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No.26
- 回答日時:
★(No.24お礼欄) 自由意志と行動の自由を混同されているように私には思えます。
☆ 《行動の自由》が 《自由意志による自由な選択》としておこなわれるとも言えるはずですが そうではなく 次のように《決定論》に立つ場合のみの行為だということでしょうか?
★ 行動の自由は、外的拘束に対立する意味での強制からの自由であり、自由意志を否定する決定論と両立しうる。
☆ まづ重ねて確認しますと:
○ 《外的拘束に対立する意味での強制からの自由》は まづ単純に自由意志の発揮が抑えられていたところその外的抑圧が無くなったことにより抑えられなくなった・つまり 自由意志の発揮が自由に行なわれるようになることをも意味します。
☆ ところが そうではない場合を見なくてはならないということでしょうか? すなわち
○ この《外的拘束に対立する意味での強制からの自由》が 《自由意志を否定する決定論》にもとづくものとして起こるという場合を取り上げなければならない。
☆ と。そうすると どうなりましょうか?
★ 例えば、意識的自己に外的な無意識や本能的衝動や狂気に支配されることなく、自らの望むところを知り、理性や良心にかなった仕方で行動しうる「倫理的自由」は行動の自由の範疇です。
☆ ですが 《決定論》の場合は どうでしょう?
○ つまり決定論に立てば 《自らの望むところを知り、理性や良心にかなった仕方で行動しうる「倫理的自由」》は すでにそもそもわが存在の初めからそのように《望む・知る・あるいは 理性や良心にかなった仕方だと分かる・そしてその仕方で行動する》といったことがすべて わが意志のあり方如何にかかわりなく 決まっていたと見ることになります。
○ この《倫理的自由》を 《行動の自由の範疇です》と言ってもよいのでしょうが すべては そのようにわが意志の中身にかかわりなく・しかもその意志があろうがなかろうが 初めから決まっているという話のほうが 大前提になっています。《行動の自由》がすべて 決定されていてその決定されていることを――知ってか知らずにか――おこなうのみだという話のようです。
○ もっと早い話としては けっきょくそのように《わが行動のすべては すでに初めから決定されているのだ》という決定論を わが自由意志が 或る日或る時 選択したということだと考えられます。
☆ という話なのでは?
No.24
- 回答日時:
余計なおせっかいですが:
自由を言わば天与のものとするか それとも 人為的・文化的・また社会関係的に作られて来ているその状態〔の各自における認識〕とするかで 話は違って来るようです。
自由意志は 人間が自分で自分に備え付けようとして持つに到ったわけのものではないと考えますが いかがでしょう?
社会力学上の関係とその圧力(または 軽い感じでは クウキ)によって自由意志の発揮する余地は ないと考える向きには それでもそのように《発揮する余地がないことに甘んじる》という判断は 自由意志のものです。
奴隷は 自由意志がなくなったのではなく それを発揮することができなくなっている状態です。(主人の言うことを聞いていれば それが自由だという発想がそこで派生することもあるようです)。
自発的な精神錯乱ないし発狂は それが《自由から自由になること》だというとき そのなったあとのことは もう考えていないということのようです。自殺行為を考えてみれば 分かりやすいはずです。
ただし 無効である とはすでに述べました。
自由意志と行動の自由を混同されているように私には思えます。
