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物理学が扱う宇宙と哲学が扱う宇宙は別物か

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  • 質問者:hitonomichi12
  • 投稿日時:2012/01/09 21:43
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一つ明らかにせねばならぬこと。

物理学が扱う宇宙と哲学が扱う宇宙は違うものなのか、

元々この2つは違う世界なのか、

単に観念の上であれば、次元の異なる800万の宇宙を考えることは容易である。

もちろん、その中には天国も極楽も地獄も含まれるであろー。

哲学とは元々そのよーなものなのか、

宇宙について語ると往々にして話が噛み合わないのはそのためなのであろーか。
 



 

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  • 回答者:amaguappa
  • 回答日時:2012/01/13 02:01

非線形物理が扱う予言と占象が扱う予言くらいの違い。

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まだやってたんですか...しょうがないですねえ.

宇宙は数学ではない.
宇宙は物理学ではない.
宇宙は哲学ではない.

宇宙は不確定性そのものだ.
したがってアルケーとは不確定性そのものである.

ではなぜ、アルケーが存在できるのか.
それは不確定性における相補性によって現象として現れるのだ.

つまりそれは,
物理学を数学が補い,哲学を物理学が補い,数学を哲学が補う
ようなものなのである.

宇宙においては,800萬の無限不確定性宇宙が補い合って,
ひとつの有限宇宙を現象させているのである.
そして我々も現象であり,さらに我々が,宇宙を現象させてい
る不確定性そのものでもありうる.

よって,宇宙とは,無限であり,有限でもあるのだ.
これが宇宙の真理であることは,ほぼ間違いない.

ああ,アルケー あまりに一元的である.

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  • 回答者:psytex
  • 回答日時:2012/01/11 23:00

物理学は素粒子や原子のふるまいを記述し、化学は分子を記述し、
生物学は生き物を記述し、社会学は人のふるまいを、天文学は星を
記述します。

それでは、それらの学問は、異なる「宇宙」を扱っているのでしょうか?
生き物は分子が集まってできており、分子は原子があつまって、
原子は素粒子が集まってできています。
宇宙がそのように階層現象的であるがゆえに、そのどれかの学問が、
宇宙の全ての挙動を記述し尽くすことはありません。

たとえば「人間は原子でできている」からといって、原子の性質をどれ
ほど正確に分析しても、人間のふるまいを記述する事はできません。
そうした階層現象的上位の現象は、下位の単位の確定化に付随して
派生する可能性の中に生じる進化の結果(統計力学的性質)として
生じるものだから。

哲学や思想は世界観として、先述のような特定の対象に限定された
分科学が独立した残りとして、それら全てに通ずるインターフェースを
持たねば、普遍性を持たない“信仰”に過ぎなくなる。

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>科学でゆー宇宙と、数学でゆー宇宙と、哲学でゆー宇宙と、
>その他・・・・の宇宙がそれぞれ違うわけがない。

>宇宙は宇宙なのであって、それぞれの宇宙があるわけはない。
>科学でゆー宇宙も、数学でゆー宇宙も、哲学でゆー宇宙も、
>その他・・・・の宇宙も一つでなければならない。

と、アルケーの神が言っています。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7230636.html

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>物理学が扱う宇宙と哲学が扱う宇宙は違うものなのか、

科学的知の普遍性というものは、相対的で推移する世界では絶対的のように思われています。しかし、公理と仮説に基づく科学、感覚的なものに立脚する科学は公理以上の根拠を示し得ません。また、科学は、世界が無際限であることを克服しようとします。しかしカントの言うように、理念は指導原理であって構成原理ではありません。さらに、科学は完結した体系を求めます。しかし、世界の要素である物質、生命、心、精神は相互に関係するがまた独自です。哲学はこのような科学から自らを区別します。哲学はそれ自身が根源的知識欲であり、科学的知のうちに哲学的知を自ら実現するひとつの方向を見出しています。

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  • 回答者:ukiyotonbo
  • 回答日時:2012/01/10 04:10

なんや、どないやねんな。

そんなもんは、あんた次第や。すきにせいや。

ええか、あんたが物理学でどう宇宙を学ぼうが、哲学や宗教でどんな宇宙を想像しようが、あんたの宇宙はあんたの中にしか在りようがないねん。

あんたがあんたの外に見ていると錯覚している宇宙はあんたの中にあんねん。

その立派で無限な自分の宇宙に生きておったらええねん。完璧やんか。それでええねん。


この話は、もともと噛み合わへんもんなんよ。あんたとワイが違うように、あんたの宇宙とワイの宇宙はちゃうもんやねん。

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  • 回答者:k_jinen
  • 回答日時:2012/01/10 03:28

宇宙の中に思考が存在するのか?
思考の中に宇宙が存在するのか?

