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うちの子は小学二年生ですが以前悪くなくやつあたりのごとく毎日女の子たちに蹴られつづけていたこともあり、そのときは先生が親へ話し解決しましたが、今度は仲のよい友達からたまにけんかやいやがらせをうけています。
内容は給食を減らされたり、ものを取り上げてなげたり、意地悪なことをいつも言われたり、うちの子
もう最近はそのこの事が嫌いなのに、その子はいつも真っ先に誘ってくるそうです。
うちの子は暴力は出来ないタイプで「人の悪口や嫌なことはしてはいけない。」と教えてきたもので、やり返せず
毎日悔しい思いをしているそうです。
私の教育がいけなかったか、悩んだこともあります。
主人はやりかえせと言いますが息子は怒られるし出来ないと泣くのでこまっています。
いじめられっこと思われないためにも本当はそのこと遊んでもらいたくないし、子供が自信がなくなり、学校でも嫌なことが続きたまに訴えてきます。
学校の先生に連絡すると当人どうしあやまったらしいのでずが、そのこの親に報告していないので今までのこともあり報告していただくようお願いしました。

そのこの親は外の子ともけんかするわが子のことを悩んでいましたが、「けんかなのに、あまり口だししも・・・」といわれました。
またそのこはうちの子が好きらしいしふざけただけといったそうです。
相手の親はケンカと思っているようです。
うちの子にきくと一方的に嫌がらせをされるそうです。
なんだかこのごろ考えすぎてしまいました。
親はどのぐらい関与してよいものか、もちろんうちの子にも自分の力で解決できるようになってもらいたいと切実に思っております。
今はもちろん側で見守り口出しは控えています。
先生はあまり親に言うとそのことあそぶなという人もいるとのことでした。またうちの子も告げ口のように思われかねなく嫌われることもあるそうです。
あなたならどのように行動しますか?

A 回答 (11件中1~10件)

けんかは、精神的に五分五分の関係で成立する戦い。



いじめは、一対一・一対多で、継続的に陰湿に精神的・肉体的な苦痛行為を繰り返す人権侵害。被害者が「いじめられた」と感じたら「いじめ」だと定義される。(ここは解釈が難しい)



1週間ネットから離れていました。以前の御質問の文章に比べて非常にあなたの気持ちが緊迫しているなあと感じました。こういう時こそ、息子さんとのスキンシップ的な触れ合いが、息子さんの心のオアシスになります。お父さんの出番ですね。お父さんもお仕事でお忙しいでしょうが、男同士で一緒に遊ぶとか、お風呂に入るとか、お出かけするとかして、お父さんの持論「ガツンとやっちまえ!」について2人きりで話し合ってみるのも、逆にいいかもしれません。

お母さんの方は、すごく努力していることが伝わってきました。特に「家事従事者」で家庭の中での生活が中心の方の場合、気持ちが籠もりやすくなるのは仕方ないです。わかります。この出来事とは全く関係のない親しい方と電話やメールなどであなたの気持ちを発散させることがとても有効だと思います。

お子さんが「野球」をしたいという希望があるのなら、是非挑戦させてみてはどうでしょうか。自分がやってみたいと思うからこそいいのです。武道にこだわる必要は全くありません。私はかつてちょっとサッカーチームに関わっていましたが、彼らを見ていて感じたのは「サッカーはルールのある集団ケンカだ」ということです。ですから他のチームと試合していると楽しいのです。サッカーを純粋にやっている方には御批判されそうですが、ケンカに勝つために彼らは日々、鍛錬しても苦痛ではないのかなと思いました。このケンカという表現はいい意味で使っていますよ。

きっと、野球もそうでしょう。サッカー・ラグビーに比べると選手同士の接触度は少ないけど、知恵と体力とチームワークを総合して戦うので、段々逞しくなっていきますよ。

「自分がやりたい」という気持ちが大前提で、自分自身から湧き上がるやる気に支えられて、その子の血となり、肉となっていくと思います。継続は力なりで、野球を続けていく中で、学びがあります。チームですからぶつかり合うことがあって当然。そういうぶつかり合いを肥やしにして精神的に強くなっていくことをとおし、「いじめ」を寄せ付けない強さを持った人間になっていくと思います。