行動の自由は、外的拘束に対立する意味での強制からの自由であり、自由意志を否定する決定論と両立しうる。
例えば、意識的自己に外的な無意識や本能的衝動や狂気に支配されることなく、自らの望むところを知り、理性や良心にかなったかなった仕方で行動しうる「倫理的自由」は行動の自由の範疇です。
No.23
- 回答日時:
真面目に答えると、自己の同一性がわからなくなるという脱時間的存在が「可能」と考えうるならそれも「可能」ですが、しかしそういう境地で、自由であるという内部感覚を人が持つかどうか甚だ怪しいです。
仏教的に一切が滅する涅槃と、精神科的に発狂というのでは事情も違うことでしょう。自己の属性が刷新されるという経験にかぎれば、まやかしの自由や仮の自由、コントロールされた偽りの自由、地上の自由などを享受している自己を脱ぎ去る、というのが宗教的な帰依によくある話かと思います。しかしこれも内部感覚の問題で、修道士や修道女や聖戦兵士は自由には見えないのが大方の見解だと思います。
自由はひとつの認知の形式の獲得です。一旦獲得した認知の形式が瓦解するということはありえますが、それによって内部感覚として自由になったと感じるならば新たに認知の形式を獲得したにすぎず、そこからまた瓦解を繰り返すという無限の営みになりそうです。
人間の死というのをそのような瓦解モデルで描くとすれば輪廻思想が思い浮かぶかもしれません。
しかし、人の一生のうちでそのように認知の形式を壊すように壊すようにと世界と関わるということが起きれば、自由な人生ではなくなるでしょう。
刑法第39条
1.心神喪失者の行為は、罰しない。
2.心身耗弱者の行為は、その刑を減軽する
怪奇大作戦、永久欠番、第24話「狂喜人間」の狂わせやに依頼するという方法があるかもしれませんね(笑)。
それはともかく、自ら欲して狂人になるといった場合、その動機の裡に性格(すなわち先天的気質や環境等、諸契機の融合的総和の結果)が含まれるとするならば、その意志決定は自由ではないということになりそうですね。
No.22
- 回答日時:
前者の自由は後者の自由とはことなります。
前者はすべて満ち足りて何の不足もない状態。昔でいえば藤原の道長 秦始皇帝 自由にすべてを手にしたようです。
しかし、純金でも99.99999%くらいしか金ではない。上記の2人は 自由の中に ほんのすこしの不自由があったとおもわれま
す。後者の自由は動詞で 解き放たれるという程度の意味です。この0.00001%くらいの不自由が満足できないなら自由はありません。2人のうち前者は糖尿病になり 後者は不老長寿のくすりをもとめた。おそらく0.00001%が自由にならなかったのかもしてません。自由であったが解き放たれることはなかったとおもいます。
No.21
- 回答日時:
構造主義者が求める自由とは物事を人間に到達させること。
実在主義者にとって自由とは意味を構築して物事に人間を見張らせること。
違ってたらすみません。私が至らないせいです。
逆にちゃんと知りたいので誰か教えてください。
なんか逆じゃないの?って感じは普遍の哲学。
それらしい容器に予言、告知、主張しているラベルと、
あるがままの中身が違ってたら何を自由の事実としましょうか。
真の自由を謳歌できるのは、
以前はものすごくやりたかったことを断念するとか、
代用が利くものを見つけた時ぐらいかも。
No.20
- 回答日時:
No.10ですが
★ 自由から自由になる
☆ とはどういうことか?
○ 自由から自由になる状態にさせられる
☆ つまりは 自由を奪われると考えれば かんたんなことではないでしょうか?
