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ストレスを解消したいのですが、自分や現実から逃避したくはありません。
寝たり食べたり叫んだりといった、現実を忘れ悲観的に捉えるような方法しか思い当たらず、
それでは根本的になんか嫌だなあという気がしています。
何かよい方法をご存じの方はいらっしゃいませんか。

参考になるかわかりませんが、
現状はこちらの診断で40個中36個該当する程度です。

http://www.genic-net.com/stress/

A 回答 (8件)

あんまり頭をつかいすぎないことです。



わたしもそうですが、
精神的にまいりやすい人は、頭をつかいすぎて空回りしている気がします。

・頭ばかり使わない
・かわりに、体を動かす
・楽に流れて生きる、その場しのぎで生きる
・親切は、あくまで余裕の範囲で

上から順番に、大事です。
だいたいこんな感じで、バランスがとれやすいと思います。
バランスがとれてくると、今のようなストレスはたまりにくくなります。

よかったらご活用ください。

この回答への補足

半年弱ぶりの書き込みになります。ご無沙汰しております。

こちらの回答を読ませて頂くのは3~4度目ぐらいになります。読むときは毎度内容をほとんど忘れてしまっていますが、心の調子が悪いときにも簡潔で読みやすく、読むたびに胸に心地よいものがあるので、また忘れてしまったらまた読みたい、そんな回答です。以上のような理由から、ベストアンサーにさせて頂きたいと思います。

なお、病院を勧めてくださった回答No.2さんへのお礼欄に、近況などを記しました。今の私は、明るい気持ち、とは言いがたいですが、一応ご報告させていただきます。

皆様、ご回答ありがとうございました。

補足日時:2012/06/27 20:54
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この回答へのお礼

「考えすぎだよ」とこれまで何度か、しかも毎度別の人から言われております。もはや偶然の一致ではないのかもしれませんが、僕は正直「そういう決まり文句なのかなぁ」程度にしか思えておりません。なぜなら、考えすぎている自覚がまったく無いからです。

ともかく活用させて頂きます。なんとなく、よさそうなので。ありがとうございます。

お礼日時:2012/01/10 22:01

お礼ありがとう


見守ってあげるよ
昨日何かに感銘を受けたのに今日忘れてる
忘れちゃってもいいんじゃない
昨日確かに感銘を受けたことがわかっていれば
あなたは感銘を受けた時点で何が変わっているのだから
何かを手に入れたのだから

1人じゃないと思えば出来ることって増えて来ると思いますq(^-^q)
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補足ありがとうございます


育てられ方に問題があったようですね
でも今それに気付かれたようじゃないですか
家庭内がうまくいかないと
学校など外へ出た時人間関係でつまずきますよね
愛情をわからずに育つと人を思いやることが出来ないし
自分が気を遣われていても気付かない
だから人間関係はうまくいかないと思うんですね
あなたはお母さんの育て方が普通と思って、あまり疑問にも思わず育ったのでしょうか
感情もわからず、当然感情表現も出来なかったと思います

今お母さんに嫌悪感を抱くことから感情表現が出来るようになったようですね
だから
自分は何をしたいのか
自分は何を好きなのか
って考えられるようになったんじゃない
当然それは、今のあなたには答えは出せないでしょう
今やっと目覚めたのだから
確かに母性には飢えているでしょうね
でも今あなたはお母さんなしでは生きて行けませんよね
気持ち的にも経済的にも
でもこのままではあなたは1人で生きていけない
幸いあなたには打ち込んでるものがあるんじゃない
それを頑張ってみたらどう?
どこかで自分を変えなくちゃ

頑張ってみない
私で良ければ見守っていてあげるよ
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この回答へのお礼

> 私で良ければ見守っていてあげるよ

毎日毎時、気持ちがあちこちへ揺れ動くような僕です。昨日何かに感銘を受けたのに、今日になるとどうして感銘を受けたのかわからず、無味乾燥な感覚が残る。一日どころか三分で忘れる。そんなことも間々あります。