追伸:今どきは誰もが、いじめっ子にも、いじめられっ子にもなります。スポーツができればいじめられないとか、明るい子はいじめられないというのは、全くの迷信であります。武道を習うだけで、いじめられないというのは神話です。
大事なことは、分野を問わず、自分の意思で継続できること、それをとおして「プチ悟り体験」を数多くすることで、いかなるいじめを受けても跳ね返すだけの、子どもなりの胆力を身に付けることだと思います。胆力がつき、「柳に風」の生き方ができれば、自ずといじめられることはなくなるでしょう。

長文で、読み疲れてしまいましたね^^ お許し下さい。
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この回答へのお礼

とてもわかりやすく励ましのお言葉をかけていただき、ありがとうございました。
あなたの言うとおりと思います。

相手を変えるのはむずかしく、自分のこころを強くもつことが自分のプラスになるんですよね。

私もサッカーは家の子には向いていないと思ったのは、プロをみてても反則で相手をつかんだり蹴っているのをみるし、気が強くないと無理だと思ったのです。
もちろんスポーツはすべてが精神に通じるのですが、野球ならよいかと思いました。
外の私の質問もよんでいただけたようでありがとうございました。「家の子が陰険ないじめをうけている」でしょうか?
ありがとうございました。

お礼日時:2003/12/06 09:17

仏教の教えでは現世のすぐ下に修羅の世界があり、すぐ上には地居天(天界の最下位)があります。


「やられたら やり返す。」と言うのは 修羅的な考えです。「自分がされて嫌なことは人にしてはいけません。」というのは天界的な考えかたです。人間界では
修羅的な考えかたと天界的な考えかたが入り交じっており、また 現世独特の考え方もございます。
これは 自分が損害を受けたら あなたには相手に第3者に公正な視点で立ち会ってもらい、それなりの 損害賠償を請求する権利があるということです。すべて 判断するのは あなた次第、それが現世の掟です。現世は
娑婆とも呼ばれ、自由、野望が渦巻き、決められたルールのもとで権利と責任が それに伴う 競争社会なのです。

さて、お悩みの問題については、あなたが泣き寝入りしようと、強硬な手段に出ようと ルールさえ守れば
それは あなたの自由なのです。修羅の世界ほど 力が
全てものを言うのとは違いますが、自由とは こんなものです。

アドバイスとして、あなたは お子さんを必死で守る
権利と義務があります。そして それなりの償いを相手に要求するか否かは あなた次第なのです。
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こんにちは



お子様のこと心配ですね

けんかは対等であろこと ・いじめは対等でないこと とおもいます

子供の時はいじめとの認識をしていなくて 今思えばあれはいじめだったなと思う事が2つ、3つあります。

数が少ないのは、きっと嫌なものは嫌とハッキリ相手に言ったから自分では気が済んだのだと思います。

いじめたのは1つだけ、今でも思い出しますが、足の不自由な子の歩き方の、まねを皆でしたことです。大人になって、いじめが社会問題になり、あれはリッパないじめだったなあとおもい,かわいそうな事をしたと思います。

その時その子は何にも反撥しなかった。反撥されていたら状況は変わったかもしれません。

いじめられたのは、小1の時毎日まちぶせされて、トウセンボされたことです。どのくらい続いたかは覚えていませんが、かなり長かったような気がします。が、兄がガツンと言っておどしたそうで止まりました。

やはり嫌なものは嫌とハッキリ言った方が良いのでは。
私だったら、まず子供から言わせ、それでも続く様だったら、兄がしてくれた様に自分で相手に言います。このままだと、登校拒否になる怖れがあるのでは?・・・

                   ご参考になれば幸です・ 
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

小学生2年なのでいじめと思わない子もいるんでしょうね。

親も自分の子のことをしんじてちょつとふざけただけなのに・・・なんて言っているようです。
また先生も・・・。
今日たまたま校長先生に会ってはなしてきました。
深刻にしていました。
人間不信になっていると言ったもので・・・。
いじめがなくなる社会はないのでしょうかね。