どちらの立場をとるのか?

という違いでしょう。。。

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いいところに気付いたなぁと感心しつつ。私の思うに、違うもんじゃやないかねぇ。

科学と哲学が分離した理由の一端は、自然科学が発達し過ぎて、哲学好きの素人が、科学を、ちょっとやそっとだと学習できるものではなくなったことにある。しかし、次のようにいうこともできる。哲学者は科学者ではないから、間違いがあって当然である、と。

事実、未だかつて、どこにも完璧に宇宙を自然科学的に理解して論じられた哲学者はいない。実際、多くの科学について言及した哲学者らが、あとから、次のように批判されているのだ。「本当は科学をわかっておらず、知ったかぶりをしていた。だが、それでもその思想は面白いところがある」。これはもう、仕方のないことである。だから、キミのいうことは、面白いという人が自分を含めて一人以上いれば、誰がとやかく言おうと、「哲学」として成立すると思う。

しかし、こうなると「哲学」とは、客観的な真理を示す学問とは違う。真理は自然科学に任せて、哲学は夢を示す学問となったと言ってよい。いや、これは哲学というより、「思想」と呼ぶべきものである。こうしないと、核心的な問題に切り込んで行けないのだから仕方ないのである。だが、ここで問題が生じる。「思想」は誰しももてる。学術的な知識を完全に放棄したスサノヲでももつことができる。しかしそれが個別の夢である限り、共通の議論の基盤がないのだから、漬かりきった者同士が語り合うことは難しいであろう。「俺の夢に敬意を払え。理解できないって?おまえは低俗だ」などといって、相手を罵倒するしかないわけである。かくして、【漬かりきった者同士が語ることは不可能である】。

哲学カテは、「思想」の陥った袋小路を示す、よい見本市である。哲学が思想になった時におきたことは、喩えて言えば、バベルの塔が崩壊したようなものである。この結果、共通の言語でコミュニケーションが取れなくなったのである。

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この回答へのお礼

 
あなたの指摘は実に鋭い。
このカテにあっては珍しいことである。

>事実、未だかつて、どこにも完璧に宇宙を自然科学的に理解して論じられた哲学者はいない。

宇宙が数学的実体と言えるかどーかは、大きな哲学的テーマであると捉えます。
 

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  • 回答者:ok9608
  • 回答日時:2012/01/10 01:35

相当に悩んでおられるかもしれない と思い 整理の手助けとして。

(1)物理学が扱う宇宙と哲学が扱う宇宙は違うものなのか、=>
  物理学的宇宙を離れて宇宙を語る哲学は、物理学とは違うでしょう。
  ただし、その哲学宇宙の定義は明確でないと いけません。

(2)哲学とは元々そのよーなものなのか、=>個人個人みな違うと思います

(3)宇宙について語ると往々にして話が噛み合わないのはそのためなのであろーか。
  =>あなた様が他の意見を理解されないためと思われます。多くは あなた様の
    ご主張は one of them として理解してます。

 以上、失礼しました。

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片方だけが容認するストーリーではなく、双方が容認可能な共通解があるのです。

それを学ぶ努力をしなくてはいけません。

エマニエル・カントだって、もしゲオルグ・カントールの後に産まれたら、カントールが解明した無限をキチンと学習したでしょう。

キチンと無限を考えることなく、無限の世界に何が起きるのか理解することもなく、有限の世界を無限だと言い張って何が面白いのか?

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この回答への補足

 
>片方だけが容認するストーリーではなく、双方が容認可能な共通解があるのです。

ではビッグバンにて有限宇宙をとく人達は、カントが説く無限宇宙を間違いであると証明出来たのですか。
 

この回答へのお礼

 
カントは次のよーに宇宙は無限であると考えた。

何故なら、もし宇宙が有限であり、器のよーな形をしたものであれば、その外側が存在することになる。
しかし宇宙とは全体であり、全体は宇宙なのであるからその外側は存在してはならず、これは矛盾である。
故に宇宙は有限ではなく、無限であると。
カントはこのよーに背理法によって宇宙は無限であると考えた。
この背理法は数学的証明法であり完全に正しい。

ゲオルグ・カントールは偉大な数学者である。
彼は独力で集合論を築き上げ、その中で無限を徹底的に追求し、無限にも段階があることを証明した。
そして連続体は可算無限よりも深い無限であることを示した。
これは驚きであった。
しかし、カントールは数学者であり宇宙については何も語っていない。

もし宇宙が数学的なものであればカントールの無限に従い、宇宙は連続体となり、これは極めて深い無限となるはずである。
 
しかし宇宙が数学的実体なのかどーかは別の哲学的テーマであり、これについては新たに語らなければなりません。
 

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