そんな今の僕が、あなたがいつも見守ってくれていると信じることを“継続”することは、不可能とまでは行かなくとも、とても困難に思えます。

それでもよろしければ、どうか見守ってください。

お礼日時:2012/01/12 23:19

#4です。

お礼ありがとうございます。

頭つかいすぎだと言っても、
考えている内容を、否定するわけではないんです。

ただ、人間は頭だけの生き物ではないんです。

頭ばかりを使っている状態って、腕だけで水泳をしているようなもので、疲れるし、効率が悪い、ということなんです。

人生も、水泳みたいに全身使うと楽じゃないかなあ、と思うので。


頭が良い人ほど、頭を使うのが得意なので、苦境にたつととくに、頭だけで乗り切ろうとしがちだと思います。
それもいいんですが、あなたの持ち物は他にもあるよ、使わないと退化するよ、と言いたかったのです。
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この回答へのお礼

理解が深まりました。ありがとうございます。

お礼日時:2012/01/12 23:24

何がストレスなの?


話できますか?
人にモヤモヤを話しただけでもストレス解消になりますよ

この回答への補足

学生時代、人間関係が上手く行かず、小中時代はいじめを受けていたようです。「ようです」止まりなのは、それをいじめと言ってよいものかどうか、自分にはよくわからないです。テレビドラマなどで描写されるような、机に花瓶を置かれたりだとか、トイレの個室に放水されたりといった過激な目にあった経験はございません。精々、通学用自転車の鍵や筆箱を陰で隠されたり、図工の作品を陰で何度も壊されたり、すれ違い様に耳元に悪口を囁かれたり、当時シャーペンが主流だったクラスの中で鉛筆を使用していたため鉛筆の束で手の甲を刺されたりだとか、なんというか、まず人目に触れることの無いこじんまりとした物ばかりです。悪く言えば陰湿とも言えるかもしれませんが。総量はきっと大したものではございません。小中9年間の、これはいじめかもしれないと思う出来事を全て書き起こしても、上記の量からそれほど膨れ上がるものでは無いように思います。そこそこ掻き集めてこの程度です。

何か嫌なことがあっても、親には相談しません。嬉しいことがあっても、親には話しません。当時の僕にとって、そして今の僕にとっても、親はそっち側の存在です。

小1の時の話です。いじめではないですが、給食を食べるのが遅い僕に、当時の担任教師が、しびれを切らしたのか僕の御飯に牛乳をかけて「食べるのが遅い」と注意されたのはショックでした。記憶は曖昧ですが、食べなきゃいけないんだ、僕が悪いんだと思い、全部食べたのではないかと記憶しています。

中学の時は感情を表に出さなくなりました。卒業アルバム用の写真撮影をする時、笑顔を作った僕に対して、傍にいたクラスメイト2人が「あれ、お前って笑えるんだ」と嘲笑いながら言い放ちました。元々よくからかってくる2人でしたが、やはり、ショックでした。

数年前から一つのことに打ち込んでいるのですが、全く成果が出ずよく心中で嘆いてしまっております。結果を求めるのではなく、過程を楽しめればよいと本で学んだのですが、結局楽しめておらず、楽しめない自分をまた嘆いてしまいます。結局、ツラいままなんですね。何を信用してよいかわからず、どうしたらよいかわかりません。

やる気が低く、すぐに自暴自棄になってしまうのは、思えば幼少時代からずっとです。母親が、エホバの真理教の影響を受けており、世間にあふれているあらゆる「戦闘モノ」を野蛮なものとし、それに触れることを悪いことだと、僕に教え込みました。僕は23歳ですので、小学生の頃はドラゴンボールZですとかファイナルファンタジーですとかポケモンですとか、そんなものが流行っておりました。僕は自然と、自分が素直に「やりたいな」「好きだな」と思った気持ちに従うことを、全て捨ててゆくこととなりました。誕生日やクリスマスなどあらゆる「記念日」を祝うことや、他にはこいのぼりとか、悪いものなんだよと教えられました。僕は素直に「悪いんだな」と思いました。