お礼日時:2003/12/06 19:29

私には産まれたばかりの子供がいるだけなので小学生の子を持つ親の気持ちはまだ理解できません。


ですが、将来的にこのような壁にぶつかる可能性がありますので参考までに読ませていただきました。
そこで私が思った意見を回答させていただきます。

いじめについてですが、私が子供のころはいじめられたこともいじめたこともありません。
いじめを見ても「あー、またやってやがる」くらいにしか思わず、止めたりしなかったですね。
止めたところで誰も辞めるわけではないですし。
実際辞めなかったので、それ以来止めませんでした。
(冷めた子供だったのかもしれませんけどね)
もちろん、いじめ側に参加しません。私の親も「人の嫌がることは絶対するな!」という教育方針でしたから。
ただ、「人の嫌がることはするな!」というのは相手にも言えることで
私にちょっかい出してきて私が不快に思った時には、注意してました。
それでも聞かなきゃ殴ってましたね。
たとえすごく仲の良い子でも。
嫌な思いをさせられてんだから、「相手が悪い」んですよ。

いじめ、というのは自己顕示の現われで「おまえより俺のほうが上!」というのを
自分に言い聞かせる為にやる行為です。
最近では大人もやりますよね?権力つかったいじめなんて良く聞く話しです。
(これ書いててふと思いましたが、最近、私の上司の意味の無い小言が多い気がする。こっちはちゃんと業績あげてるのに。これも軽度のいじめなのかもしれませんね。)
子供は地位も世間体も無いので、あたり構わずいじめをします。
それはいじめる対象が憎いわけでもないし、それほど嫌いでもないんです。
ただ、自分より「下」の存在を探して、自分は「上」だという意識が欲しいんです。
やりかえさなきゃ、格好の的になります。
やりかえさない相手をいじめつづけることで自分が「誰か」より優れていることを意識していたいんですよ。
自分に自信のある者はいじめをしない。自分に自信が無い者ほどいじめをします。

子供の頃は「学力」より「運動能力」を重んじます。
足が速い、サッカーやバスケが上手という子は人気者です。
基本的に「運動能力」が優秀な子はいじめられません。
ですので、前の解答者の方の「空手」の意見には賛成ですね。
「空手」をやっている、というだけで「うまい」「へた」関係無しに見る目がかわるかもしれません。

私の持論ですが「子供」というのは人間のようで人間でないです。
(悪いように捉えないでください。「まだ」大人と同じ目では見てはいけないという意味です。)
子供は感情だけで行動します。
あなたのお子様は「怒られるのがイヤ」という感情が「やりかえしたい」という感情に勝っているため
やられっぱなしで甘んじているんだと思います。
決して「やりかえしたくない」わけじゃないはずです。
そのまま大人になって詐欺にあっても、暴力事件にあっても警察に言えないような子に育つことは
無いと思いますが、「嫌な思いさせられたときには、やりかえさないと、自分にとっても相手にとってもよくない」
ということと「困難は自分の力で解決する!」ということを
もう一度、あなたの言葉で教えてあげる方がよいかもしれませんね。

余談ですが、私の家内は子供の頃、いじめられっこだったようです。
今では誰にでも思いやりのあって優しい人になっています。
いじめられる、という経験はいじめる側の人間より「人」としての心を成長させるのかもしれませんね。
(かといって、いじめを肯定するわけじゃないですけど)
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この回答へのお礼

本当にあなたのおっしゃる意見に賛成です。
息子はたまたまいじめられたので、いじめられっこではありませんが、こういやな目にあうのは被害にあいつづけているわけで、先生や大人がちゃんとみはらないといけませんね。
今の親は甘い人が多いですよ。
心を成長させるために自信をつけさせたく、野球をしたいといっているので来年からさせるつもりです。

ありがとうございました。

お礼日時:2003/12/04 22:12

※望んでいないであろう答えであることをあらかじめ断っておきます。



自分はいじめられっ子でした。
前にはガツンとやってみるべき、という感じのアドバイスをしましたが、
自分はガツンとすることすらままならない肉体的理由がありました。
執拗に歩くのを邪魔されたり、消しゴム爆弾を投げられたり、
机をチョークの粉でピンク色に染め上げられたこともあります。
放課後に至っては濡れ雑巾でシバキ合いをさせらりたりしました。

