死ぬ勇気と生きる勇気
本気で死にたかったけど死ねませんでした。
飛び降りようと思ったけれど、万一助かったときのことを考えるとできなかった。
お酒の力もかりてみたけど、それでも飛べませんでした。
首吊りも考えかなり調べて準備しました。でも、不器用でうまく意識を失う締め方がわからず挫折しました。
死のうと思えばいつでも死ねると思っていたから、敗北感でいっぱいです。
私には死ぬ勇気も器用さもなかった。
死ねないなら生きなければいけません。でも、死は生の裏返しだから、死ぬ勇気のない人間に生きる勇気があるのか疑問です。
「かまってちゃん」で申し訳ないです。でも、率直な意見を聞かせてください。
どうせ自殺もできないへタレなので、気を使わずにきつい意見も聞かせてください。
新たにアカウントを作って質問してます。ごめんなさい。
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生きてください!
人は、どんな人間であっても、共に支え合って、生かされて、生きています。
どんなに苦しい事や、辛い事があっても、どんなことがあっても、きっと、いつかは、笑顔を取り戻せる日がくることを信じてみてください。
苦しいことがあったから、大切な人や、大切な事にも気づかれませんでしたか?
まわりをもっと、みてください。
視野をもっと、違うほうに向けてみてください!
辛く、苦しい思いをしている貴方に対して、頑張ってくださいとは言いません。
ただ、必死になって生きている人たちに目を向けてみてください。
例えば、ホームレスの人たちは、必死になって生きておられます。
ホームレスの人たちは、生きたいんです。
だから、暖かい御飯の有り難みを感じれます。
当たり前の何も不自由のない生活をしてたら、そんな有り難みは感じないです。
何、不自由のない生活にまた、戻りたいと思うから、
ホームレスの人たちは、必死になって生きようとしておられます。
貴方に何故、この話しをしたのかと言うと、生きてほしいからです。無駄な命はありません。
ホームレス支援団体でボランティアしてみてください。
ご自身の目で、ご自身の手で、必死になって生きている人たちの姿をみてみてください。
この回答へのお礼
ご回答、ありがとうございます。
なにかをしようと思っても、何も続かない自分やうまく始められない自分がいて無気力になっていました。でも、できる限りの努力はしたと思っていたけれど、まだやれることはあると思えるようになりました。
これからどう生きればよいかはまだわかりません。でも、改善しなければいけない自分の問題点は見えてきたような気がします。
「生きろ」ということば、ありがとうございます。
私も過去に死のうと思って死ねませんでした。
手首を何回も切ったり、ビルの非常階段で何時間も下を見ていたことがありました。
けどやはり死ぬ勇気が持てずにぶらぶら生きてました。
けど、何年か前に、死ぬかもしれない病気かもしれないと医者に言われました。
結局、死なない病気だったんですけどね。
でも、死ぬかもしれないと言われたとたん、死ぬのが怖くなって。
あんなに死にたいと思っていたのに、いざ自分で選ぶこともなく、死が隣に来ているかもしれないと思ったとき、本当に生きたいと思いました。
なんのために生きるのか
人それぞれだと思いますけど、私は私の大切な人のために生きています。
自分のための生き方がみつからないのであれば、人の為に生きるのも良いのではないでしょうか。
死はいつでも隣にいます。
いずれ必ずやってきます。
それまでは、空の色を毎日眺めたり、好きなご飯を食べたりしてもいいんじゃないでしょうか。
この回答へのお礼
ご回答ありがとうございました。
そして貴重な体験をお話いただき、有難うございました。
だいぶ気持が落ち着き、少し冷静に考えられるようになりました。
私の体が生きようとしている、ただそれだけで良いような気もしてきました。
私は自分のできないことから逃げていただけなんだなと思います。
「死ぬ勇気」というと聞こえはいいけれど、なにかのイデオロギーのために死のうとしたのではなく、現状を打開できないと思ったから死のうと思っただけだった。だから、そもそも「逃げ」でしかなく、それは決して「勇気」ではなかったのでしょう。
弱い自分を認めて、そこから何かがはじまるのかもしれません。
成功者の話で、死にもの狂いで働いたとか、死ぬ気で勉強して合格したという話しをよく聞きます。
あなた、「死ぬ気」が有るのでしょ?
死ぬ気を生かしてガンバリましょう。
この回答へのお礼
ご回答ありがとうございました。
自分の腐った根性はどうにかしたいなとは思っています。
今まではちいさな幸せを望んでいました。
でも、これからは何を望み何を目標としたいのかがよくわかりません。
もう若くはないですし。
まだまだお迎えがこないんでしょ。
あなたはまだ、この世界にいなさいってことです。
なぜそんなことをおもったかはわかりませんが、とりあえず生きてみては?