母の教育方針には、今になって思えば不可解な点が多いのです。たとえば、星のカービィというゲームがございます。あれは、外見こそ可愛らしいものの、稀にダークな表現やグロテスクな表現が用いられたり、そもそもゲーム中はほぼ常時敵キャラを“殺しまくる”わけですが、遊ぶことは許可されていました。また、天才てれび君というNHKの教育番組がございます。これの視聴はなぜか禁止されていました。他にも、宇宙旅行モノのドラマを見ていた時もきつく怒られたりしました。何というか、実写ドラマ含めリアルタッチな作品はダメという判断基準があったように思います。ですが、母親が好きで見ていた古畑任三郎のドラマはオッケーです。わけがわかりません。あれは毎週殺人シーンが描かれるような作品だというのに。

当の母は、ビッグコミックスピリッツという漫画雑誌を長年毎週購読している模様でした。僕が中学の頃、家の中に大量にあったその本を見つけ開いてみると、当人があれほど悪だ悪だと騒いでいた戦闘やグロの描写も色濃く含まれており、驚いたものです。既に母のことは好きではありませんでしたが、母の言うことがますます信じられなくなりました。

何でもかんでも見境無く禁止にして反論は受け付けないくせに、判断基準はいい加減というか、そもそも全て中身を見ずに判断しているのではという考えに至りました。

今から数年前、僕もまずまず知恵もついてきた歳に、なぜあの頃ああいった教育方針をとったのか、なぜそれを悪いこととしたのか母に訊いてみましたところ、何故かはぐらかされ、結局一切答えを聞くことはできませんでした。それ以前から薄々、母のことを「単なる食わず嫌いだな」「いい加減だな」という目で見てはおりましたが、その気持ちは一段と強いものになりました。

実は「母のことを好きでなくなること」「親孝行をしないこと」これらを僕は根強く「悪いことだ」という認識でいたため、母へのハッキリとした嫌悪感を意識することは、ごく最近までありませんでした。ここ2~3年ほどでいくつか本を読み、意識するようになりました。今は、極力関わりを持ちたくない気持ちでいるのですが……。

今の僕は、所得がゼロです。母からの月5万円の仕送り無しでは生きていけないようになってしまいました。現状、貯金は20万円ほどで、それ以上の余裕はありません。家賃3万円弱を含め、月5万円で生活しています。

「自分は何をしたいのか」「自分は何を好きなのか」わかりません。「自分は何も出来ない」「何をやっても悪い方に転がっている」という気持ちから抜け出すことができません。心にゆとりを持ちたくても持つことが出来ず、自分を許せず、常に心が時間に追われています。呼吸をするがごとく、自暴自棄な道を歩み、自らが一番なりたくない人物像へ自らなってしまうのです。

「数年前から打ち込んでいる一つのこと」。これが実れば、直接所得に繋がります。そしてこれは「自分が本当に好きなこと」である可能性も無くはありません。実れば、母から実質的に離れることができます。でも力が入らないんです。すぐに立ち止まってしまいます。立ち止まると自己嫌悪です。自己嫌悪する自分にまた自己嫌悪です。

母性に強く飢えている自分も、何となく自覚しております。ですが解消法はわかりません。当の母には母性など求めるだけ無駄というか、逆にこっちが求められて引きずり込まれそうなので母に頼るのは論外です。

何がストレスなのか。ざっと思い返してみてこんな感じです。「どうすればよいかわからない」の一言に尽きます。

補足日時:2012/01/10 21:40
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「現実から逃避したくない」と言えば聞こえは良いですが、言い換えれば「いつでも『負の』現実ばかり引きずっている」「気分転換が下手」ということです。