でも、親は子供(自分)にとって不満足な対応しかしませんでした。
それはもうその時の親には恨んだものです。
しかし、親があてにならないということを学び、精神的に
強くなっていったんだと、自分の体験で確信しています。

だからガツンとやれるだけの肉体的条件が揃っているなら、
気に入らない奴を一発殴って、先生にはその相手と一緒に怒られれば良いのです。
それでイジメは終わります。
そういう現場を目の当たりにしているので、出来るはずです。

世の中からイジメが無くなれば良いのにと望まれるのであれば、
キリスト教にでも入って布教活動をすれば良いのです。
自分が親であれば、そういうイジメがあるのが世の中なんだから、
それもひっくるめて上手く生きていく筋道を立ててやります。
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この回答へのお礼

2度もありがとうございました。
いろいろ悲しい経験を話していただき、お辛い状況だったようですね。

今の世の中なぜいじめるのかもう1度かんがえてみないといけないでしょうね。
いじめられる方は悪くないのです。
あなたも過去いじめられたけれど、それはあなたが悪いのではなく、いじめる子とまわりのみて見ぬ振りした友達と先生です。
強くいきることは大切ですが・・・・。
過去家の子がいじめられた子はみんなキリスト教の幼稚園で、そのうち100回蹴られた子は今も教会学校へかよっているそうです。

お礼日時:2003/12/03 19:26

想像ですけど、私だったらってことで。



>またそのこはうちの子が好きらしいしふざけただけといったそうです。

とりあえず(最後の望みで)この言葉を信じてみます。
「好きな子にちょっかい出しちゃう。」って事ですよね。
行き過ぎてるようですけど。

その子と直接、話をします。というか相談を持ちかけるって感じかな。(息子さんがその子に話があるんだって言えるようなら子供同士の話し合いに任せますけど..)
「仲良くしたいんだけど、このままじゃ嫌いになっちゃう、困ってるんだ、どうしよう...」
みたいなかんじで。
私からは止めてねって言わないようにします。
命令って言うと大袈裟ですけど、大人(お母さん)が言ったから止めたって言うは避けたいですから。
好きだったら、気づいてくれると思います。
気づいてくれなくて、嫌われても良いもんとかいったら、
「残念だな~、仲良くできると思ったのに...」と思いっきりその子の前でがっかりします。
それでしばらく様子を見るかな。

それでもダメだったら、
お母さん同士、友達って事ですけど、この場合は腹くくって付合いを止めると思います。子供にも、相手にしないようにって、言うかな..。

あとは、お子さんもお母さんもだいぶ疲れているようなので、学校休んで遊びに行っちゃうかな。
世の中には楽しいこといっぱいあるよ~って。
学校だけがすべてじゃないよ~って言う気持ちで。
自分が遊びたいから、息子にも付き合って貰うっていう姿勢で誘い出します。(*^^*ゞ
で、思いっきり遊びたいな。

視野を広げるってことで習い事も良いかも。
何でも良いと思いますよ。運動ものじゃなくても、書道とか、英会話とかでも。
学校以外のグループに所属するって事で息子さんの世界も広がると思うし。違うお友達も出来るでしょ?

ずっと我慢してきたようなので、もう我慢はしなくて良いんじゃないかな。あんまり我慢してるとストレスたまるし。ストレスは万病のもとって事で。(私が我慢できないってだけか(*^^*ゞ)

以上、ご参考までに。
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この回答へのお礼

大変親身な回答ありがとうございます。

こどもは今は落ち着いています。
もっと強く相手に嫌なことはいうことを先生、私も教えたので、実践してくれるといいですが・・・。

なんでいじめるのか?そこを先生も相手の親も考えた方がいいと思っています。
いじめる子がいなければ平和にのに・・・・。
学校もいじめ教育をもっとしていただきたいですね。