死神の首狩りの鎌に目をつけられたときは自然に死を迎えることでしょう。
それが何日先か何十年先かは・・・神のみぞ知る。
この回答へのお礼
ご回答ありがとうございます。
死に切れるか、または死に切れないか、で考えていたから、「お迎えが来ない」という発想がなく不思議な気がしました。他の方の回答の意図がやっと少しわかった気がしました。
自分の死ぬ時期を自分で決められるという考え方が傲慢なのかもしれません。
どんなに苦しくても行き続けたほうがいいんです。
勇気は関係ありません。人として生まれてきた以上何か「意味」があるんです。
死ねなかったということは、何かあるのです、生きるべきなのです。
何があったとしても自分から死を選択してはいけません。
例えホームレスになっても、愛する人が亡くなっても最後まで「生」を全うする。
汚くても最後まで「生」にしがみつくこと。それ自体に「意味」がある。と思います。
この回答へのお礼
ご回答ありがとうございます。
「私がどんなに絶望しようが、どんなに生きたくないと思おうが、いのちというものが一生懸命生きようとしている」という星野富弘さんの言葉を思い出しました。
死ぬ勇気も積極的に生きる勇気もないなら、とりあえずぼーっと日々を過ごすしかないですよね。
でも、ぼーっと目的もなく生きていたら、そのうちまた気分も変わって、「けっこう人生楽しいんじゃない?」と思えるようになったりもしますよ。
人間なんて気分に左右されてるだけの主体性のない生き物です。
本当の幸福も、本当の不幸もないのです。自分がどう感じるかってだけ。
別に何か目的意識を持って必死こいて生きる必要もないし、目的意識なく生きるなら死ねというのもおかしな話でしょ。
もっといい加減に生きていきましょうよ。いいんですよ、適当で。
ゆっくりおいしいお茶でも飲んで、そのあとお散歩にいったらいいですよ。
なんかおもしろい映画でも借りてきたら?
とりあえず、考えすぎるのはあほらしいことだからやめましょう。
この回答へのお礼
ご回答ありがとうございます。
自分がどう感じるかということだけ…そうですね。
頭ではなく心でそのことを悟ることができたらと思います。
今、ぼーっと過ごしている日々にも、少しは意味があるのかもしれません。
ずっとはいけませんけれども…。
まだ生きてなさいってご先祖様が言ってくれてるのでしょう
四国88ヶ所巡りでもしてきなさいな
この回答へのお礼
ご回答、有難うございます。
いろんな方の回答を読ませていただきながら色々考え、お礼を書きながら自問自答しています。
四国88ヶ所巡りはできないけれど、自分という人間の寸法をあるがままに受け入れることのできる「何か」をしなければいけないな、と思います。
あなたの、死にたい理由や原因を提示して頂ければ、その内容によってはこちらもアドバイスや止めるのを諦めます。
例えばですが死にたい理由が、『とてつもない不細工』や『不治の病』とかなら生きている理由や意味や楽しみを見出だすことが極めて困難だと思うので、他人があなたにそれ以上言及してもあなたにとって余計なお世話になりますから……
この回答へのお礼
ご回答有難うございます。
死にたい理由。回避性人格障害の傾向があり社会性不安障害をもっていること。私の人生の中で唯一、喜怒哀楽のすべてを共有できた長年のパートナーと別れることになったこと。自分の人生をうまくマネージできないこと。もう十分生きたと思ったから。
たいした理由ではないですね。でも、これから先何十年も、一人で生きていかなければならないということに、大変苦痛を感じます。
生きていたくても、病気などで生きられない人も
たくさんいるのに・・・
勇気とか言うよりも、人生を全うしてください。
考え甘すぎると思う。
この回答へのお礼
ご回答ありがとうございます。
生きたくても生きられない人、それも考えました。
臓器のドナーの登録をしました。献血は基準に満たず断られました。そのかわりでもないですが、統合失調症の研究(私は統合失調症ではありません)のためのボランティアをして、そのための採血をしてもらいました。自分の血を見ながら、生きていることが不思議に感じました。
生きたい人と死にたい人、私より生きる価値のある人が死んでしまうということ…なんだか良くわかりません。
どこかに寄贈しようかなあ、と今なんとなく千羽鶴を折っています。
死ととなり合わせの仕事とかしたらいかがですか?そしたら、死ねるかもしれないし、大切さみたいなものもわかるかもしれない。死ぬために生きるんですよ。
この回答へのお礼
ご回答ありがとうございます。
死と隣り合わせの仕事というと戦場に行くような仕事でしょうか?
そういう仕事につけるかどうかは別にして、どこか厳しいところで修行でもさせてもらったほうがいいのかな、とは思います。
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