哲学でも「判断停止」という言葉があり、困難すぎることは一次的に「置いといて」、解決可能な事から片付けるという重要な手法です。
「頭を切り換える」事が出来ないと、仕事でも不要な雑念に捕らわれ正常な判断ができなくなります。
私の職業は研究者でしたが、思い込みが激しすぎ、無駄な年月(十年)とお金(給与を含めると数億円)を投入しました。
今もって唯々バカだったと思います。
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この回答へのお礼

貴重な御経験談をお聞かせ頂き、感謝いたします。

「判断停止」という言葉は初耳でしたので、ひとまずWeb検索で出たWikipediaの「エポケー」のページを読みました。理解したとは言い難いですが、「焦ってもいいことないよ」「頭を冷やそう」といった言葉に似たニュアンスを持った言葉なのかなという印象を受けました。

僕は、頭を切り替えることは、きっととても下手です。気分転換をと言われても、心の奥底は「気分転換ってなに?」と言っているようです。

お礼日時:2012/01/10 22:24

診断で40個中36個はかなり重症に思えます。



一度精神科を受診してみては。

最初は精神科と言われると誰しも抵抗を感じますが

行ってみれば普通の病院となんら変らないし

直ぐなれますよ。

時間はかかりますがメンタルヘルスも病気の一つなので

適切な薬をきちんと飲んでいればそのうち良くなりますよ。

私は10年ほど通院歴がありずいぶん長くなってしまいましたが、

早いうちに手当てして、治ったと思っても直ぐ治療を止めないで

医師の指示に従った方が良いでしょう。

この回答への補足

近所の心療内科の予約をとってみました。金銭的余裕の無さや、「自分は治療を受けるほど重くはなく他の本当に大変な方々に悪いのではないか」という思いもあって躊躇っていたのですが、意を決して電話をしました。

約1ヵ月後の診察予約が取れましたので、そこから数回通ってみて何か進展があった際に、こちらのページで報告させて頂き、同時に回答を締め切らせて頂くつもりでおります。ご助言ありがとうございました。

補足日時:2012/01/10 21:53
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この回答へのお礼

半年弱ぶりになります。ご無沙汰しておりました。

その後、心療内科へ行ったところ、病気ではないとの診断を受けました。「病気のほうがよかったですか?」などと皮肉を言われ、刺々しい応対の末、追い返されてしまいました。傷つけられた上に時間とお金まで取られて、まるでカツアゲにでもあったかのような気分でした。こちらが逆にお金を頂きたかったところです。私的にインパクトのある経験でしたので、その日から数日は、心が壊れてしまいそうな時間を過ごしました。

その後、別所のカウンセラーさんを探し、そちらへ何度か通いました。初めて通った際に「アダルトチルドレンですね」と診断されました。カウンセラーさんのところへ通った日は、毎度心の調子がよくなるのですが、今月初頭の予約日は結局キャンセルしてしまいました。

キャンセルした理由ですが、金銭的に厳しかったせいもあります。何だか哀しいような気持ちに支配されてしまったせいもあります。ひとりで頑張ったほうが遥かにマシなような気がしたせいもあります。カウンセラーさんから出された宿題が重く感じたせいもあります。

未だ悶々としておりますが、そんなところです。今は、機会を見てカウンセラーさんのところへもう一度足を運んでみようかと思っています。

問題解決とはなっていませんが、この質問ページでの経過報告はこれで最後にさせて頂こうかと思います。ご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2012/06/27 20:29

私個人としては


一時的で限定的なら
現実から逃避しても
全く問題ないように思えます。
常時現実を直視していたら
誰しも疲れ果ててしまうでしょう。
現実を一旦括弧に入れて置いておけば、
新たな着想がわくときもあるでしょう。
ちゃんと自分は現実を忘れているという
自覚があり、現実に戻ろうと思えば戻れるなら、
ストレス解消のためにちょっと
現実から離れてもよいと思います。
よく言われるように、
「現実は甘くない」のですから。
もちろん、あなたが納得される方法で
ストレスを解決されることが最も重要なことですが。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。参考にさせて頂きます。

お礼日時:2012/01/10 22:10

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