お礼日時:2003/12/01 10:02

いじめているほうがふざけているとかけんかだとか言うが、相手はいじめられていると思っているというのは、よくあることだと思います。


いじめというのは、明らかに誰が見てもいじめというのもあるし、回りがどう感じても本人がいじめられていると思えばいじめです。
向こうの親子がどう思うかは、あなたにとって大事なことですか。いじめをいじめと認めてほしいということでしょうか。
それとも、いじめをやめて欲しいのなら、とにかく嫌なのだということを強く言い続けることかと思います。簡単にやめることではないかもしれませんが、私にはほかに考えつきません。

子どもにとって大切なのは、親がついていてくれるという安心感だと思います。しっかり見守っていて、本当に必要な時に必要な助けをしてやれる親だありたいと私は思います。そんな時には、周りがどう思うかなんて気にしないと思います。
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この回答へのお礼

相手の親とも仲がよく、この間あったときに「ごめんなさい。でも家の子はいじめと思っていないようなのよね~」といわれました。
いじめはいじめっ子に問題があるとおもいます。
他人の悪いところを付くことはいけないとおもいませんか?

みんななんで楽しくできないのか、今の日本社会にある問題点ともおもいます。
いじめをなくすことは、意地悪な自分を知ることが大切と評論家がいっていました。

お礼日時:2003/11/30 19:30

<「人の悪口や嫌なことはしてはいけない。

」と教えてきたもので、やり返せず


それで良いんです。
勿論いうべき事もいえないのでは駄目ですけど。
他人に迷惑を掛けない=人間が持たなくてはならないものです。

よって、心や考え方は、今のままで良いのです
ようは、考え方は今のままが良いけど、心と肉体を強くしたほうが本人の為になると、、、、、そういう事ですね。
では、やはり「空手」などを習うのが良いと思います
勿論、強くなる事で→暴力を振るったり、他人を傷つけるような奴になってはまるで駄目です。その点は、mx54bz23さんと旦那さん、そして、正しい精神面での考え方を持つ「空手の道場」を選ぶ必要があると思えます。
(例ー強くなる事は、人生に余裕を持つ為。といった亀仙人みたいな・・・・・・・汗/ちょっと違うかな)
まあ、力を持つ理由をしっかり教えてくれる所が良いと思います。
ではでは、御参考に
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この回答へのお礼

的確なこたえありがとうございました。

もちろん息子にも精神的に強くなってもらいたいとおもっています。
また家の子はやられても我慢強く、我慢すればいいといっていたことがありましたが、先生や親にそれはいじめをみとめることになるし、そのこが不良になるといけないでしょうと言われてよくわかったらしいです。
でもいじめをした子も親も、わるふざけととっているもでそこが、私も先生もこまっているところなんです。

お礼日時:2003/11/30 11:16

>うちの子は暴力は出来ないタイプで



それは親が決めることではないです。
子供が力を奮うことを望んでいる可能性を否定していませんか?
柔道や空手道場に連れ出しても泣き出すようなお子さんですか?

>いじめをいじめと思わない子と親に問題があると思います。

それは当然です。
しかし、世の中にはそういう人がいる以上、お子さんが
いつまでもそういう人達に対して親を頼って解決する
ようになっては駄目なはずです。
親が子供に出来る事は「守る」ことではなく、「自立を促す」ことです。
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この回答へのお礼

書き方が悪かったのか、泣き出すような子でなくそれをずっと我慢しているのがかわいそうだったのです。

もちろん「やめろ」と強く言っているけどダメだし、よけいやられるといっていたもので。

私が聞きたかったことはそう言うことではないんですが・・・。
いじめている子と親がいじめをしているのをわからないのでどうしたらよいのかということなんです。

お礼日時:2003/11/30 11:05

質問文で、mx54bz23さんがとても真剣に、そして深く悩まれていることが伝わってきました。

お子さんも、そのことは感覚的に理解しているでしょう。僕は親になったことはなく、子どもであった経験があるだけなので、そちらからのアドバイスというか感想になりますが、mx54bz23さんの深刻な態度に少々息苦しさを覚えないでもありません。

