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『恤救規則・救護法・旧生活保護法のながれをふまえた生活保護制度のしくみを記せ』
という問題です。

なんと書けばよいかわからない課題がありましたので、、(*TT*)お答えいただけると幸いです。

A 回答 (1件)

2度の世界大戦を経た歴史的な流れがわかっていないとだめですねぇ。


ポイントは、次のような感じです。

【恤救規則(じゅっきゅうきそく)】
明治7年(1874年)に、明治政府によって制定されました。
それまで幕府や藩などで実施していた救貧政策を、中央政府の絶対主義的な強力な統制下に置くこととし、地方の専断を禁じて、些細な点まで一律に中央政府の承認を要することにしたものです。
その点ではたいへん画期的なものでしたが、「身寄りがなく、高齢、幼少、疾病、障害により生産活動に従事できない極貧の者のみに米を給付する」「血縁的な助け合いの精神(家族扶養、隣保相扶)を基本とし、それに頼ることができない者だけを救済する」といった、とても限定的な内容でした。
つまり、公的な救護責任が実に不十分だったのです。
そのため、第1次世界大戦後には大量の生活困窮者が発生しましたが、こういった人たちを救済することができませんでした。

【救護法】
昭和7年(1932年)に施行されました。
資本主義の進展や戦争によって恤救規則の限界が明らかとなってしまったので、これに代わるものとして定められました。
地方自治体単位での柔軟な対応を一部認めて、対象者の範囲も少し拡大されましたが、国家責任や受給者の法的地位保障はとうとう明文化されませんでした。
さらに、『「労働能力がある者や扶養義務者」を持つ者』は対象外(欠格条項)で、世帯単位での保護という考え方すらありませんでした。
救護法は、第2次世界大戦終了直後まで続きます。

【旧・生活保護法】
第2次世界大戦後に大量の生活困窮者・孤児・傷痍軍人等が発生したため、その救済を目的として、GHQ(連合国占領軍)の指導によって昭和21年(1946年)から施行されました。
国家責任による救貧制度として画期的なものでしたが、欠格条項が残ったままで、何と保護請求権や不服申立権が否定されていました。
要は、保護が認められなければ、門前払いとなってしまうのです。
そのため、実質的には救護法とさして変わらず、新憲法(日本国憲法)の生存権保障の観点から重大な問題点が残っていました。

【新・生活保護法】
「新憲法上、このままではまずいぞ!」というGHQからの圧力等もあり、「無差別平等」「国家責任」「生存権保障」を柱に、国は、旧・生活保護法を全面的に改正する必要にせまられました。
このため、旧・生活保護法を全面的に改正し、昭和25年(1950年)から施行しました。
現行法です。
「労働能力がありながらも職を失わざるを得なかった者(失業者)」も、新たな対象とされました。
また、ここで初めて「世帯単位での保護を基本とする」という考えができました。

まぁ、ちゃんと調べればわかることなんですけれどもね。
上で書いたヒントをもとにして、きっちりと自分の言葉でまとめ直してくださいね(^^;)。

学生さんでしょうか?
あなたのためにはならないので、この答えを丸写ししちゃだめですよ(わざと重要な部分を省いて記してありますし。)。
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