・ テロに遭えば 自分の自由になれなくなります。
・ 有無を言わせず力づくで連れ去られるなら つまり拉致されるなら 自由から自由な状態にならしめられます。
・ 刑事による取り調べにおいて 何らかの精神的・物理的な手段を用いた強迫による自白は 信憑性がなく 無効だと考えられます。自由から無理矢理に自由にならされた状態で――つまり 無効の行為の結果として―― 自白したに過ぎないと考えられるからだと思います。
自分の意志によって
★ 自由から自由になる
☆ というのは その自由意志の抹殺としての自殺か それとも同じく自由意志の抹殺としての精神錯乱ないし発狂かだと考えられます。現象としてそれらはあり得ます。
そして 自由は 自由意志が自然本性としてそなわったその人間存在を大前提として成り立つことですから 自由意志の抹殺は 無効の行為です。
無効の行為というのは その行為が初めからなかったものとされることになります。原状復帰という措置が 強制的に取られます。実際にそう出来なくても そのように回復したと見なされていきます。無効の行為と原状回復とのあいだの時空間は なかったものと見なされます。有効な意志行為がおこなわれたとは見なされないという意味です。
その昔
★ 自由からの逃走
☆ という見方が成されたことがあります。全体主義からの解放のあと 自由になったというのに どうすればよいのか分からず 同じような上からの外からの制圧を自分からのぞみ 自分から何ものかによって管理されたいとする心理現象です。
青年が成人したところ 名実ともに自由意志を発揮して生きることが出来るというのに 何をしてよいか分からない。その昔 何をするかの執行を――自分で自分の執行を――猶予していると見なされて モラトリアム人間だと言われたことがありました。要するにおれは自由になりたくないと甘える現象です。
したがって
★ 自由から自由になる
☆ という現象は 現代・現在にも見られると言ったほうがよいかも分かりません。
いちばんの問題は 人と人とが話し合えないということ。お互い相手の知りたいこと・つまりは自分が尋ねたいこと この内容をつねにはぐらかすという心理と実際の態度 これは 《わたしは自由になりたくない》と駄々をこねている姿である。《人間以前の状態にある人間》だとも評されているようです。
No.19
- 回答日時:
老荘思想ですね。
。。自由というのが何であるか解らないほど、
自然体で生きている人は、「自由」から自由であるのでしょう。
老子の冒頭に、「道可道、非常道」という言葉があります。
「道」として定義できるものは、すでに「道」ではない
ということです。
「木」「花」「犬」「山」「時」
これらのものは人間が勝手に名前をつけて定義しただけのことで、
人間の貼ったレッテルに関わらず、
木々は育ち、花は咲き、犬は生き、山は存在し、時は過ぎゆきます。
「自由」という定義を決めた時点で、
すでに「自由」という存在を意識せざるを得ないでしょう。
こういう言葉もあります。
「無欲であるのは難しい。
無欲でありたいと思うことが、すでに欲であるからだ。
ただ欲を節制することはできる」
これに倣って言えば、
「自由」から自由でありたい、と思うほど、「自由」に束縛される、
ということではないでしょうか。。。
No.18
- 回答日時:
「ここに書かれてあることは偽である」
という文の真偽がパラドックスに陥るというお話を聞いたことがあります。
この文の前に「太郎は嫁にいった」という文があり、それを指して、
「ここに書かれてあること」というのであれば真偽が決まるのだから、
最初の文は、隠されている文を推理すれば解決します。
いわゆる「自己言及」を避けるには、「『ここに書かれてること』は偽である」というふうにかっこを付けてみるのもいいでしょう。
さて、
自由から自由になる、のも上記と似たところがあります。
「自由」から自由になる、
「自由」というものが「場所」や「事象」のように「指示できる」ならば、そこから「自由になる=脱出する」ことはできるでしょう。
ここでは「自由」とはどんな事柄かを少し考えてみます。
たとえば、私がある人(A)を心底憎んでいるとします。(たとえばAは私の最愛の娘を殺したとします)
私は、復讐として、Aを殺すこともできます。私にはそうする「自由」がある。
私にはそうする「自由」があるからこそ、それを実行すれば「犯罪」になるわけです。
(そうしない「自由」もあったのだから)
「自由」のない人(理性のない人=重度精神病者と言い換えが可能)には「犯罪」またないということです。
ここで「自由から自由になる」とはどういう事態を指すのでしょうか。
サルトルはかつて「自由という罰」(だったかちょっと失念)という比喩で人間の生(実存)を記述しました。
根源的な意味での「自由」から「自由」なのは、おそらく「神」のみであろうと思われます。
参考になれば。
No.17
- 回答日時:
自由というのは束縛がないことを言いますから
自由から自由というのは意味をなさず、言葉の
遊びに過ぎません。
自由でなければならない、という思考から自由
になる、ということでしょうか。
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