僕の両親もまた生真面目な人でした(まだ存命ですが・笑)。真面目な親というのは、子にも真面目であることを望みます。それ自体、何も悪いことではありません。しかし、その親の完璧主義というか完全癖的な部分が、子を必要以上に縛ることがあります。子に善なる存在であれ、と言い続けたために、しばしばその子が息抜きの下手な神経症的な性格になってしまうのです。僕は、その例に漏れず、神経症的な性格ですし、弟は鬱を患いました。

そのような善なる真面目な親のもとで、その子はその親を完璧な存在だと信じています。まるで旧約聖書の父なる神のようです。臨床心理学者の河合隼雄さんは、それを「父性原理」と呼んでいます。人間には「父性原理」と「母性原理」が必要なのですが、真面目な両親にはしばしば「母性原理」が欠如しがちです。僕の両親は、どちらも父性的な人だったと言ってよいでしょう。

神のごとき親は、しかし、中高の教育課程を終える頃、子どもが世界に目を開くようになると、急激に失墜します。自分が如何に世界と折り合いをつけるのが下手なのか、ということに気付き、その原型を両親に見るからです。神は神でなくなり、老いも手伝って、苛立ちを促す存在になります。

mx54bz23さんが、そういう親であるかどうか、僕には断言する権利がありません。ただ、善や悪という概念に対し、敏感で、子を悪なるものに近づけさせないように、努力をされているように思います。先にも書きましたが、そのこと自体は、まったく悪いことではなく、何も否定されるべきことではありません。しかし、張り詰めすぎた糸というのは、必ず切れます。完全なる善、完璧なる善き事など、おそらく形而上にしか存在しません。それは素朴なイデアリズムであり、現実的なものではありません。親は、子どもにそのような理想を押し付けがちです。

暴力や悪を為せというのではありません。いじめっ子を撃退せよ、というのも違います。ただ、少し、お子さんに自由を与えてあげてください。自由とは、好き勝手にさせることではなく、自ら由(よ)しとすることをさせることです。親が前へ前へ出るのではなく、親が進む方向を指示するのではなく、親は子に安心感を与えるために、辛くなったらいつでも逃げ込める一種の根拠地になるべきです。

実際、子ども同士の関係に親や教師が知っていことは、ごくごくわずかです。僕の親は、かなり僕の生活に介入する親でしたが、それでも僕は親に対して多くの秘密を抱えていました。親に嘘とは言えないような嘘を何度もつきました。子どもが秘密をもてなくなったら、その家族はかなり不健康です。親は子のことを知らない。ただ、親は最後まで子の味方でありうる。そのことだけは信じていいと思います。

なので、お子さんの話や訴えをしっかり聴くこと、お子さんの訴えを勝手に解釈しないこと、お子さんに安心を与えること、を大事にしてください。そのためには、カウンセリングの手法が使えるかもしれません。傾聴(よく聴くこと)とラポール(親愛の情、信頼関係)の構築を基本とする方法です。

一つだけ注意をしたいことは、「ダブルバインド」は避けてください、ということです。ダブルバインドとは、日本語では、「二重拘束」と言います。これは、相反する二つの要求を突き付け、どちらでも選んだ方に「否」の態度をしめすことです。子どもにとっては、混乱し、親が与えてくれるはずの安心感を疑わざるを得ない、非常に厳しい状況です。例えば、僕の小学校4年の頃の担任がそうでしたが、「自由」ということをお題目に掲げ、実際はものすごい束縛。自由に動かなければ怒られるけれど、それは担任の望むものでなければならない。究極の矛盾状況。子どもは絶対に安心できません。

と、子どもとしての視点から、考えてみました。まったく、見当違いでしたら、無視してください。mx54bz23さんとお子さんに安心できる生活が訪れますようにお祈りしています。
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この回答へのお礼

とても永い文章ありがとうございました。
私も子育てをみつめる機会になりました。
子供の意思を大切にすこし距離を置くことも大切ですよね。
束縛しているつもりありませんが一番はじめの子で少し心配しすぎかもしれません。

あなたの過去をお話頂き参考にさせていただきます。

ただし私はそれほどきつく言ったことはないし、子供も潔癖症ではないのですが・・・。

お礼日時:2003/11/29 22:33

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