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1592年~1598年に、秀吉が朝鮮に出兵した事についての2つの質問です
一般的にも学校でも、「秀吉が明、インド、西洋を征服しようとし、まず明を攻撃するために途中の朝鮮を侵略した」とされて、教えられています

その1
一説には、これは秀吉の企みともう一つ、「百済滅亡時日本に亡命した百済人の子孫による祖国回復のための戦いだった。」と言われる説もあると聞きました
つまり、「朝鮮出兵は秀吉の構想実現の戦争と、古代百済人による祖国再建戦争と復讐戦争だった」と言うわけです
だから、鼻や耳をそいだり、残虐な事を「古代百済人がさせた」という説なのです
歴史的な一説としては非常に興味深いのですが、ふと思ったのが、亡命してきた古代百済人はその後何百年も日本人との血の交わりもほとんどなく、朝鮮百済人としての意識を持ち続けた、というのは本当でしょうか?
この説の出が韓国だ、というのも興味深いです

その2
「秀吉の朝鮮戦争は、明の日本侵略を阻止するための防衛戦争だった」という説はどれほど信憑性があるのでしょうか?
「朝鮮出兵は日露戦争や朝鮮併合と同じ動機だった」という説です
秀吉は日本侵略の足がかりとなる李氏朝鮮を抑えるために侵攻した、という話は世間でほとんど聞いた事がないのですが、真実はどうなのでしょう?

この2つの質問、どなたか回答お願いします

A 回答 (4件)

こういう問題については、理由は複数あるものです。



国際政治学者の高橋和夫教授は次の説を挙げています。
1,大名に分け与える土地が無かった。
2,戦争を職業にする層が出来ると、戦争の為の
 戦争をするようになる。

しかし、これ以外にも、三回目の元寇を阻止
するためだ、という説もあります。
これを見て下さい。
 ↓
・天智天皇7年(668年) 大化の新羅の賊
・弘仁3年(812年) 弘仁の新羅の賊
・弘仁4年(813年) 弘仁の新羅の賊
・弘仁11年(820年) 弘仁の新羅の賊
・弘仁4年(813年) 弘仁の韓寇
・弘仁11年(820年) 弘仁新羅の乱
・貞観11年(869年) 貞観の韓寇
・寛平5年(893年)および寛平6年(894年) 寛平の韓寇
・延喜6年(906年) 延喜の新羅の賊
・長徳三年(997年) 長徳の入寇
・寛仁3年(1019年) 刀伊の入寇(刀伊とは高麗の支配下にあった満州族の一派)
・文永11年(1274年) 文永の役(元寇)(文永の役は高麗軍が中心となった侵略)
・元中6年(1389年) 戦艦300艘による高麗・李氏朝鮮の対馬侵攻
・応永26年(1419年) 応永の外寇

日本は、半島や大陸から、これだけ侵略を受けてきました。
まともな人なら、日本の為には、大陸や半島を
なんとかせねば、と考えるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

確かにこれだけの侵略行為を見ていれば、大陸&半島への対処をしようと思うのもムリはないですね

お礼日時:2012/01/03 23:27

私が習った秀吉の朝鮮出兵は、


各大名に与える地行(領地)が無くなったからと習いました。
もう20年以上前の話ですけどね。
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秀吉がどういうつもりで侵略したかは、当の本人にでも尋ねないと分かりません。


ただ、結果から言うと、国内統一ができて図に乗って出兵し、戦略も戦術もないまま、
大量の味方殺しをやらかしただけでしかありません。秀吉は国内統一が精一杯の
人物だったのです。出兵させられた兵は、補給も情報も断たれたまま孤立したのですから。

当時、朝鮮なんて存在しませんでした。韓国が日本の歴史を語るときは、「語る」のではなく、
「騙る」のだということをまずは認識しましょう。

国力の比較からすると、明に対する防衛戦争っていうのは失笑するしかありません。
藪蛇になったら日本は簡単に滅びます。中国側からすれば、補給線が整備できないから、
リスクを負って侵略する価値が無かっただけにすぎないのですから。
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歴史との向き合い方を変えるべきではないでしょうか?



真実はひとつしかなく、真実が証明できないから、諸説あり、
諸説は、全て憶測なので、信ぴょう性はひとつもない。どれも断片的な真実である。

本当の真実に触れたかったら、伝わっている事象だけを粛々を並べ、
どれかの一説に傾倒せず、複数の諸説をデータとして取り入れ、取捨選択することなく全体のイメージで捉える。一説は一説。
そうしないと時代の価値観を真に理解することはできません。
自分の情緒や現代の一般常識がはいるから、当時の真実が時間経過で消失するのです。

1,2どちらも信ぴょう性はあると思いますよ。
ただ、耳や鼻を削ぐ事は当時の戦場の常識であり、現代人の価値観での残虐行為でしかないし、
日露戦争も朝鮮併合もした経験がある現代人の感情論であり、日露戦争を経験していない秀吉は、同じだった動機を持ちえません。
秀吉にとっては、元寇が数百年前の伝説的情報からの防衛意識でしかないのですから。
自分の価値観の色眼鏡の入った情報は、真実ではなく、そうあってほしい願望です。
歴史はいつでも今から過去を見るし、歴史ができるときは、常に今しかみていないのですから。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

なぜこの質問をする事になったのかというと、とある韓国人が「かつて豊臣秀吉が我が国に攻め入ったから」という理由で日本が嫌いだ、という意見への反論を論じている人の意見の一つに上記の説があったのが目に留まったからです
今まで聞いた事ない説だったので、根も葉もないその人の捏造の可能性もあると思い、何が根拠なのかを知りたかったからなのです
誰か知っている人がいるかもしれない、と思い質問してみました

お礼日時:2012/01/03 23:19

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