではなくて、犯罪者として後ろ指を指される人
>が必要だって事です。ある一定の割合で「犯罪者」が居ないと社会が落ち着かな
>いのです。

犯罪は必要ないが犯罪者は必要というのは矛盾していると思いますが。
また、社会が落ち着かないというのも意味不明です。逆じゃないんでしょうか。
それに、社会が落ち着くためには罪もない誰かが犠牲にならなければならないと
いうのでしょうか。それは、いけにえの思想、強迫観念と同じレベルの話だと思
います。

>例えば、今の社会から見て凄く世の中がよくなって、今の法律では犯罪者がゼロ
>になるような事態になると、法律や社会のルールが厳しくなって、「犯罪者」を
>生むというわけです。

こちらも矛盾しているようです。法律が厳しくなる→犯罪がゼロに近くなる→
犯罪者を生む、と言われているんですよね。

利己的遺伝子の話は知っておりますが、あれは単なる仮説にすぎませんし、あの
説では、血のつながりも何もない人を命を捨ててまで助けようとする人の行動は
説明できませんよね。

補足日時:2001/05/10 01:50
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